ひだのつぶやき

三十代

三十代についてふと考える。十代の頃は訳わからず何となく生きていて、二十代はがむしゃらで、そして三十代はその惰性できているという印象である。孔子曰く「三十にして立つ」はずだが、二十代の延長でしかなかった。フランクリンも「二十歳では意志が支配し、三十歳では機知が、四十歳では分別が支配する」と言っているが、機知は返って減退している気がする。
二十歳のときの部活動の文集に「十代はじゆうだい(自由だい)、二十代はふじゆうだい(不自由だい)」と書いたが、三十歳では何も言えなかった。そして今も。

セキュリティについて(2000.10.23)

ある共通意識、ある暗黙の了解事項をもった間ではそれほど必要ではないけれど、オープンな世の中になって全く異なる価値観、考えをもった人々が同じ土俵にのぼってきたことで、この「セキュリティ」というものはもう必須事項だ。
 セキュリティを考える上でそんなことはするはずがないという思い込みが危険。違う場所に行けば違う常識がある。歴史の上でもいろいろな事例でも実証されている。戦争等が顕著な例で、自国以外の人に対する残虐な仕打ちがある。それは自分たちと同じ人と感じていないことから家族には優しい人でも、他国の人に対しては平気で残虐な目に合わせている。
 前置きが長かったが、何が言いたいかというとオープンな世界ではいろいろな考えの人がいていろいろな考えのもとにいろいろな行為をするということを念頭においてセキュリティを検討する必要がある。様々な人が行き交う国際都市、大都市、イベント会場、インターネットの世界等は特に危険だ。気をつけよう。

たばこの煙は嫌い(2000.10.21)

学生時代はたばこスパスパ吸ってきたくせに言うのもなんですが(といってももう何年も吸ってない)、たばこの煙はきらいです。髪の毛も服もくさくなるし、目もしょぼしょぼしてくるし、そんなこんなで最近、会社の宴会は憂鬱です。狭い居酒屋で回りが皆たばこを吸うものだから、目に煙の膜がついたようになり、顔はべっとりヤニがついたようになります。当然のども痛いし、もう家に帰ったらぐったりです。学生時代もたばこを吸った翌朝は喉が痛かった。もともと目も喉も強くなかったから、やめたようなものです。
 ところで喫煙場所でたばこを吸っている人はまだよいのですが、外でたばこを吸ってて、たばこの吸殻をポイ捨てする感覚が信じられない。学生時代吸ってたころも絶対それだけはしなかった。外でたばこを吸う人、特に歩きながら吸う人の99.9%はポイ捨てだ。携帯灰皿のようなものをもってた人は、知人でも学生時代の先輩のSさんだけだ。

E-mail:[baron-kobo@mx8.ttcn.ne.jp]

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