New Zealand Climbing Trip
山田達郎

Part1
 2005年1月26日、成田空港発。韓国経由で翌27日ニュージーランド南島最大の都市クライストチャーチに到着。4年前に3ヶ月間住んでいたこの街は相変わらず居心地が良い。お気に入りのユースホステルに二泊しレンタカーを借りたり、中古携帯電話を買ったりと旅の準備を手際よく済ませ29日には6時間のドライブを経てマウントクック村入りした。今回の目標はクック縦走。しかしパートナーの佐藤が日本から合流するまでの3週間は外人のパートナーを見つけて登らなければならない。村で一番クライマーの集まるロッジに停泊して募集したが、日本人だからか馬鹿にされ誰も付き合ってくれないばかりかイヤミまで言われてしまった。山を目の前にして指をくわえているのは一番辛いが、結局コンディションが悪く誰も山に入れない日々が続いた。天気が良すぎるのだ。本来こちらのアルパインルートは低気圧の通過後に吹く南風(サザリー)によって雪が冷やされ安定した隙をついて登るのだが、私が来て以来いっこうに動かない巨大な高気圧に覆われ、猛暑で氷河とルートの雪が溶けまくっていた。ムカつくアメリカ人とイヤミの応酬をしつつも、佐藤が来るまでにできる限りの準備をしておこうと思い、トレーニングも兼ね一人でメチャクチャ長いアプローチだけ歩いてみたり、現地のガイドにルートの情報を聞きまわったりと、それなりに忙しく三週間を過ごした。
 2月26日、日本から到着した佐藤をクライストチャーチ空港でピックアップ。殆ど拉致するかたちでマウントクック村に戻る。日本男児をバカにした奴らを見返すべく我々の快進撃が始まった。これは単なるクライミングの記録ではなく日本人としての誇りを守る戦いの記録である。
 頭に来ているからと言って焦ってはいけない。じっくり追いつめようではないか。まずはクライミングの基本であるフリーのテクニックを見せつけようと、この界隈でランナウトが恐れられているTwin Streamと言うマルチピッチの岩場に行くことにした。アプローチ3時間、岩は硬く、ケミカルアンカー、どスラブ、マルチのセミアルパインと言った感じだ。岩壁基部でビバークし、翌朝とりあえず一番目立つライン「Southerly Front」に取り付いた。オーストラリアン・グレード23。デシマルに換算すると5.11b/c。全8ピッチ、5,6ピッチ目が23。これをランナウトに耐えオンサイトするのは気合いがいる。でも大丈夫。気合いだけは必要以上に持ち合わせているのだから。いつも通りジャンケンで順番を決め佐藤が先行でクライミング開始。ルート名通り南風が吹きすさぶ中ガタガタ震えながら登る。
 1,2ピッチ目はムーンストラックと言う17のルートをナチュプロを交えて登り、バンドを右にトラバースすると頭上にスラブの海が広がった。遠目にもスッキリした壁だが目前にするとまるでダムのコンクリート壁の様だ。カンテ状を行く3ピッチ目(17)は佐藤の美しいライン取りであっさり片付けられ、いよいよメインのスラブ帯に入っていく。4ピッチ目(20)山田リード。このグレードを軽く落とせなければ後の核心部は絶望的だ。準備運動くらいのつもりで登り始めたが直ぐに行き詰まった。ムーヴは難しくないがランナウトが怖すぎて、つい左のカンテに逃げてルートから外れてしまう。そもそも次のボルトが見えないくらい離れているのでルーファイが難しい。寒さと恐怖で震えていたら下から佐藤が「侍魂はどうした!」と煽ってきたが、残念ながらこっちはそれどころではない。無視してヘッピリ腰で必死にボルトを追った。佐藤から「ロープあと5m」コールの直後やっとアンカーを発見。結局50mいっぱいでランナーは7本だった。山田はこの時点でグレードの辛さに絶望していたがフォローしてきた佐藤はそうでもない様子。おまけに続く5ピッチ目(23)も右往左往しながらも意外ときれいにオンサイトしてしまった。こうなったらもう落ちるわけにはいかない。山田の侍魂に火が点いた。梯子を登るように5ピッチ目をフォローし、セルフも取らずに奇声を発しながら6ピッチ目(23)に突入する。幸い噂ほどのランナウトではないがムーヴは激悪だ。ルーファイなんてしていたら力尽きてしまう。パワー全開で直登するが自分が壁に張り付いていられるのが不思議なくらい細かく、私の登ったスラブの中では間違えなく最難だ。文句なしに23。最後の一手はデッドでギリギリ届き、嬉しさの余り叫びながらビレイレッジに這い上がった。慎重にフォローして来た佐藤はルーファイに成功し体感21くらいだったと言う。ランナウトの恐怖とルーファイの成否が体感グレードに与える影響を物語っている。
 残りの2ピッチは18と15だが相変わらず物凄いランナウトだ。ナチュプロで補強しながら慎重に登り、16時半トップアウト。やっと日が射すが風が強く寒い。喜ぶ間も無く即下降開始。同ルートを計7回懸垂で取り付きヘ下り18時半終了。ここでやっと完登の喜びがこみ上げて来た。何度も壁を振り返りながらビバークポイントまで戻り川で冷やしておいた黒ビールで乾杯した。これが最高の瞬間だ。
 19時半、良い気分のままウォークアウト開始。幻想的な夕焼けが充実感を増す。21時過ぎ、村のロッジに戻った頃空は満天の星。あのアメリカ人のことなどもうどうでも良かった。ただこんなに充実した二日間を持てて本当に良かった思いながら床に就いた。

Part 2
 Twin Streamから帰って来た我々はまだやり足りなかった。次はもっとアルパインチックなクライミングをしよう。日本男児だって重い荷物を背負って長いアプローチを歩けるということを知らしめるのだ。目標はすぐ決まった。マウントクックからタズマン氷河を挟んで東側に、その扇形の山容が一際大きく目立つモルティ・ブランだ。モルティはサザンアルプスでは珍しく山頂に氷河を抱かない完全な岩山で岩が硬いと言う噂を良く耳にした。天気は相変わらずで、あと四日は晴れそうだ。
 2月21日早朝、モルティ西陵へ向けて村を出た。普通は四日間かかる行程だが我々は三日で終わらせるつもりだ。一日目はひたすらタズマン氷河を遡る。氷河と言っても殆どモレーン歩きに終始するのがニュージーの山だ。重い暑い辛い、ゴチャゴチャ言っても着かないので黙々と歩く。水と日陰の大切さを知りたい人はここに来ると良い。6時間の修行の末、モルティ南壁に突き上げるビーサム谷に入る。ここでもビバークできるが明日の行程を少しでも縮める為に更に進むことにした。ビーサム谷から左の尾根を超えて反対側のガレ斜面をトラバースすれば、モルティの懐に最も深く食い込んだモルティ・ブラン氷河に出るはずだ。しかしトレースどころかケルンすらないので半信半疑のまま進む。ガレをトラバース中に高度を下げ過ぎてとんでもない崖の上に出てしまった。ガレを直登して無理やりルート修正を試みるが多大な時間と体力を消耗してしまった。結局正規ルートに戻れたのは夕刻だった。少し進むとガレ斜面に雪渓を発見。しかも傍らにはダブルベッドサイズの平らな岩があるではないか。モルティ・ブラン氷河まではまだ2時間以上あるだろうがもうヘトヘトだったのでここでビバークすることにする。いつだってビバークサイトの整備をするのは楽しい。疲れていても妙にこだわって寝床を作る。この夜は風もなく満天の星空で快適だった。
 22日、日の出と共に歩き出す。今日も長いので無駄なものはデポしていく。1時間程ガレをトラバースすると氷河に着いた。アイゼンを着け雪壁を駆け上がる。クレバス帯に入りロープアップ。結構ヤバく、数回スノーバーでのビレイを要した。小さいクーロワールを詰めると雪が無くなりボロイ岩のテラスに出た。ここでアイゼンを外し一服。なかなかいい調子で来ている。ここから200m程傾斜の緩い岩壁を登ると西稜の2900m付近に出られるはずだ。「しっかし岩が硬いなんて誰が言ったんだ?」。想像とは違い岩が余りにもボロかったのだ。お互い落石を受けない様、横に並んで脆いスラブをごまかし登っていく。ちょうど正午に西稜に出た。反対側は凄まじい露出で、500mの南壁がビーサム谷まで落ちている。ここからがルートのハイライトだ。岩は幾分安定して来たが鋭いナイフリッジをザックにプラブーツで渡るのはチョ-怖い。ロープを着ける程ではないが、こういうのが一番怖い。ガイドブックに書いてあった一番の難所「シーバル」は正に三角木馬。笑えてくるが笑い事ではない。ヒーヒー喘ぎながら何とか通過。13時、頂上50m手前の小ピークでちょっと休憩していたら「もういいか」、「もういいな」、「はっきり言ってこれ以上行っても面白くねぇ」、「脆い岩に気を使って疲れるだけだよ」と言うことで、上手く本物の頂上が写らない様に記念撮影を済ませ、そそくさと下山を開始したのだった。勿論下りの方が悪い。特に三角木馬は命がけだ。稜線から氷河に下りるのに何回か岩角を支点に懸垂したが、どうしても落石が起きてしまい先に下りている方は恐ろしかった。命からがら氷河に降り立ったが安心するのはまだ早い。朝ギリギリ渡れたクレバスのブリッジは午後になり緩んでいるはずだ。ろくに休まずクレバス帯まで一気に下り、ロープアップして朝よりも慎重に通過する。最後のクレバスが一番ヤバそうだ。最上級のアンカーを作りビレイする。まず佐藤が無事通過。佐藤がアンカーを作り今度は私がビレイされる。佐藤が渡った所が余りにも悪そうだったので別のブリッジを渡ろうと、乗った途端に私の左足が腿のあたりまでクレバスの口に吸い込まれてしまった。幸い右足がクレバスの淵に乗っていたので自力で立ち上がり佐藤の所までたどり着いたが生きた心地はしなかった。後は200m程のスノースロープをグリセードで一気に滑り降りガレ場をトラバースしてビバークサイトに戻った。まだ時間も早くビーサム谷まで戻ることも出来たが今日は気疲れがひどく、このビバークサイトも気に入っていたのでまたここで寝ることにする。昨日より少し風が出て来たので明日の午後には天気が悪くなるかもしれない。登る前の緊張感に包まれたビバークも良いが、登った後の達成感でいっぱいのビバークはもっと良い。明日に備え明るいうちにシュラフにもぐり込んだ。
 23日、すっかりお気に入りのビバークサイトを離れるのはちょっと惜しいが、悪天に捕まらない様に暗いうちに出発する。まだ天気は良いが雲が出てきた。帰りは道が判っているので順調にビーサム谷からタズマン氷河に下り、再び灼熱のモレーン歩きかと思いきや、薄くかかった雲のお陰で(文字通り陰ができ)意外と楽に村まで戻ることが出来た。シャワー代わりに川で水浴びをし、パブへ直行。ビールで乾杯。間違いなく山に登る理由の半分はビールだろう。
 岩は脆かったが緊張感があり、アプローチもワイルドでなかなか印象に残る登山だった。そして何と言ってもあのビバークサイトのことは忘れない。あそこで寝るためだけにまた行ってもイイかな、とも思う。

Part 3
 「マウントクックGT」。この旅の最重要課題であり、四年前から私の野心を捕らえて止まない言葉。GTとはGround Traverseの略、つまり縦走のことだ。
 ニュージーランドの最高峰マウントクック(3754m)はHigh Peak, Middle Peak, Low Peakの三つのピークからなり北から南にかけて約1.5kmにも及ぶ。これらを繋ぐ頂稜を縦走するルートはスケール、難易度、露出度のあらゆる面において国内屈指であり1913年に初めて成されて以来世界中のアルピニストを魅了してはその挑戦の多くを凌いでもきた。厳しさ故に成功は素晴らしい登山体験を約束する。
 今年のコンディションが悪いのは重々承知。入国してから一ヶ月間毎日チャンスを狙っていたが一日足りとも待望のサザリー(南風)は吹いていなかった。秋も近くこれ以上待ってはいられない。モルティ下山から三日後の2月26日を期限とし、それまでにサザリーが吹く見込みがないようなら目標を変えてウエストコーストのロックルートに行くことにしよう。半分諦めモードで迎えた26日の朝、いつもどおりネットで天気図をチェックする。明日は低気圧が通過、28日早朝の予想図はなんと等圧線がきれいな縦縞を成しているではないか。素晴らしい。この天気図が見たかったのだ。興奮して佐藤に告げると作戦会議が始まった。
 一般的にはフッカー谷からLow Peakに登りHigh Peakまで縦走後ノーマルルートであるリンダ氷河を下りるが、今年は各ルートのクレバスが開きすぎていて登れるルートが限られる。実質上High Peakは登るのも下りるのも不可能なので、残念ながら完全なGTは諦めざるを得ないようだ。唯一可能性があるとすればタズマン氷河からイーストリッジを登りMiddle PeakからLow Peakまで縦走してウエストリッジからフッカー氷河に下りるルートだろう。しかしフッカー氷河が通過できるかは不明である。何しろ一ヶ月近く誰も入山していないので情報が無い。つまり登れたとしても帰って来られるかは判らないのだ。馬鹿げた計画だが我々にとっては天から垂らされた蜘蛛の糸。このチャンスを手放すわけにはいかない。装備も極限まで削る。寝袋は無しでインナーダウン上下にビビィサック。食料とガスは二泊分+予備一日分。ロープは8.5mm×50mを一本。カラビナやピトン類は一枚でも減らすように工夫した。そのくせちゃっかり酒は背負う。ジンを300ml程持った。
 明後日の好天を掴む為に明日は雨の中をウォークインしなければならないだろう。マッドで長いアプローチに備えて早めに床に就くが大きな挑戦を前に胸が高鳴りなかなか寝付けないでいると、やがて風と雨がロッジの外壁を叩き始めた。
 翌朝起きると嵐は収まるどころか激しさを増していた。稲光が大きなガラス窓越しにダイニングを照らす。炸裂音に一瞬遅れて電話の呼び出し音が一拍鳴った。電話線が被雷したらしく、何度か繰り返されたその現象を我々は「カミナリ電話」と呼び、鳴る度に大喜びした。どうでもいいがこんな嵐の中出発する気にはなれない。きっと佐藤も同じ気持ちだろうが、中止の提案を先にするのはしゃくだ。とりあえず9時まで待つことで合意し二度寝する。8時半に再び起きると嵐はすっかり収まり青空すら見えている。早過ぎる。悪天の規模も通過の速度も予想外だった。これは天気の読みを間違ったかも知れない。何しろサザリーを逃しては長いアプローチも骨折り損だ。最新の天気図を見ようとサイトを開くがシステムエラーで更新されていない。まったくこんな時に限って・・・。結局天気予報は夕方になるまで発表されず、我々は見事に出鼻を挫かれるかたちで一日を無駄にした。しかし発表された予報は朗報で低気圧の通過は逆に遅れているとのことだ。つまり今晩もう一本前線が通過し、明日の夜から明後日の未明にかけてサザリーが吹くという予想だ。なんだ丸一日遅れただけじゃないか。一気にモチベーションが盛り返してきた。
 2月28日。5時半起床。6時半ロッジを車で出発。7時タズマン氷河湖の駐車場に車を残し夜明けと共にウォークイン開始。少し雲が残っているお陰でそれほど暑くはない。11時半、長いモレーン歩きを終えマウントクック東側のベースとなるGrand Plateauへ続く登りに取り付いた。一応一般ルートだが道なんて無い。そもそも最近はGrand Plateauまでセスナでフライインするのが普通で、下りはともかく登りでこのルートを使う者などいないのだ。ガレ場のくせに傾斜がキツく落石が怖い。途中メチャクチャになったヘルメットの残骸を発見して苦笑いした。40度くらいのガレが900m続き、3時間の苦行の末やっとBoys氷河に到達。後はBoys氷河を500m遡ればGrand Plateauの入り口Cinerama Colに出る。しかしコル直下のクレバスに阻まれ3回程ビレイをして通過しなければならなかった。17時半今夜のビバーク予定地Cinerama Col(2333m)に到着。南側を振り返れば今日登って来たルートが見渡せ、地平線まで晴れ渡っている。北側にはGrand Plateauの広い雪原が広がるはずだったが霧が溜まっていて何も見えない。これは風向きが南でまだ弱い証拠だ。20時には寝たいので時間を無駄には出来ない。まず飯を済ませ霧が晴れた隙にGrand Plateauまで下り、East Ridgeへ取り付くクーロワールを偵察した。何と言うことか、クーロワールは滅茶苦茶に崩壊して、とても人間が立ち入れる場所には思えない。やはり今年は暑すぎるのだ。私がショックを受けていると佐藤がすぐに代案を呈した。我々がビバークするコルはEast Ridgeの末端に位置するのでコルから純粋にリッジを辿れば本来のルートに合流できるはずだ。見るからにボロそうな岩稜で、あれを暗い中登るのは気が引けるが他に道は無いだろう。悲壮感に飲まれないよう景気付けにジンの紅茶割りを飲む。20時ビビィサックに潜り込むとすんなり寝入ることが出来た。

Part 4
 3月1日。午前0時起床。弱い南風。昨夜のガスは消え去り満天の星空。出たばかりの半月がイーストリッジを美しく照らしている。素晴らしいコンディションだ。朝飯を済ませ1時にCinerama Colを出発し目の前の岩稜に取り付いた。見た目どおり岩は脆かったが傾斜の緩い場所を選び上手くごまかしながら顕著な稜線をたどる。イーストリッジは思ったより切り立っており左右の足下は暗闇へと切れ落ちているがスピードアップのためロープアップせずに進む。夜間登攀の良いところは高度感がないので怖くないことだろう。しばらくアップダウンを繰り返すと雪の付いたコルに出た。やっと一息つける。ここで右下のクーロワールから来る本来のルートと合流する。上から見てもクーロワールはボロボロでとても登れそうにない。我々の選択が正解だったことを確信する。ここから傾斜が増し岩と氷のミックスになった。ロープを出したかったが代わりに集中力を目一杯出して乗り切った。とにかく動き続け夜明け前に頂稜に抜けなくてはならない。日が出れば東面の雪壁は緩み危険だ。やっと傾斜が落ち着いたと思ったら今度は雪の三角木馬が現れた。細い、細すぎる。こんなに細い雪稜は見たことが無い。しかも両側は200m以上切れている。怖いので馬乗りになり少しずつ進む。情けない格好で這いつくばっている私を横目に佐藤はなんと平均台歩きで進んでいくではないか。正に神業。真似しようとしたが無理だった。しかしいくらバランス感覚が良いとは言え、突風でも吹いたらどうするのだろう?やはり馬鹿と天才は紙一重と言うことか。せっかく良いペースで来ていたのに思わぬタイムロスをしてしまった。残すは400mの氷壁で、上に行くに従い傾斜が増していく。ここで遅れを取り戻さねば。どうせ休む場所も無いのでアックスをハイダガーで持ちガンガン登る。こう言う氷壁ではフレンチ・クランポン・テクニックを惜しみなく発揮できて気持ちがいい。かたや佐藤はジャパニーズ・ガニマタを崩さない。性格が出る。標高3300mくらいから息が乱れペースが落ちた。急な氷壁にふくらはぎもかなりきていて20歩毎に休みながらでないと続かない。6時、あと50mを残し東の地平線が明るくなり始めた。美しい日の出に見とれている場合ではない。マシーンのように規則的に体を動かしガムシャラに登る。7時、頂稜の3600m地点に出た時には完全に明るくなっていた。目の前にはマウントクック・ミドルピーク(3717m)がそびえたっているが、あと120mをピストンする体力も時間も残ってはいない。稜線上は風が強く、しかも悪天の兆しである西風だったのでろくに休まずすぐさまローピークへの縦走を開始した。途中とんでもないアイスクリフに阻まれ、見事なアバラコフ懸垂で通過。午前9時無事にローピーク(3593m)を踏んだ。

《つづく》

クライミングレポート
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