山行報告
1実施日(期間) 2005年3月12日〜3月13日
2山域 小金沢連嶺
3コース 甲斐大和〜曲沢峠〜大谷ガ丸〜湯ノ沢峠〜黒岳〜雨沢ノ頭〜石丸峠〜上日川峠〜裂石
4山行形態 縦走
5参加者 小野、黒澤
6概要
3月12日
 平野部では、すっかり春めいてきた3月中旬、僕たちは、縦走の起点、甲斐大和の駅に降り立った。線路沿いの桜の芽は、まだ、固くつぼんだまま。あと半月もすれば、咲きだすだろうに。駅から見る周囲の山肌には、雪らしいものは見えない。しかし、この時期、これから目指す山稜は、雪に覆われているはずだ。果たして、ラッセルがどのくらいのアルバイトになるのか?それがすべてのカギを握っている。
 甲州街道を少し戻って、登山口の田野に向かう。日川をさかのぼると間もなく、景徳院に大谷ガ丸山頂にて到着。ここは、かの武田家終焉の地として知られる。登山道は、この中を通って裏手の尾根へと取付く。次第に尾根らしくなり、雪が出てくる。1時間くらい歩いたところでスパッツを着ける。曲沢峠が近づくと、急に雪が深くなったのでワカンをつける。峠で一息入れる。峠から先には、トレースは、ついていなかった。大谷ガ丸への登りでは、以前歩いたときの記憶と赤テープと地形図とを頼りにルートを辿ってゆく。ワカン歩行は思った以上に快適だが、南に面した尾根になると、ところどころ雪が融けていて歩きにくい。米背負のタル付近にて
 大谷ガ丸を過ぎると、俄然、積雪量が増す。3月というのに気温が低いせいか、サラサラの雪質だ。米背負のタルへの下降では、ルートを谷沿いに取り過ぎて、すごい深雪に足を取られてしまった。深いところでは、へそくらいまであった。米背負のタルから少し登り返して、小ピーク上に立つ。ここまでは、いたって順調。このぶんなら予定通り、湯ノ沢峠辺りまでいけるかもしれないと思ったのも束の間、ここで道に迷う。地形図では、ルートは、ピークからまっすぐ北に向かってゆくのだが、おびただしい数のテープが東に続く尾根へとついているのだ。いつしか、ガスが出て、周囲の眺望が閉ざされている。かなり迷ったうえ、とりあえず、テープに従うことにしたが、100メートルほども下ると、プッツリとテープが途絶えてしまった。
 結局、ピークに戻り、北に延びる尾根を下ってゆく。どうやらこれでよいようだ。しかし、平坦な場所に出たところで、再びルートが分からなくなってしまった。時計は、16時を指している。折りしも、小雪がちらちら舞い始める。そろそろこのあたりで幕営してもいいだろう。そう思いながらザックを下ろして付近を偵察していると、ちょうどルートらしきものを発見。それならばと、もう少し先に進むことにする。さすがの小野さんも疲労してきたらしく、遅れがちになる。晴れていたら気分のよさそうな尾根が続く。16時55分、破魔射場丸との鞍部らしきところに到着。ここで幕営する。このあたりで、積雪量は、1m近くあるだろうか。3月だというのに、気温が低い。夕飯は、小野さん準備の温かい料理がうまかった。

3月13日
 4時前に起床。キジ打ちに外へ出たら、東のほうに夜景が見えていた。それにしても、3月と思えないくらい気温が低い。テントを撤収する際に、ポールのジョイント部が凍り付いて、なかなか取れなかった。帰宅後に判ったことだが、あまりの低温と金属疲労のためにポールのジョイント部が裂けていた。完全に折れなかったので、よかったが。
 6時過ぎに出発。しばらくすると、日が出て、山々がモルゲンロートに染まり始める。背後には、巨大な富士山が紅色に染まっている。素晴らしい景色だ。デジカメを出して、写真をモルゲンロートに染まる富士山(破魔射場丸付近から)撮り始めるが、この真冬並みの低温のせいで、調子が悪い。最初は、バッテリーのせいかと思ったが、ついに、ぶち壊れてしまった。
 破魔射場丸を越え、広くゆったりした稜線上を行く。足跡一つない真っ白な雪面にワカンをつけた自分の踏み跡をつけてゆく気分といったらなかった。雪面が、朝の日を浴びて、角度によって、キラキラと光る様は、まるで宝石を散りばめたよう。雪と太陽と地形とが織りなす芸術だ。後ろを振り返ると、我々二人のトレースだけが続いているのだ。
 大蔵高丸を過ぎ、湯ノ沢峠で少し休む。このとき、小野さんは、先へ進むことに少し不安を訴えたが、時間的にもまだ早いし、そのまま進むことにした。今から思えば、これがいけなかった。まさか、山中で日が暮れることになるとは。湯ノ沢峠から黒岳への急登で小野さんのペースが急に遅くなった。黒岳までは、湯ノ沢峠から往復する人がけっこういて、トレースはしっかりついている。黒岳は、名前のとおり、黒木に覆われていて、重厚な雰囲気に包まれている。山頂で休憩し、早めの昼食をとる。
 黒岳から先は、大菩薩峠方面から縦走してきたパーティが1組いて、その人たちのトレースがついていた。稜線上は、冷たい西風が吹き付けて真冬のように寒い。黒岳から大きく下り、牛奥ノ雁ガ腹摺山への登り返しとなる。この辺りから時間が気になり始める。牛奥ノ雁ガ腹摺山からは、いくつかのアップダウンを経て、小金沢連嶺最高点の雨沢ノ頭に到着。この時点で、牛ノ寝通りを経て丹波山村への下山は、時間的に厳しくなった。大菩薩峠から裂石に下るにしてもゆっくりはしていられない。先を急ぐ。
 雨沢ノ頭からは、岩交じりの痩せ尾根となる。ここで意外と時間をくう。石丸峠に到着したのは、15時半。日没の時間が気になってきた。大菩薩峠に向かって歩き始めるが、石丸峠から直接上日川峠に下ることにする。この判断も正しかったのかどうか。歩いたことのないコースだったからである。しばらくは、順調に下っていったが、沢を渡ってからの登り返しが長かった。日は暮れてくるし、ついには、雪が再び深くなり、ラッセルとなった。でも、進むしかない。暗くなる頃、ようやく上日川峠についた。誰もいない小屋前のベンチで休む。ここから裂石まで1時間半。ヘッドランプを出して歩き始める。途中からは完全に真っ暗闇の中の下山となる。遠くの人家の灯がなかなか近づかない。裂石到着19時30分。最終バスは、この20分ほど前に出たばかりだ。最後までついていない。それにしても、無事に下山できてよかった。タクシーを呼ぶと、塩山からあっという間に上がってきた。小野さんには、すっかりしんどい思いをさせてしまった。やはり、湯ノ沢峠から下山していればよかったのだろうが、朝の9時前にそんな判断を下すのは、難しい。色々反省させられる山行だった。その分、充実していた山行でもあり、印象深い山行でもあった。ぜひ、また、リベンジしたい。