現在、日本の国民医療費は35兆円と国民所得比9.90%(2008年度)となっており、高齢化の進展とともに実額、対GDP比ともに上昇してきている。

 OECDでは、医療費の国際比較のため医療費定義を揃える形で各国の対GDP比の推移を発表している。これをもとに高齢化比率との相関で医療費がどう推移してきているかをみると図録の通りである。

 これを見ると、日本のカーブはそう高くない水準で左右に長くなっており、日本の高齢化のスピードの速さと対GDP比の比較的良好なパフォーマンスを示しているといえる。最近年の対 GDP比では、比較した8カ国中、高齢化比率が最も低い韓国を除いて最もその値が低い。また、日本はいまや最も高齢化の進んだ国となっているので、なおさら、対GDP比の低さが目立つ形となっている。

 2009年は各国で医療費対GDP比の上昇が目立っていた。09年はリーマンショック翌年に当たり、世界的な景気低迷でGDPがマイナスだった影響が大きい(図録4500)。日本は08年のデータなので目立たない。韓国はそれほどGDPが落ち込まなかったので上昇がそれほど目立たない。

 この図で注目すべきは、高齢化の進展度合いに合わせて医療費水準がどう上昇しているかを、線の傾きで各国比較した結果である。

 線の傾きで特異なのは、極めて高い上昇が目立っている米国である。社会保険の範囲が小さく、民間保険と医療機関相互の競争など市場原理をメインとしている点で世界の中でも特異なシステムをとっている米国では、高度医療の発達や医療機器の進歩では世界一となっているが、医療費については高騰に悩まされ、マネジドケアなど数々の医療システム改革にも関わらず、貧困層への医療供給は制約されて平均寿命も先進国の中で低い状況の反面で、国民の所得の多くが医療費に注ぎ込まれているという特徴があらわれている。(米国の医療制度に係る政治的背景については付記参照)

 かたや英国では、国が医療を供給するという基本線がとられてきており、1980年代までは1人当たりの医療費水準も他国と比べて低かったが、近年はむしろ医療費の上昇に悩まされている。高齢化は進展していないのに医療費だけは上昇していおり、米国と同様垂直に上昇しているのが目立っているのである。1980年代のサッチャー改革で医療が切り詰められた結果、国民の医療へのアクセスが異常に制約を受け、むしろ、それへの反動で医療の供給量を増加させているためである(付記参照)。

 米英の2国を除くと日本を含め高齢化と医療費の相関では、レベルの違いはあるが、相関線の傾きにおいては、傾きの程度あるいは毎年の安定的な上昇など、ほとんど同等といえる傾向を示している点が目立っている。ただ、最近は、英米だけでなくフランスやカナダなど垂直シフトが目立ってきており、日本の良好なパフォーマンスがそれだけ目立つ状況となっている。ドイツは日本より医療費水準は大きいが高齢化との関連ではほぼ日本と平行した動きとなっている。

 韓国は、高齢化も医療費水準も日本の1970年代の水準にあるが、今後、高齢化の進展が大きく見込まれることから医療費のこれからの動きについて注目される。韓国の医療費対GDP比6.9%(2008年)はもちろん現在の日本より低いが、右上がりの状況がどうなるかは予断を許さない。

(関連図録)

・医療費の効果についての平均寿命との相関からの分析(図録1640
・OECD各国の医療費対GDP比率(図録1890
・家計に占める医療・健康費(図録2270
・人口当たりの医師数・看護師数の国際比較(図録1930
・医療費が高額となった欧米諸国からアジアの低廉な医療サービスを求めてのアジア・メディカル・ツーリズム(図録8430

(付記)

1.米国医療問題の政治的背景

 米国最大の国内問題は公的医療保険の導入問題となっている。医療に関する限り、民間保険が公的保険より高く付くことはここで取り上げた図を見ただけで明らかであるが、米国はこれまで公的な国民皆保険の導入に政治的に失敗してきた。何故かという大疑問に対し、米国の著名な経済学者であるクルーグマンはこう答えている。「すべての根源は、アメリカの人種差別問題にある...今でも残る奴隷制度の悪しき遺産、それはアメリカの原罪であり、それこそが国民に対して医療保険制度を提供していない理由である。先進諸国の大政党の中でアメリカだけが福祉制度を逆行させようとしているのは、公民権運動に対する白人の反発があるからなのだ。」「1976年の共和党の大統領指名レースで、レーガンはシカゴで起こった福祉詐欺事件を大袈裟に誇張し、「福祉女王」という単語を考え出し、広めた。彼はその女性の肌が何色であったか指摘しなかった。その必要はなかったのだ。」「肌の色や宗教、性的嗜好が異なる人々には自らと同様の権利を与えたくないと思う一部のアメリカ人の偏見を彼ら(保守派ムーブメント)は利用し、それを政治戦略の中心に据えてきたのである。」(ポール・クルーグマン「格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」(原題:リベラル派の良心)、2007年)

 医療保険制度に関する欧米諸国の中での米国の特殊性を理解するには、米国が欧米先進国の中で近代に入って大規模に奴隷制を導入した唯一の国であるという歴史的経緯を踏まえる必要があるということである。米国の市場原理主義が医療保険の民間主義の理由なのではなく、むしろ後者が前者の由来であるともいえる。奴隷制を源にもち、長く続くこととなるこうした米国の深い傷を南北戦争以前の19世紀に既に指摘していた思想家としてトクヴィル(トックビル)をあげることができる。

「南部のアメリカ人は、解放奴隷がいつの日か主人と同化できないときには、奴隷の解放はつねに危険をもたらすことを理解した。ある人間に自由を与えて、貧困と恥辱にまみれたままに放置することは、奴隷の反乱に将来の指導者を供給する以外の何になるだろうか。...南部のアメリカ人は、多くの場合、奴隷の主人からこれを解放する権能を取り上げた。

 私は連邦の南部で、かつて所有する黒人女性の1人と内縁の暮らしをしていた1人の老人に出会ったことがある。彼は何人かの子供をこの女によって儲けたが、この子らは生まれるとすぐに父親の奴隷にされた。父親は子供たちに少なくとも自由を遺贈しようと何度も考えたが、何年経っても、立法者が奴隷解放に課した障害を除去しえなかった。そのうちに老いが来て、死が迫った。そのとき、彼は息子たちが父の権威に代わって他人の鞭に追われ、奴隷市場をつぎつぎに引き回されるさまを想い描いた。この恐ろしい光景を頭に浮かべると、彼の衰えつつある想像力は錯乱した。私は彼が絶望に苛まれるのをみて、法が自然を害したとき、自然はいかにしてその傷に復讐するかを理解した。

 これはたしかに痛ましい弊害である。だが、それは近代人の奴隷制の原理それ自体から予想された必然の結果ではないだろうか。」(「アメリカのデモクラシー」第1巻、1835年、第2部10章、岩波文庫)

 社会的強制保険の範囲に黒人を入れることに心理的抵抗が根強いため、社会的強制保険不採用の合理的説明として経済学の原理を持ち出しているとしたら、その合理的説明のみを学ぼうとしている我が国のエコノミストは一体何者なのであろうか。

2.英国の医療改革

 OECD諸国の2002年データについて、OECD事務局は「大半のOECD諸国で保健医療支出が増加、中でも米国は突出」と表現している。また次のようにも指摘している。「保健医療関連支出が伸びているのは、一つには、1990年代半ばのコスト抑制が保健医療制度の疲弊をもたらしたことを理解した英国やカナダ等一部の国の意図的な政策によるものです。保健医療関連支出が伸びているのは主に医療技術の急速な進歩、人口の高齢化、医療への一般的な期待感の高まりによるもので、支出の伸びが特に目立っているのは医薬品の分野です。」

 1997年に就任した労働党ブレア政権は以下の3つの目標を掲げ、医療改革に乗り出したといわれる(朝日新聞2008.6.8)。

・病院外来の診療は(かかりつけ医の紹介から)13週以内に
・入院待ちは26週間以内に
・救急患者は4時間以内に診察

 日本の医療実態と比較すると控えめな目標(それまでよっぽど酷かった)ともいえるが、こうした目標実現のため、ブレア政権は病院施設の拡大や医療従事者の増員を図り、自己負担ナシの医療サービスを提供する保健省の国民保健サービス(NHS)は2000年に2010年までに100の病院と7千の病床を新設する計画をたてた結果、2006年で上記目標はほぼ達成したという。ただし税金を財源とするNHSへの支出は99年約400ポンド(8.2兆円)が06年は約780億ポンド(16兆円)とほぼ倍増し、NHS予算の1割以上を支える国民保険料の料率も例えば月収30万円程度の会社員で収入の10%程度が11%に上げられたという。

 2010年5月の下院選で13年ぶりに政権を保守党に譲った労働党政権の代表的な成果として、病院の平均待ち期間が1990年代末の18週から2008年には6週に改善したことが報じられている(The Economist May 1st 2010)。この点が世論には評価されていない点については、図録1852参照。

 こうした推移の結果、英国の高齢化率は日本よりかなり低いにも関わらず対GDPの医療費水準は日本と逆転するに至っている。それでもなおがん治療の成績などはOECDの平均を下回っていることが課題とされている(The Economist December 12th 2009、図録2166参照)。英国の例は医療費を抑えすぎるとリバウンドが結局激しいものと成らざるを得ないことを示していると考えられ、我が国にとっても他人事ではないだろう。

(2004年7月8日データ更新、8月6日付表国民所得比更新、05年6月18日付表国民所得比2000年値訂正、05年6月29日更新、06年12月25日更新、12月28日ドイツ追加、07年8月15日・9月2日更新、08年6月9日英国医療政策コメントを付記に追加、7月9日米国クルーグマン引用を付記に追加、8月13日トクヴィル引用、8月28日更新、09年10月19日更新、2010年1月4日・5月19日英国コメント追加、6月30日更新、2011年7月12日更新)

サイト内検索
関連図録
1640 医療費と平均寿命(OECD諸国)
1700 米国州別の寿命と健康保険加入率
1840 高齢者の健康状態と医療の国際比較
1852 病院に対する患者の満足度の推移
1890 OECD諸国の医療費対GDP比率
1930 医師数・看護師数の国際比較
1933 診療報酬の改定率の推移
1950 予防医療・公衆衛生対策(先進国比較)
2166 がん5年生存率の国際比較
2270 家計消費の国際比較
2798 社会保障給付費の国際比較(OECD諸国)
5100 租税負担と社会保障負担の推移(各国)
8430 アジア・メディカル・ツーリズム
8750 歴代米国大統領のランキング
図録書籍 内容・目次