Big Wall Climbing Trip In Yosemite National Park Summer/Fall 2005
山田達郎

Part 1
 ビッグウォールクライミングとはより大きな壁を確実に登るために発展した技術で、ある程度以上難しいアルパインルートを志す者にとっては必須科目であろう。ヨセミテはビッグウォールクライミング発祥の地であり、私にとってはいつか訪れなければならない場所であった。
 暑さ真っ盛りの9月1日。二日酔いの私と佐藤は昼の便で成田を発ち、ソウル経由でサンフランシスコへ飛んだ。我々の想像とは違い冬のようにどんより寒いサンフランシスコに一泊し、翌9月2日バスを乗り継ぎ同日午後8時ヨセミテ国立公園に到着した。もう暗いのでクライマーご用達のキャンプ4へ直行するが受付はすでに閉まっていて“CAMP FULL”と書いてあった。事前に調べた情報によればキャンプ4のレンジャーは厳しく、不法キャンプが見つかれば罰金50ドルに公園から強制追放だとか。結局この晩はバスで一緒だったオーストラリア人クライマーのロイと三人でキャンプ場から少し離れたボルダ―の影でビバークすることになった。ところが夜半過ぎロイに起こされた。なんとレンジャーがサーチライトで不法キャンパーを探しているではないか。身を伏せ、息を呑む。5メートルも離れていないところをレンジャーが通る。まるで映画のワンシーンの様で少し目眩がした。鼓動が激しくなり音が聞こえてしまうのではないかと思ったが、上手い具合に藪が影になり気づかれずに済んだようだ。隣を見ると佐藤がまだ寝息を立てている。まったくなんて幸せなやつだ・・・。レンジャーの執拗な捜索は朝方まで続き、結局殆ど眠れないまま我々のヨセミテライフは幕を開けたのであった。
 9月3日。キャンプの受け付けを済ませテントを張るとやっと落ち着いた。昨晩はなんと恐ろしい所に来てしまったのかと思ったが、金さえ払っていれば安心、デカイ顔ができる。夜は寒かったが昼間はイメージどおりカラッと暑く気持ちが良い。やはりヨセミテはこうでなくちゃ。
 9月4日。早速第一の目標であるワシントンコラムの“PROW”と言うルートの偵察兼FIXに出かけた。3ピッチくらいなら半日もあれば良いと思い昼過ぎに出発したが甘かった。C1のピッチをリードするのに2時間もかかってしまい、佐藤がクリーニングを終えたときには日が暮れていた。結局1ピッチしかFIXできずエイドクライミングの遅さを思い知った。キャンプ4へ戻り明日のGO UPに備え荷物を軽量化してシステムを見直してから床に就いた。
 9月5日。朝3時起床、4時出発。キャンプ4からワシントンコラムまで2時間弱のアプローチを巨大で重いホールバッグを交互に背負いながら歩いた。熊も怖いがホールバッグごと滑落するのはもっと怖い。取り付き直下の微妙なスラブは薄明るくなるのを待ってから通過した。6時半、昨日FIXしたロープのユマーリングと荷上げを開始。これまた時間がかかる。2ピッチ目は佐藤がリードしたがやはり2時間かかった。クリーニングと荷上げ込みで1ピッチ3時間かかる。日の出から日没まで登っても1日4ピッチしか進まない。フリークライミングでは考えられない遅さに面食らった。この日は5ピッチ目の終了点でビバークとなった。二人ともポータレッジで寝るのは初めて。借り物で旧型だったため、先ず建てるのに苦労したが乗ってしまえば快適そのもの。多少揺れるが、どうせ夜は真っ暗で下も見えないので怖くもない。夕食はパスタの缶詰を冷たいまま食べるが、これがなかなかどうして結構イケる。疲れもありすぐに熟睡できた。夜明け前に寒さで目が覚めた。軽量化の為に寝袋ではなくダウンウエアの上下だったので足と頭が特に寒かった。その上用意してきた朝食はα米の白飯を水で戻すだけ。体の芯から冷えて全く食う気がしないが、これから始まる重労働のことを考え無理やり詰め込んだ。日が昇り高所単純作業2日目が始まった。砂漠性の気候で日照時間帯は本当に暑い。ついさっきまでガタガタ震えていたのが信じられない。一度脱水状態になると食料も水も喉を通らなくなりバテる一方だ。1ピッチリードして荷上げするともうヘトヘトで、ビレイ中など喋るのも面倒だ。その辛さと言ったら過去の悪行を全て精算させられているようで、一秒でも早く抜けられるようただただ作業を繰り返した。2日目も相変わらず4ピッチしか進まなかったが広い外傾テラスに泊まることができたのでビバークの準備は昨晩に比べ遥かに楽だった。また寒い夜が来て、日が昇る。冷たいα米はホープレスだが、あと2ピッチでで終わると思うと嬉しかった。
 9月7日午前11時。ヘロヘロになりながらもワシントンコラムの頭に達した。残念ながら思っていたほど嬉しくはなかった。ビッグウォールは苦労の割に達成感が少ない遊びのようだ。「二度とやらんぞ」と腹を決め、最悪の下降路を歩きと数回の懸垂下降を交え下る。途中何度かホールバックと心中しそうになりながらも15時半に無事ハイキング道に戻り、やっと3日間の苦行が終わった。
 キャンプ4へ帰る途中、さっきまでの辛さを既に忘れかけている自分に気が付いて驚いた。クライマーとはなんて馬鹿な生き物なんだ。いや、辛かったが故に「こうしたらもっと楽になるんじゃないか?」と発想が生まれ、それを実践する為に次なる目標に向かうのだろう。何だかんだでビッグウォールの興味深さを発見できたようで嬉しかった。どうやらこれでヨセミテライフを謳歌することができそうだ。

Part 2
 9月9日、信州大学生の高橋が日本から合流した。ワシントコラムのThe Prowを登ってビッグウォールの洗礼を受けた我々の次なる目標はかの有名なエルキャピタンであるが、高橋も我々同様今回がビッグウォール初体験だったので、いきなりエルキャプは大丈夫か?という議論になった。しかし一つの壁を登ると膨大な体力とモチベーション、そして時間を消耗するビッグウォールの性質上、無駄撃ちはできない。充分な準備をした上でエルキャプをやることになった。壁を下から偵察した結果ルートはMuir Wall~Triple Directへつなげ最後はNoseのヘッドウォールへ抜けることで決着。
渋滞に巻き込まれることなく三つのクラシックルートの美味しい所だけを採った合理的なラインだ。全31ピッチ、最高ピッチグレードはC2+、5.8。予定6日間。
 まる一日を食料の買出しやギアの整理に費やし、9月11日Muir Wallの下部4ピッチを登り、荷上げとフィックスを済ませた。下りたら深夜だったが三人で登ることの問題点や利点が見えてきた。システムの構築を上手くすれば二人より遥かに早く登れそうである。翌日はレスト兼シュミレーションに充てた。散々議論した挙句壁にビールを持ち込むことになり4日間3人分のビール4.2リットルを買い足した。荷上げの負荷は増えるが一日の終わりにゴールがあればもっと頑張れるだろうという理論だ。
 9月13日、午前三時起床、四時にキャンプ4を出発。6時半エルキャプ基部に到着するや否や三人して用足しに出かけ、一週間弱の空中生活に出かける準備が整った。7時、ゴーアップ。四ピッチ分のフィックスロープを一気にジャグアップしクライミング開始。永遠に左上するルーフコーナーをマイクロカムの連続で進む。高橋がリード中クライミングシューズを落としてしまい。私がリード交代。4ピッチ登り、8ピッチ目のボルトアンカーでビバーク。2台のポータレッジを上下に建てると2段ベッドみたいでなんだか楽しい。ビールを開けるのは寝る準備が全て整ってから♪酒好きなりの安全対策である。プシュッ・・・・・・かーっ、最っ高!
 9月14日、午前5時起床。前回の教訓を活かし防寒対策も完璧。朝食もバーナーを持ち込んで温かいα米に自作したセロリの漬物で食も進む。キャンプ4でベテランクライマーに教わった通りリード、クリーニング、ホーリングと分担して日替わりで担当するとそれぞれが自分の仕事に集中できスピードアップにつながることが判った。ビールも正解のようで、それはもはや神聖化され暑さ辛さに立ち向かう為の大きな柱となった。この日は4ピッチ登りマンモステラス上の素晴らしい岩のレッジでストップ。明日の為に次の1ピッチをフィックスしてから就寝。やっぱ平らはイイ。
 9月15日。快晴。今日は私がリード担当。ここからはフリーのピッチが多くなるのでスピードアップのチャンスでもあるが、慣れていないワイドクラックなどは覚悟して望む必要がある。昨日フィックスした1ピッチを駆け上がり次の2ピッチを60mいっぱい伸ばしてつなげた。上部のフレアードチムニ―はプロテクションがとれずシビレたがかなり時間を稼ぐことができた。更にC1~C2と2ピッチ進むと左上にThe Shieldというルートと分かれThe Noseめがけて右にトラバースしていく。振り子とフリーを交えカンテを越える2ピッチ分のこのトラバースでは風が強くコールが通らず苦労した。そしてトラバースでのクリーニングと荷上げの恐ろしさも痛感した。今日はなんと7ピッチを稼ぎ、なかなか広いレッジでビバークとなった。ここでTriple Directをソロで登っているジェフというシアトル在住のアメリカ人に遭遇した。ジェフは年の頃40代前半で、今日で壁に取り付いて一週間経つと言う。見た目に結構消耗していて、現に今日も2ピッチしか進んでおらず、抜けるのにあと5日はかかると言うが、「イヤんなっちゃうよ」とか言いながらもヘラヘラしているので、私はビッグウォールをソロでやる人ってのは少し変わってるな、と思った。
 9月16日。快晴。今日からルートのハイライトであるThe Noseのヘッドウォールに入る。リード担当の佐藤は朝からいつもと違う気迫を漂わせている。よほど早く抜けたいのだろう。残り13ピッチ。今日7~8ピッチやっつければ明日で終わる。片や昨日一日リードしていた私は疲れが抜けずフォローするのもままならない状態だ。こう言う時は体ではなく頭を使いシステムを円滑に動かす為の頭脳になる。こうしてスピードを落とすことなくこの日も無事に5ピッチ進み、更に2ピッチフィックスすることができた。
 9月17日。壁中5日目ともなるとかなり疲労が蓄積されていて、朝起きるのが本当に辛かった。しかしここまできたらヤルしかない。なんと言っても今夜の分のビールは用意していないのだから。初日にクライミングシューズを失いリードできない高橋に代わり私がリードする。どこにもない気力をひねり出し、この4日間で構築したシステムを最大限に活かす。食料や水が減り荷上げもかなり楽になっているので、ぐんぐん進み残り8ピッチを順調にこなし、16時ルートの終了点に達した。相変わらずそれほど嬉しくはないが、やっと開放されたと言うなんとなく負の喜びが大きかった。やはり無駄に辛すぎるのだろう。しかもエルキャプの頂上はすぐそこかと思いきや、未だに重いホールバッグを背負って更に1時間程歩いて登らなければならなかった。頂上はなだらかな禿山で、ちょうど夕暮れのそこはまるで月の上にいるようで幻想的だった。残った食料を一気食いし、すぐに下山を開始した。下降に選んだ一般トレイルは想像以上に長く、ホールバッグの重さと靴擦れに苦しみながら4時間半かけて翌9月18日0時、117時間ぶりのキャンプ4に帰着した。

クライミングレポート
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