趣味の引き出し


 私の趣味はアマチュア無線です。ちょっとネクラな親父の趣味と思われています。でも昔から”King of Hobby”といわれるだけのことはあります。
 実際、仕事において大学での専攻は基本にありますが、それに枝葉をつけたのはアマチュア無線です。高周波(Radio frequency)と低周波(Audio Frequency)の違いはあるものの電気はプラスからマイナスに流れるという大原則はかわりません。
 物事の原理原則を学び、技術を身に付けられます。単純にMICに向かってしゃべるだけの趣味にしなければ・・・とお断りしておきます。


アマチュア無線今昔物語 コーヒーブレイク(私のアマチュア無線史) 私の取得したアワード紹介
イントロダクション 144MHz−100局賞
JA4QQJ開局 JCC-700賞
500W免許(7M4AOE開局) WAC
今まで使ったアンテナの紹介
ADXA
WAZ
DXCC

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アマチュア無線今昔物語
 その昔、といっても私の記憶にある頃の話です。今のようなトランジスタ・ICはなく、その役目を真空管が果たしていました。真空管にもST管、GT管、MT管と時代と共にコンパクトになりました。MT管の頃になるとB電池という40Vくらいの乾電池を利用した携帯ラジオも発売されていました。この時代ですと、回路図の読める方は自分で部品を集めてラジオやTVを製作していました。TVのキットもありました。
 その頃の電気の好きな方は自身で送信機と受信機を真空管で製作し短波帯で電波を飛ばし交信していました。もっとも、私が知っていただけで私にそういった技術があったわけではありません。(まだ私は子供でした。)
 やがて、昭和40年代になると、アマチュア無線用の通信機が市販されるようになりました。またアマチュア無線連盟による講習会制度を利用して電話級アマチュア無線技士の資格を取得する道も開けました。そういう環境のもとで、電気・科学に興味のある若者はこぞって資格をとりました。
 昭和40年代後半にはトランジスタを使った無線機が現れました。しかしながらまだ送信管は真空管が健在でした。そしてこの頃になってVHF帯の50MHzの通信機(トランシーバー)が発売され、小さな設備でも運用できることから多くの入門者がこの50MHzからアマチュア無線を始めました。まだこの頃はハンダこてが使えれば、自身で無線機の中をいじりまわすことも可能でした。
 昭和50年代になると144MHzが盛んになりました。50MHzより小さなアンテナで地上波(グランドウェーブという)はかなり遠方まで届きます。「私をスキーに連れてって」という映画が上映され、アマチュア無線に火が付きました。ある意味、マイクのスイッチを押しておしゃべりを楽しむ、あるいは仲間との連絡用に使うといった方が多くなりました。それにつれ、資格の取得も容易(試験問題が簡単になったと私は思っています)になりアマチュア無線はバブルを迎えます。
 仲間が増えるというのはうれしいことですが、「私をスキーに連れてって」ののりでライセンスを取得した局とVHF帯で交信を実際にしてみると私は違和感を覚えました。現在のケータイ電話の会話と大差ありません。相手が顔見知りかそうでないかの違いくらいでしょう。
 ですから、ケータイ電話が普及してくるとこういった方たちはアマチュア無線をやらなくなってしまいました。ある意味、本当のアマチュア無線の楽しみを知らないで止めてしまったわけです。アマチュア無線とケータイ電話を同レベルで論じる事自体がおかしな話だと思います。
 なんだかんだといっても、ケータイ電話がおしゃべりの好きな若者を取り込み、パソコンが科学好きの若者を引き込み、現在アマチュア無線が危機的状況にあることには間違いないでしょう。そういう意味では、若者にそっぽを向かれた日本の製造業も同じです。

私のアマチュア無線史

イントロダクション
 その昔、小生が小学生だった頃はプラモデルに夢中になっていました。毎月もらう小遣いの大半はプラモデル代に消えていました。買って読む雑誌は「模型とラジオ」でした。この雑誌は記事のうち半分が模型の工作、残り半分が簡単な電子工作でした。雑誌を読んでいる内に電子工作に興味を持つにはあまり時間はかかりませんでした。雑誌の広告にもアマチュア無線の国家試験用の通信教育がありました。しかしながら、通信教育の受講費用は小学生の小遣いで手の出る金額ではありません。しかたなく本屋でアマチュア無線国家試験用の本を買って勉強しようと考えました。
 まず、買ってきた本の最初を読んで見ました。「エボナイト棒」を「絹布」で擦ると静電気が発生する、という内容だったと記憶しています。しかしながら、当時の小学生に「エボナイト棒」の何たるかが理解できるはずもありません。あえなく挫折してしまいました。
 この頃作ったものといえば、ゲルマニュームラジオと1石レフレックスラジオでした。ゲルマニュームラジオは電池が必要ありません。出来上がって、クリスタルイヤフォンからNHK第1放送が聴こえた時は腰が抜けるほど感動しました。しかしゲルマニュームラジオでは、当時電界強度の強い大阪に住んでいたにもかかわらず、NHKしか聴こえません。
 1石のレフレックスラジオにするとラジオ大阪が聴こえます。これはキットを半田付けしたものでしたが、ロッドアンテナのところにエナメル線をつないでよく聴こえるように工夫をしたりしていました。エナメル線の塗料をはがして、団地のガス管に巻きつけたら更によく聴こえました。Hi
 そんな折、本屋に行ったら「模型とラジオ」が売り切れていた事がありました。「模型とラジオ」のあった位置に「CQ ham radio」がありました。特集のタイトルは「スタンバイ6m」で表紙は50MHzの5エレのキュビカルクワッドアンテナの写真でした。当時の「エボナイト棒」で挫折した小学生に「スタンバイ」の意味はおぼろげながら分かったにしても「6m」が波長をあらわしているなぞ分かる訳がありません。キュビカルクワッドの写真をみてもそれがアンテナだとは思わないし、脇に掲載されていたスミスチャートも「猫に小判」「馬の耳に念仏」でした。でもこの本、大阪の日本橋の電気屋さんの広告が沢山掲載されていて、訳がわからないなりに広告を読んで楽しんでおりました。

JA4CPZ藤田先生との出会い
 中学校にあがり、部活動が始まりました。本来「ウンチ」(*)な小生は運動部には参加せず、美術部なぞに入っておりました。もちろん、女性目当てではありません。当時は純粋にデッサンをしたり油絵も描いていました。
ウンチとは運動オンチのこと。音程がとれない人をオンチといいますが、その運動オンチ版。
 2年生になったときに小生と同じ苗字の先生が転勤で私の通う中学校に来られました。この先生が「無線部」を立ち上げ、その年に数名の「電話級アマチュア無線技士」が誕生しました。無線局も開設、JA4YKPというコールサインを取得していました。3年生になった時に美術部が女子部員ばかりになって自分の居場所がなくなったのもあって、「無線部」の門をたたきました。
 当時の無線機はAMが主流でトリオ(現在のケンウッド)のTX-88A(送信機)と9R59(受信機)でした。TX-88AにVFOはなくVFO-1というVFOを付けるか、水晶発振子をいれて目的の周波数の電波を出していました。
 まだライセンスを取得していない生徒はそれを横目でながめながら、藤田先生の電気工学の授業を受けていました。
 文化祭の出し物は、50MHzでの模擬交信でした。先生の改造したTAXI無線機とトリオのTR-1000というハンディトランシーバーで実際に電波が届くか試験をしました。藤田先生が「変調をかけてみろ」といわれ、いったい何が起こるのかと固唾を飲んで見ていると「本日は晴天なり・・・・」と有資格者がマイクに向かってしゃべりました。「うーん、変調をかけるとはこういうことだったのか」と一人で納得してしまいました。
 アマチュア無線連盟が主催する講習会に参加すれば資格が取れることが分かり、3年生の秋に、日数の短い短縮コースを申し込もうと思いました。短縮コースの前には工学と法規の簡単な試験(選抜試験)があります。この試験に合格することが、短縮コース受講の条件でした。
 自転車を1時間こいで、当時のアマチュア無線連盟岡山県支部長JA4KI吉岡OMの自宅まで選抜試験の申し込み用紙をもらいに行きました。選抜試験はそれなりに出来たつもりだったのが、結果は工学のみの合格で、短縮コースを受講するわけにはいきませんでした。
 結局、高校入試が終わってから猛勉強を開始し、大阪の電通大で電話級アマチュア無線技士の国家試験を受けました。どうして大阪かというと、当時父親が大阪に単身赴任しており、大阪駅までたどり着けば試験会場までは親父が連れて行ってくれたからです。
 
  JA4QQJ開局
 実は小生の兄が1年先行して電話級アマチュア無線技士資格を取得してJA4MMIというコールサインで開局していました。弟の私もライセンスを取得できれば、兄がアルバイトで購入したトランシーバの代金を両親が出すということになったようです。
 高校生になった小生のもとに国家試験の結果が届きました。「合格」です。早速、免許証の申請、免許状の申請と滞りなく進め、その年の8月にJA4QQJというコールサインで開局をはたしました。兄から1年使って飽きた50MHzのトランシーバーを借り受け、夏休みは「CQ、CQ、・・・」の毎日でした。ただ学校の成績が1学期に急降下していたために、結構学業も手を抜かず頑張りました。
 この時代、中学生・高校生ではアマチュア無線のライセンスを取得するのがひとつのステータスのようにも感じられました。CQ ham radio誌には毎月コールブックの速報版が付録で付きました。これのには、住所・電話番号・勤務先(学校)・年齢まで詳細に載っていました。個人情報保護法が施行された今日では考えもつきません。のどかでよかったと感じるのは小生だけでないはず。
 当時大学生の兄はアルバイトをしては無線機を購入していましたので、それを借用して交信をしていました。無線機には不自由しなかったのですが、高校生だったため、アマチュア無線連盟(JARL)会費の支払能力がありません。JARLの会員になるとQSLカードを転送してくれるサービスが受けられます。交信証(QSLカード)も最初の頃は官製はがきにサインペンで絵を描いて、交信データを書き加えて郵送していました。
 
 高校の無線部
 その当時、高校には名前はいろいろですが、アマチュア無線を活動の一部にしている部がたいてい存在していました。私の進学した高校にも放送部という名前の、実態はJA4YJNというコールサインのアマチュア無線クラブがありました。部員のほとんどがアマチュア無線技士の資格を有していました。学校の入学式、卒業式、体育祭といった行事の時だけ、放送部の活動をします。それ以外は「CQ,CQ,・・・」の毎日です。
 しかし、アマチュア無線の魔力にとりつかれ、学業をおろそかにして大学受験に失敗した話を耳にし、進級するにつれ自重するようになりました。この頃は工学系の学部に進学したい希望がありましたが、数学が苦手な小生にとって何ともしがたいことでした。
 
 大学生活
  そんなわけで受験は私立の文科系の学部を選択しました。しかしながら片っ端から桜が散ってしまい、結局近くの国立大学2期校の農学部にもぐりこみました。しかしながら、この大学にはアマチュア無線部なるものは存在しませんでした。
 大学生になってアルバイトも自由にでき、金銭に余裕が生まれたので自分の無線機を購入しました。トリオのTS-520を中古で入手しました。しかしアンテナを下宿では張れないため、144MHzのトランスバータをつないでもっぱらVHFの運用でした。知り合った先輩をけしかけ無線部設立を考えたものの、乗り気でない先輩を動かすことはできず、下宿の一間でアマチュア無線を聞くだけの日が続きました。
 TS-520にCWフィルターが取り付けてあったことからCWのライセンスに挑戦するきっかけを得ました。まず電話級から2級アマチュア無線技士を目指しました。当時の国家試験はまだ記述式でしたので鉛筆をころがして答えを書くというわけにいきません。それと実技試験の際にモールス受信が試験会場の後ろの方の席で音がよく聞き取れないのと、更に実技試験(受信)の解答中に鉛筆が折れるというアクシデントにみまわれ、あえなく不合格となりました。
 その半年後にひとまず電信級アマチュア無線技士の資格をとり何とかリベンジを果たしました。
 
 第3級アマチュア無線技士
 農学部で食品を専攻していましたので、そのまま食品会社に何も考えることなく就職を決めてしましました。就職してからというもの仕事に追われ、はたまた結婚、長男誕生と無線どころではない毎日が続きました。車だけにはVHFのトランシーバーを積んで「CQ,CQ、・・・」が出来る体勢だけは維持していました。
 そのうち、資格が整理され電信級アマチュア無線技士が第3級アマチュア無線技士と改称され出力が25Wまで許されるようになりました。たまたま、その当時に戸建て住居を手に入れたのも手伝って押入れの奥からTS-520を引っ張り出してHF帯で「CQ,CQ,・・・」を再開しました。
 しかしながら、浦島太郎の心境がよく分かります。交信の会話を聞いていても耳慣れない単語が出てきます。これではいけないと勉強を開始しました。ただどうせ勉強するならと上級試験を受けることにしました。当時、第2級アマチュア無線技士の国家試験は選択式になっていました。鉛筆をころがしてても解答できます。
 
 第2級アマチュア無線技士
  昔とった何とかで一発で合格しました。さて2アマになったら出来ないと馬鹿にされると思っていたことがあります。それは電信(モールス符号による交信)です。電信級の時に144MHzで少し交信はしたものの実用になるレベルでないことは実感としてありました。
 「聞くは一時の恥じ、聞かぬは末代の恥じ」ということわざもあります。CW(モールス符号)交信の講習会に参加することにしました。アマチュア無線連盟茨城県支部主催で、毎年水戸で開催されている講習会です。講師はJH1DLJ田中OMです。
 「2度とこの講習会に来ないでくれ」と妙な励ましをいただき会場を後にしました。ここからの面白い話はA1クラブのHPに掲載されています。
 
 第1級アマチュア無線技士
 アマチュア無線連盟ではいろいろな賞(アワード)を発行しています。144MHzでCWモードで100局交信すると賞をいただけます。コンテストに参加すれば簡単に完成するだろうと始めましたが、70局ほど交信したあたりから頭打ちになりました。CWモードで出て来る無線局は関東地方広しといえど同じ局ばかりです。もっとも電信ですから関東地方以外にも電波は飛んでくれます。
 普段の144MHzのCWを聞いていると和文電信が聴こえます。何を交信しているのかさっぱり分かりません。当時、第2級アマチュア無線技士ではCWは欧文(アルファベット)の受信ができれば、実技試験に合格できます。ですから和文は出来なくても資格取得に関していえば問題外なのです。
 144MHzでCWをしようと和文の電信符号を覚えることにしました。ただ覚えるだけではもったいないので第1級アマチュア無線の資格に挑戦することにしました。しかしながら人事異動があったりで、受験の申し込みをしても会場に行けなかったりで、志してから目的を達成するまで約3年を要しました。
 第1級アマチュア無線技士の資格をとれば当然「だしてみたいな500W」という境地に陥ります。
 
 500W免許(7M4AOE開局)
 無線局には2種類あります。移動できる局(出力50Wまで)と固定局(出力は資格により異なるが、第2級アマチュア無線技士で200Wまで許可になる)です。JA4QQJは移動できる無線局です。私は移動できる局の免許しか有していませんので、500W出力するには固定局を開設することになります。

 人口の多い関東地区はコールサイン(識別符号・呼出し符号)が不足していて“J”で始まる符号以外に“7”で始まる符合があります。私は出来るだけコールサインの頭に“A”をつけたかったので”7L4“が終了する時期を見計らって開局申請を出しました。この時点でだいたいのコールサインの予想をしました。7M4A**というコールサインです。

 大抵の方は資格を順にとって変更申請をしていくために開局時に落成検査を受けることはないのですが、私の場合はいきなり500Wでの開局となりますので落成検査を受けることになります。

 まず、アンテナの設置が可能な3.5MHzから28MHzに関してすべて500Wで申請しました。これに対して総務省から予備免許状が送られてきます。それから試験電波をだして近所に電波障害がないか調べることになります。

 私のこの時の設備を紹介します。無線機はケンウッドTS-850S リニアアンプはICOMのIC-2KL、アンテナは3.5MHz(3.8MHz)7MHzはバーチカル、10MHz・18MHz・24MHzはダイポール、14MHz・21MHz・28MHzは八木した。しかしながら18MHzは近所の電波障害を押さえ込むことが出来ず、100Wに変更しました。この手続きは予備免許状の変更という形式はとらず、予備免許状が18MHz、100Wに変更されて再発行されます。それに対して、落成検査ということになりました。

 さて落成検査ですが、関東地方ですので総務省関東総合通信局から技官と事務官が各1名ずつ来られます。(3回目の変更検査では技官が2名でした。)事務官が無線局に立会い、つまりは私の後ろで無線局の操作を監視しています。技官はTVの前で障害の有無をチェックされます。TVに障害があるようだと電話機、ステレオと調査の対象が広がります。

 1回目の開局落成検査のときは無線機の横にTVが置いてありました。これは私が障害の程度をチェックするためにおいていたもので何の対策もしておりませんでした。「いいとこにTVがありますね。折角ですから、このTVで確認しましょう。」となりました。「では3,5MHzから・・・」キーダウンしたとたんTVの画面が真っ白になりました。もちろん私の頭の中も真っ白に・・・。ただアンテナ回路にハイパスフィルターを入れ、コンセントにコモンモードフィルターを入れればおさまる事は確認済みでした。ところがハイパスフィルターは隣の家のTVに取り付けてしまって手持ちがありません。どうしよう・・・。

 技官が「いろいろ対策をされているようですし、知識もお持ちのようですので、このTVの障害が止められれば検査は合格としましょう」と言ってくださいました。すぐさま隣家に行ってハイパスフィルターを借りて来たのはいうまでもありません。

 これから落成検査を受けられるアマチュア無線家にアドバイスします。アンテナはすべて電波が出せる状態にないと駄目です。つまりアンテナの用意出来ていないアマチュア無線の周波数帯は免許が許可されません。例えば、3,8MHzは3.5MHzのアンテナでカバーできれば免許になりますが、そうでない場合は別に必要になります。私の場合はバーチカルでしたので延長コイルのインダクタンスを変えて検査を受けました。ただこれが1.8MHzと1.9MHzにも当てあまるのかということについては関東総合通信局に問い合わせてみましたが、その時の技官の裁量に任されているということで明確な回答はいただけませんでした。

 免許をおろすだけならマルチバンドバーチカルのようなアンテナを1本用意して試験に臨むほうが簡単でしょう。ただ実際の運用となるとマルチバンドバーチカルでは「アリゲーター」になってしまいます。アリゲーターとはワニのことです。ワニは口ばかり大きくて耳が小さいことから来ています。

 やはり大きな出力を出すには、志向性のあるアンテナを使って弱い電波をキャッチできるようにしたいものです。その弱い信号に対して大きな出力で呼べば相手も気づいてくれるというものです。強力に入感している無線局を呼ぶのにわざわざ大きな出力を出す必要はありません。

 ただ沢山アンテナを配置するとそのアンテナ同士の影響を考慮しないととんでもない電波障害を引き起こす事になりますから注意が必要です。

 この辺りの実験をまとめたものが以下の雑誌に掲載されています。参考になさってください。
 月刊「ファイブ・ナイン」 2005/2月号
 CQ ham radio 2005/4月号
 CQ ham radio 2005/7月号
 
最近の運用状況
 国内QSO(交信)はJA4QQJ/1のコールサインで主に週末に10MHzでのCW運用が中心です。秋から春にかけて平日夜1.9MHzでも電波を出します。
 外国とのQSOは7M4AOEのコールサインで朝夜時間を見つけて主にCWで行っています。
 コンテスト(決まられたルールの基で、決まられた時間内にどれだけ多くのアマチュア無線局と交信できるかを競うもの)は余り時間が取れないために、短時間で終了する地方レベルのコンテストとワールドワイドに実施されるコンテストに冷やかし程度に参加しています。地方レベルのコンテストでも入賞はそれなりに難しいものです。
 おやじの趣味となってしまった感があります。私は隣町のアマチュア無線クラブに籍を置いています。ここはおじさんの溜まり場となっています。無線を酒の肴にしてワイワイと楽しんでいます。HPを観てください。


今まで使ったアンテナの紹介

 最近は昔ハムだった方が再びアマチュア無線を始めるという事が多いようです。こういった方は原理原則をわきまえておられるので無線機器を揃えるのにそれほど迷うことはなかろうと思います。そうはいっても、雑誌は広告を掲載していますから、広告主に不利益になる記事は掲載しません。
 私が過去に使ったアンテナを主観を交えて紹介します。

V-2jr(ナガラ電子)
 7MHzと21MHzの2Bandバーチカルアンテナです。まずHF帯に出てみようと思われる方にお薦めです。全長5mで1.6kgという軽量も手伝って、1人で簡単に設置出来ます。
 単身赴任先で設置して10Wながら21MHzCWで香港まで飛んでくれました。

V−5jr(ナガラ電子)
 V−2jrで物足りなさを感じたでので使ってみました。3.5MHz・7MHz・14MHz・21MHz・28MHzの5Bandバーチカルアンテナです。
 全長は6.7mですから、3.5MHz帯でのSWRは最低が、私の場合1.6でした。その帯域は非常に狭いものです。またトラップで電気的にエレメントを切り離していますから、28MHzでの受信感度は大きさの割りにそれほど期待できません。
 良いところは、アンテナ同士の干渉がなく容易に5つのバンドに出られるということでしょうか?

HF−2V(バターナット)
 U.S.Aの製品で、現在は生産中止の憂き目にあっています。後継にHF−3Vというモデルが販売されています。
3.5(3.8)MHzと7MHzの2Bandのバーチカルアンテナです。途中から1.9(1.8)MHzのコイルを追加して3Band出られるようにしてあります。
 このアンテナの特徴はコイルの全長を変えることで中心周波数を簡単に変えられます。ですから、3.5MHzのバンドから3.8MHzに変更するときはコイルの片側を少し移動させればマッチングします。
 その為、500W免許を卸す際の落成検査では、コイルに印をつけておいて送信試験の前にコイルをずらすだけで試験に合格できました。1.9MHzのバンドも同様にすれば1.8MHzにマッチングします。
 1.9MHzでのSWRの最低点は先述のV−5jrの3.5MHz同様にピンポイントでしか下がりませんので、出られるというだけと認識してください。
 このアンテナは10数年使用していますが、オーバーシー(外国との交信)も可能ですし、ダイポールアンテナを設置できない私にとっては究極のローバンドアンテナです。

CY153(クリエートデザイン)
 21MHzモノバンド3エレ八木アンテナです。ルーフタワーに載せる事が出来、100WSSBでアフリカと交信できました。
八木アンテナは近くにある建物・金属に影響を受けて、SWRが下がらなかったり、ビームパターン(指向性)がみだれます。他のバンドには出れませんので、21MHzで外国と交信した方にはお薦めです。
 エレメントの長さを変えることで24MHzにも出ることが可能です。

TA−341(ナガラ電子)
 14MHz・21MHz・28MHzの3Band八木アンテナです。給電部はHB9CVと同じ位相給電になっています。TA−351の下位モデルという位置づけでしょうか。回転半径がTA−351の5.25mに比較して4.4mと小さいのがありがたいです。
 重量は22.5kgあります。ルーフタワーにも載せることは可能ですが、ステー(支線)はしっかりとる必要があります。
 フルサイズのモノバンド八木アンテナに比較すれば、性能面で劣るのは明らかです。ただ無指向性のバーチカルアンテナに比較するとS/N比はメーター2〜3目盛り分向上しました。
 10数年使用しています。ナガラ電子はその昔、モズレー社のアンテナを販売していたように記憶しています。

T59GX-3040(ナガラ電子)
 7MHzから28MHzまでの7つのアマチュアバンドを1つのアンテナでカバーする八木アンテナです。7Mhzと10MHzはダイポールアンテナです。14MHz・21MHz・28MHzは4エレ八木アンテナ動作、18MHz・24MHzも4エレ八木アンテナ動作です。4エレ動作の給電部は位相給電です。重量は45kgです。一人で設置するのは大変です。
 回転半径は6.21mで、住宅地で設置するにはちょっと大きすぎる感じがします。

RN3DX(ミニマルチ)
 10MHz・18MHz・24MHzのWARCバンド用3バンドロータリーダイポールアンテナです。
 アルミパイプの接合面の遊びはナガラ電子のアンテナに比較すると大きいです。だからといってSWRが高いとかということはありません。回転半径の問題から固定して使っていました。

RVN-3DX(ミニマルチ)
 RN-3DXをV型ダイポールにしたものです。Vの角度は45度です。その為、回転半径が小さく、TA-341の上に載せて使用していました。
 SWRはTA-341の上に載せた状態で干渉も少なく、問題はありませんでした。ただV型でないダイポールアンテナに比較すると指向性が少ないように感じました。
 V型の為、エレメントの端は高い位置にあります。そこに落雷があり短い命となりました。

R301EX(ミニマルチ)
 10MHzのモノバンドロータリーダイポールです。延長コイルが入っているためエレメントの長さはフルサイズに比較して短くなっています。両端のエレメントをキャパシティハットに変更すれば、回転半径4.3m程度になります。
 キャパシティハットは注文の際に申し出れば、その仕様にしてくれるものと思います。私の場合、回転半径が、CQ誌の紹介と違うと申し出たら、キャパシティハットを送っていただけました。
 現在、ミニマルチ社のHPにはこのアンテナの掲載がありません。生産中止なのかスペースの都合上割愛されたかは不明です。

T2-3VX(ナガラ電子)
 18MHz・24MHzの2Band3エレメント八木アンテナです。RVN-3DXの落雷後に設置しました。
 やはりロータリーダイポールに比較すると、格段の差があります。いままで聞こえなかった信号がはっきり聞こえます。回転半径3.9mで重量が13.6kgです。タワー上のアンテナマストの下から約4mの位置に取り付けました。いま現在まで、マストが曲がるということはありません。

2x209A(クリエートデザイン)
 144MHzの9エレメント八木アンテナのスタックです。
 設置する場所が周囲の影響を受けない所でないと指向性はきちんと出ないようです。学生時代に、アパートの軒先からちょっと出しただけでは指向性は出ず、全く駄目でした。それよりも3mほど高くしてGP(グランドプレーン)アンテナにしたほうが良く飛んだ記憶があります。
 また21MHzの3エレ八木アンテナの上に載せたときは、3エレの指向性が全くなくなってしまいました。このアンテナが悪いという事ではなく、設置環境が問われるということです。きっと単体でタワーの上に載せれば充分性能を発揮すると思いますが、今時点では144MHzのアンテナにそこまでする熱意がありません。





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私の取得したアワード

代表的な物を紹介します。

144MHz-100局賞

 1アマ取得のきっかけを作ったアワードです。144MHzで100局交信するのはコンテストに参加すれば簡単と考えていましたが、実際70局を越えたあたりから1度交信したことのある局ばかりになってしまいました。
 当時144MHzでは和文を好んで運用する局も多く、こういった局と交信しなければ達成できないと考えました。どうせ和文を覚えるなら1アマを目指そうということになりました。

JCC-700賞

 日本の数ある市のうち700市と交信してQSLカードを得ると申請できます。
 平成の大合併によって日本国内の市の数は784(2008年5月1日現在)です。その内の700市のアマチュア無線局と交信してQSLを受領したということです。
 10MHzCWというのは「特記」で、すべての交信を10MHzBandの電波を使って電信で行ったというものです。コンテストが10MHzの周波数で実施されることはありませんが、このバンドは移動して運用する局(移動局)が多い為、週末になると移動局の追っかけをします。移動局側もアマチュア無線局の少ない市を捜して運用するとパイルアップといって同時に複数のアマチュア無線局から呼ばれることになります。これがアマチュア局を運用する中で楽しみのひとつでもあるのです。

WAC

 Worked All Continentsの頭文字をとって「ワック」と呼びます。全大陸交信賞です。外国と交信を始めた局の入門的なアワードです。しかしながら当時アフリカ大陸が難関でした。どうしてもバーチカルアンテナでは非力で、このアワードのために指向性のある21MHz3エレ八木アンテナを屋根馬を使ってあげてなんとか目標を達成できました。ただこれは電話での話で、電信を使えば指向性アンテナなしでも達成できると思います。

ADXA

 Asian DX Awardの頭文字からきています。DXとは遠距離(distance)のことで、日本からいえば外国のことをさします。アジアの30エンティティーのアマチュア無線局と交信してQSLカードを得るのが条件です。エンティティーとは解り易くいえば地方(国とはちょっと意味合いが異なる)のこと、日本には北海道から九州までの他に、小笠原と南鳥島の3つのエンティティーが存在します。
 中近東のアマチュア無線局は数が少ない上に郵便事情が悪いため、交信するのも一苦労ですが、QSLカードを請求して受け取るのも一苦労です。

WAZ

 Worked All Zoneの頭文字です。U.S.A.のCQ出版社の発行しているアワードです。地球を40の区域(Zone)に分け、番号をつけています。そのすべての区域のアマチュア無線局と交信してQSLカードを得るのが条件です。QSLカードを所持しているかどうかの証明は日本アマチュア無線連盟(JARL)の会員なら、JARLが代行して行ってくれます。前述のWACも同様です。
 これは2004年にいただいた賞ですが、CW特記を付けたため437番目ということになります。世界中でこの順位はかなり難関といえるのか、アワードに人気がないからなでしょうか。

DXCC

 DX Century Club Awardです。アマチュア無線家で外国と交信する方はほとんど知っているというあまりに有名なアワードです。ARRL(合衆国のアマチュア無線連盟)が発行しています。かなり厳格なルールがあり、それがまた人気の秘訣なのでしょう。
 ADXAと同じエンティティー(正確にはエンティティーという考え方はこちらが基になっている)の考え方で、100エンティティーのアマチュア無線局と交信してQSLカードを得ることがまず入門条件です。現在世界中で335エンティティー存在しています。
 私の場合はCW(電信)で275エンティティと交信してQSLカードを入手したということです。
 すべてのエンティティーのアマチュア無線局と交信してQSLを得ることができれば“Top of Owner roll”と呼ばれます。また残り10エンティティーになった方を“Owner roll”といいます。
 JARL会員なら、所持しているQSLカードのチェックはJARLが代行して行ってくれます。

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