<2005>jun 17

撤去された自転車

昨日、梅雨空の中
ずいぶん前に
駅前の銀行前に置いといて
放置自転車として撤去されちゃった愛車を
期限ちょいすぎちゃったけど引き取りにいった。

なかなかヘンピな場所に集積所があって
にこやかな、シルバー人材のおじ様たち4人に迎えられた。

撤去されるような場所に置いといた自分がわるいにせよ、
年々手数料があがって、、とうとう3000円。
今や新車が10000円しないのに3000円は結構たかいよね。
買い換えちゃおうかなーーーー、、っという
悪魔のささやきをどうにか押し込んで、
取りに行ったのは、TVでたまに見る産業廃棄物の山の映像が
頭によぎっちゃうからかもしれない。
まだまだ乗れる自転車をゴミにしちゃう罪悪感。

ついこないだ、まだ使えるこじゃれた縦置きの
パワーの弱い掃除機を、
大枚はたいて買ったダイソンの掃除機と引き換えに
粗大ゴミに出しちゃったことへの罪悪感も手伝ってたんだけど。
(何人かの知人にいらない?ってあたったんだけどね。)

お金払って、受け取った自転車は、
なんとも悲しげにボロくなってて、、、
どろよけ?が、ひん曲がって動かすとすれる音がする。
っと、とても積極的におじ様たちが応急措置を施してくれた後、
空気はどうかな、、っとあたしがタイヤをぎゅっとやっていると
さっきまで積極的だったおじ様たちが
不自然に、すっと自転車から離れ
ご自分でぞうぞ。。。体勢。。?ん?
何で?これはやってくれないの?って思ってたら、
どうやら、パンクしたときの保障問題が何チャラ、、。
結構なもめ事を経て、
きっとこの不自然な雰囲気の体制がとられてるんだな。。。
って思った。


っと、そんな光景を見ていたら、
おばかさんな親が、子供に多少のけがや、
子供同士のけんかがあっただけで、
教師を血祭りに上げるもんだから、
何かちょっとあると親に突っ込まれる前に、ものすごい
言い訳の嵐をせざるおえない、
責任問題で、ストレスを抱えた、現代の教師のことを
思った。

根底に心無いミスやもめ事、
自己中心的な感情のままに動いた結果の事件、犯罪、事故。
そんなことが増えすぎて、
まじめで、心あるところに起きた、ちょっとしたことも
すぐさま、責任のありかが言及され、
心無い感覚を持たないと処理できない現実に、
心ある人が減っていく寂しい現代を一人思った。

「何でも考えすぎだよ。」ってよく言われちゃうけど、
行動は規制しなきゃいけないけど、
考えまでは誰にも規制できない。

そんなことを撤去され、トラックに積み上げられて、
まるで、一ヶ月ぐらい家出した猫みたいに
ぼろっちく、悲しげな様子の愛車こぎながら考えていた。
そして、思わず、、、小さな声で自転車に
「ごめんね、」って言ってる自分がちょっと
うれしかった。

そんな日のお話でした。