The Ice & Mixed Climbing Trip to European Alps 20
山田達郎

Part 1
 2004年1月31日。信州大学生の佐藤裕樹とともに朝8時に家を出て成田空港へ向かう。今回は2人とも貧乏なのでヨーロッパ方面へ行くには最安の航空会社であるロシアのアエロフロートを使った。2ヶ月で往復5万円台は確かに安いが問題はモスクワでの乗換えで、行きは17時間待ち。帰りに至っては25時間待ちである。モスクワの空港は雰囲気が暗いうえに照明まで暗い。さらに空港職員まで機嫌の悪い奴らばかりなので出発早々気が滅入ってしまった。
 2月1日。朝10時モスクワ発。スイスのチューリッヒには現地時間で昼前には着いた。モスクワとはうって変わってこちらは快晴の青い空にガラス張りの清潔で明るいターミナル。イミグレーションのおじさんもメチャクチャ陽気だ。やっと気を取り直し、英語も完全に通じるので難なく電車に乗り一路山へと向かう。チューリッヒ空港駅から4時間半でスイスアルプスの懐、カンデルシュテッグ村に着いた。ここは人口千人と村人全員を覚えられそうなぐらい小さな村だが、ヨーロッパの三大アイスサイトのひとつとして知られている。それもそのはず僕らが泊まった宿のすぐ裏手、歩いて20分ほどの岩壁には180~200メートル級のアイスルートが10本以上並んでいるのだ。グレードも5級から上しかなく最近はミックスのルートも多く拓かれているようだ。特に村はずれにあるミックス専用のゲレンデには世界最難M12を誇る”ヴァーティカル・リミット”と言うルートがある。今回一目拝めればとは思っていたが、後にもっと凄いモノを目にするとは思いもよらなかった。
 カンデルシュテッグではレストラン兼ドミトリーの宿”ランデブー”に泊まり2週間滞在したが、困ったことにレストランのスイス料理が売りの宿なので自炊室が無い。確かに料理は美味いのだが毎食レストランでは金がもたない。と言うことで無理を言って倉庫で自炊させてもらうことにしたが、持ってきたのはビバーク用のチタンコッフェル1個とガスバーナーだけ。寒い倉庫の中で毎食3回に分けて調理し、まわし食いする様はまさにビバークそのものだった。
 さすがに佐藤は学生だけあってモチベーションが違う。村に着いた次の日からガンガン登らされた。2~3日登って1日レストというパターンで登った。要領をつかんでくると朝一で取り付いてとっとと終わらせ、昼過ぎからはオープンカフェでランチビールを飲みながら夕方までだらだらしてビバークスタイルの夕食を済ませると翌日の計画と準備をし、夜は一日一本の安ワインで締めくくった。レストの日はアックスを研いだりトポを見たりしてゆっくりと過ごしたがひどいときなど朝目覚めて「まず一杯」とワインのラッパ飲みから一日のスタートを切ったこともあった。
 そんなこんなで一週間も経つと登れる氷も尽きてしまったので、かの有名な”Eshinental”みっくすエリアへ行こうということになり、村から徒歩1時間半のこのエリアへ一度荷揚げをしてベースキャンプ(2人用のちっこいテント)を張り食料の続く限り登り込む。初めてのミックス(以下M)、最初はどう取り付いて良いのかも判らなかったが何度かやっているうちにフッキングのコツや注意点等も判ってきた。世界で最も進んだMエリアだけあってグレードは高いものの支点はしっかりしているので安心してエントリーできる。二日目からは現地のMクライマーたちも登場してなんだか盛り上がってきた。M12をトライしているドイツ人がいると思ったら、なんと開拓者ロベルト・ジャスパーその人だった。どうやらM13の新ルートを拓きに今年も通っているらしい。その数日後には僕らの目の前で彼はそのルートを完登してしまった。旅の始まりにして貴重なモノを見てしまった。

Part 2
 さて、スイスのカンデルシュテッグ村にある”Ueshinen”ミックスクライミングエリアにテントを張って三泊四日のM合宿を強行した我々の成果は、M7を二本レッドポイントとM8を二本途中まで触っただけで終わった。ハッキリ言ってMは一日2~3トライが限界だ。話に聞いてはいたが、要は引きつけとレストの繰り返しでとにかくパンピー。登れる奴らを見ていると皆レストが上手いようだ。夜は狭いテントの中でひどい筋肉痛に襲われ寝苦しかった。僕等はそれを「腕痛」(ウデツーと読む)と名付け、お互いがそれに苦しむ姿に結構笑わせてもらったものだ。とりあえず目標であったM8と言うグレードを体感できたことと、多くの有名クライマー達と過ごしただけでも充実した日々だったと思う。
Briancon/France
 そんなこんなでスイスでの二週間はあっという間に過ぎ、2月14日(土)予定通りフランスはブリアンソンと言う田舎町に移動し、やはり日本の学生であるジャンボさんと井上君、そしてフランス在住のクライミングおじさん寿崎さんの三人と合流した。ブリアンソンでの1ヶ月は4人用のアパートを5人でシェアしたため、一人一泊700円程度と安く上がった。元ワインディーラーの寿崎さんを筆頭にバカが5人も集まると飲む量も半端じゃなく、気がついたら部屋の中が空き瓶だらけになっていた。酒ばかり飲んでいたと誤解されそうだが毎日朝暗いうちから夜暗くなるまで登っていた。近くには世界でも最大級のアイス・ミックスサイトが点在している。その一つがフレシニエール谷で、かの有名なグラミュザ壁が谷を見下ろしている。初日(2月15日)生まれて初めてこんなにデカイ氷壁を見て、完全に惚れてしまった。しかも現代では氷の発達しきっていない岩壁にもMのテクニックを駆使した超攻撃的なラインが引かれている。いつかはMのマルチをやってみたいものだ。
"Geronimo" Tete Du Gramusat
 2月19日。二組に分かれそれぞれ別ルートを登る。ジャンボ・佐藤ペアはグラミュザ壁左端の”Au dela des ombres”を登り、井上君と僕はジャンケンで勝ったので花形ルートである”Geronimo”をゲットした。人生でこんな素晴らしい体験が後にも先にもあるだろうか?ルート長600m。最高グレードv級。正に氷のビッグウォール。登っても登っても抜けられない。60mロープ全開で9ピッチを終えて終了点に着いたのは日も落ちた18時。登り切った達成感と下降の恐怖が混じって何だか切り離されたような気持ちになった。ビバークできる気温ではないので暗闇の中を下降開始。すぐにロープがスタックし一本捨てるはめになった。60mロープ一本で30mづつゆっくりゆっくり絶対にミスの許されない懸垂下降を数え切れないほどこなした。こう言う時LEDライトでは先が見えずハロゲンライトこそが命の綱になることを実感した。二人ともヘトヘトになり無事取付きに下り立ったのは23時半だったが、喜びもつかの間ジャンボさん達はとっくに車で帰ってしまっていたので-20℃極寒の駐車場で朝まで震えていなければならなかったのだ。翌朝迎えに来てくれたジャンボさんたちに心配かけたと詫びると、「こういうことでもなきゃあ休肝日も作れねぇだろ」と笑ってくれた。しかし反省は残る。今回のように大きく、敗退もきかないルートではスピードこそ安全につながるのだと知った。
クライミングレポート
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