癖になる転職

@50歳の転職 A40歳の転職
B外国人労働者のこと Cニート・フリーターのこと
D2回めの転職後1年経過

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@50歳の転職

  プロローグ

 2005年12月中旬に9.5年勤務した会社をやめ、別の企業に就職しました。まさか50歳にして転職をしようとは自分の人生のなかで考えもしなかったことです。しかしながら「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ・・・」と歌われたのは昔の話。会社がなくなるご時世ですから決して気楽では勤まりません。
 私の場合は会社がなくなったわけではありません。私の給与が大幅にダウンしてしまったのです。原因は9.5年前に転職をした際、給与待遇が会社の賃金体系のなかで職位の割りに高給だったようです。そのミスマッチを会社が今になって是正したということのようです。
 では50歳を過ぎたおっさんがどうやって転職をしたのか?以下に私の場合を暴露しちゃいます。
 

インターネットで捜しました

 インターネットには色々な転職サイトがあります。アクセスして登録してみました。まず50歳という年齢で合致する求人は1件もありません。
 でもあきらめずに転職サイトに登録だけはしておきました。果報は寝て待てということわざもあります。Hi

果報は寝て待て

 サイトに登録していると2週間もすると人材バンクから連絡がありました。私の場合はリクルートエイブリック(現 リクルートエージェント)でした。改めて「職務経歴書」と「履歴書」を作成してエイブリック本社に面接に行きました。

50歳の転職事情

 コンサルタントから50歳での転職事情を説教されました。つまり「年収500万」「身分は嘱託(つまり毎年契約更改)」が標準的な待遇だそうです。「それでもあなたは転職しますか?」ということらしいです。転職のコンサルタント期間は6ヶ月と説明されました。その間に見つからなければあきらめなさいという事のようです。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる

 エイブリックの情報端末から希望条件を入力すると該当する求人情報が出てきます。さすがにインターネットの転職サイトではヒットしなかった条件でもそれなりに数出てきました。その中から5件ほどの企業に「職務経歴書」と「履歴書」をリクルートから送っていただく事にしました。
 しかしながらその内3件は書類審査で不合格でした。(おそらく年齢がNG)残る2件は書類審査は合格でした。

面接で即決

 書類選考を合格した2社のうち1つはあまり良い感触で面接を終えることが出来ませんでした。案の定、面接で不合格となりました。残る1社は2次面接で出てこられるはずの社長が同席されてその場で年収についても提示がありました。つまりその条件を私が飲めば採用となるようです。しかしながら提示の条件があまり手放しで喜べるものではありませんでした。即答を控えて1週間ほど検討することに。

異業種からの求人

 返事を保留にしている間にレストランチェーンのセントラルキッチンで設備管理の仕事の求人がリクルートから舞い込みました。応募したところ書類選考を通過したと連絡がきました。それを受けて、いつまでも内定をいただいた企業に対して返事を保留にするわけにもいきません。思い切ってお断りし、レストランチェーンに勝負をかけました。駄目ならそのまま給与を下げられた現在の会社に残ればいいことです。

専門分野は面接で突っ込まれない!

 レストランチェーンの面接に臨みました。人事部長と常務が面接官です。職務経歴について説明しました。私の年齢になるとそれなりの経験・知識を振り回せば専門分野では面接官を言い負かせることは可能です。但し、あくまでも面接を通過するためだけならとお断りしておきます。実際、採用になって勤務すれば面接で言ったことが嘘・はったりであれば、試用期間中に解雇されることになるでしょう。
 職務経験の話の中で、それなりに実績をあげたことをきちんと数字で示したのが好感されたのか、面接の途中に常務から給与・待遇の話も切り出されました。筆記試験が落第点でなければ「合格」の感触を得ました。
 3日ほどで「合格」の返事をいただきました。つまり「内定」です。 

残る問題

 ここまでは順調にきました。ひとつ越えなければならないハードルが残っていました。「通勤」です。
実はこのレストランチェーンのセントラルキッチンまで片道70km超あります。公共交通機関を使うと片道2時間はかかります。幸いなことに高速道路を通勤に使用してもよいという条件になっていました。
 実際に通勤時間帯に走行してみました。一部渋滞の名所を通過することになっていましたが、5分程度で抜けることができ、片道1時間15分程度で勤務先にたどりつける事が解りました。

最後の交渉

 ここまでたどり着いてから当時勤務していた会社の上司と最後の交渉です。(出来ることなら片道1時間15分のドライブは避けたいものです。)年収ダウンを考え直すことは出来ないかという提案を、こちらからしました。もっとも、ただ給与を元に戻せといっても難しいでしょうから、仕事を増やしてくれていいから、という提案をしました。出てきた答えは「NO」です。
 ここで今までの会社に留まるか、飛び出してレストランチェーンに転職するか3日3晩しっかり睡眠をとって考えました。

出した結論

 あと10年の自身の人生を考えてみました。下がった収入が来年も更に下がる可能性は否定できません。さらに5年後には役職停年という待遇が待っています。愚痴をこぼしながら会社にしがみ付くのは嫌だったので、飛び出して見ることにしました。
 そうと決めたら、早く会社に退職届を提出して「立つ鳥、後を濁さず」にしなければいけません。そうはいっても有給休暇も消化しないと馬鹿らしいですからね。結局、引継ぎとかに日を取られて消化できず、残った有給休暇はお金で受け取りました。お陰でそれなりの臨時収入になりました。Hi

後悔先に立たず

 12月に新しい勤務先に通勤を始めました。ところがどうでしょう。転職前に車で走行した時に比較して随分と渋滞します。朝はそれほどでもなかったのですが、帰宅する際が大変です。高速道路のジャンクションの中で1時間渋滞したり・・・自宅にたどりつくまで2時間も要する日が続きました。さすがにこれには参ってしまいました。
 また勤務先も製造業ではありませんから、製造業では当たり前と思っていた事が通用しません。1例を挙げますと、製造業では生産効率を追い求め機械化していきます。レストランチェーンで第1に求めるのはピーク時の店の作業効率です。店舗での作業効率を上げる為には、工場での手間を惜しまないのです。ですから私の目から見て一見無駄に見える作業でも、店舗で1工程省けるなら許されるわけです。
 そんな訳でどれだけ落ち込んだかは、下記の新聞記事を読んでください。たまたま、その頃読売新聞で「豊かさ再発見」という連載がありました。たまたま転職して落ち込んだ気持ちを投書したら、取り上げられ記事になりました。


石の上にも3年(人間辛抱だ!)

 転職した私がこんな事を書くのも差し出がましいのですが・・・・。転職した会社で「人間辛抱だ!」と。
年が明けると交通渋滞は解消しました。年末だから渋滞したのでしょう。会社の考え方には割り切って従うように、「郷に入っては郷に従え」です。 
 転職して半年が過ぎ、職場の上司もかわりました。上司が変われば、また仕事に対する考え方も変わります。新しい上司は私と比較的考え方が似ています。でも、その上司もいつかは人事異動で代わります。それまでに自分の居場所を作っておく必要はあるでしょう。
 時給\800の仕事ができる事も大切であるが、そこから問題点を抽出して解決して初めて社員としての給与がもらえるのです。\800の仕事がいくらきちんとできてもそれでは職場の問題は解決しません。

100年に1度の不況?

 2008年9月頃からアメリカのサブプライムローン問題に端を発した不況が日本にも押し寄せました。派遣切り、工場閉鎖に伴う解雇が問題になっています。
 この責任は金融業界の知識人にあると考えます。だって、返済できなくなると判っていながらローンを組める仕組みを作ってしまったからです。彼らはその恩恵をしっかり給与で受け取っています。
 被害者である住宅購入者は冷静になって考えればローンが完済できるかどうかは判ったと考えます。

ピンチがチャンス

 
こういう機会に自分の仕事の棚卸をしてみてどうでしょう。
 自身の仕事のなかでどういう働きをして、どういうキャリアを積んだのか。それが現在勤務している会社以外で通用するスキルなのかどうか。棚卸をしてみると自身が今後どういった方面でなら仕事を見つけられるかが見えてくると思います。

 50歳を過ぎ、仕事の着地点を捜しながら働いています。先輩からは「転職ばかりしておまえは辛抱が足らない」とお叱りを受けています。この不況で私をとりまく環境は厳しさを増しています。ただこのピンチを何とかチャンスにしようと日々もがいております。

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A40歳の転職

果たして他の企業で通用するか

 学校を卒業して最初就職した企業が中途採用をしない方針であったため、全く自身が他の企業で通用する人材なのか判断がつきませんでした。中途採用を積極的にしている企業なら同世代の中途入社の人と比較することで自分の価値がおおよそ解ります。
 得てして自分を過大評価するきらいがあります。試用期間中にメッキがはげない程度にはしておきたいものです。

最初の転職も人材バンクに登録

 1995年の頃ですので、それほどネット社会にもなっていません。たまたま仕事で出かけた展示会の会場で転職のアンケートに回答したのがきっかけで人材バンクに登録しました。このときは週末にコンサルタントから進捗を知らせる電話が入り、打ち合わせをしました。そんなわけで、進展速度も50歳の時に比べるとのんびりしたものです。実際に転職するまでに2年近くかかりました。

40歳の市場価値

 当時、40歳で転職する平均的年収は750万円。平均待遇はマネージャー(課長)職でした。あくまで管理するスキルが求められていました。転職先の企業は大企業よりも中企業(東証2部上場規模)が中心でした。

転職先の企業の判断基準

 50歳の転職でも同じ事ですが、自身の市場価値は転職先の企業はどうして見定めているのでしょう。それは在職している会社での地位・給与待遇でした。だから転職するにも現在勤めている会社で認められていなければ、次に移ろうとしても良い条件は提示してもらえないということです。

求められるスキル

 若い方なら何が出来るかを求めています。この年齢になると、何を教えられるかということも追加されます。単に出来るだけでは、それなりの給与は支払えないということでしょう。

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B外国人労働者のこと

 製造業の現場には多くの外国人労働者が働いています。たいていの場合、日本人が尻込みするような劣悪な環境でもくもくと体を動かしています。あまり考えて、判断をして仕事をするということはありません。マニュアルに従って作業する仕事です。

 残念なことに彼らのほとんどは日本人に比べて十分な教育を受けていません。足し算・引き算は出来ても、掛け算・割り算となるとさっぱりというレベルがほとんどでしょう。

 彼らが我々日本人に勝っているのは「たくましさ」です。生活力というのかな。わずかな知人を頼って、海を越えて来る訳ですから、たいした物です。

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Cニート・フリーターのこと

 最近の新聞紙上をにぎわせている定職を持たない若者について、私は自身の人生経験から考察してみました。

やりたいことが見つからない

 やりたことが見つからない旨事がよく書かれています。私も彼らの年齢だった頃、何がやりたいかって解っていなかった。ただ学校を卒業したら、働くのが当然だと思っていた。だからやりたい仕事というより、自分に出来ると思える仕事を選んだ。

働きながら考えた

 会社に入ると、学歴プラス学校歴(どのレベルの学校を卒業したか)で仕事が決められました。あまり出来の良くなかった私は工場内で作業服にゴム長靴の仕事でした。単純作業の繰り返しに近い毎日。
 その中で、いかに自分が楽して同じ賃金を得られるか?を考えた。工場の中で故障してストップした機械を修理して貰おうと工務課に行くと、工務課の社員は大抵のんびり雑談をしていることが多い。「なんて楽な部処だろう」と何も知らない新入社員は感じました。出来ることなら、こっちの仕事がいいなあ!と。
 工務課の社員の仕事を横で見ていました。眺めていたのではない!この仕事が自分で出来る様になれば配置転換もありえるか?と。

趣味を生かす

 私の趣味は「CQ,CQ・・・」のアマチュア無線ですから、素人のレベルではあるけれど電気についての知識は社内の一般社員よりはどんぐり1個分高いと思っています。そこから電気図面を読めるように練習しました。回路図と似ています。後は工場の設備の故障が電気的なものか、機械的なものかの見極めが出来ればOKです。
 機械は目で見ればわかる事が多い、電気はテスターを使えば目で電気が見える。

更に努力

 最近死語になってしまいました。「努力」「額に汗して働く」・・・私は好きですが。
独学というのははかどらないもので、どんなに本を読んでも理解できないことはあります。これは読む人間の頭が悪いわけでなく、理解できるように記述できない著者に問題があると私は思っています。 
 本を読んで解らないことは講習会に参加しました。勿論、手弁当(自費)です。すべて自身のスキルになることです。オムロン・三菱・オリエンタルモーターなど。

砂に水のしみ込むごとく

 講習会に参加して知識を仕入れ、現場で実践して確認する。こうしているうちに、今まで断片でしかなかった知識が鎖でつながって来ました。まさに「砂に水のしみ込むごとく」にです。いままでは川に向かって石を投げ込んでいたようなもの。その石が川面から頭を出すとしっかり島になるわけで、いくら多くの石を投げ込んだかが島の大きさになるわけです。

おっさんからのメッセージ

 ニート・フリーターと称される若い方に物申したい。若いうちからやりたい事が解っている人間なんてまずいないんじゃない。漠然と働いているなかから自身で見出すものだと私は思う。
 かつて、高校生の頃マスコミ・出版業界にあこがれた時期があった。実際、雑誌の連載を3年やってみて、編集の仕事の大変さがよく解った。傍から見ているほど楽でもない。雑誌は売れてなんぼの物だから、結果はすぐに現れる。
 まず、文句を言わずに働いてみよ、さもなければタフな外国人労働者に職場を占領されてしまうぞ!

D2回めの転職後1年経過

 50歳ににして無謀とも思える転職をして1年が経過した。振り返ってみると今まで見えなかった事が見えてきた。
 転職当初、価値観の違いに悩まされた。今になって思うと、これは当時の上司の価値観であって会社の価値観ではなかった。企業といういうのは顧客にそれぞれ商品やサービスを提供し、その見返りに代金を受け取っている。だからいかに高付加価値のある商品・サービスを提供できるかが企業の存亡にかかっている。
 50歳のおっさんでも採用されるという事は、その企業にとってその部分が弱いからなのだ。つまりは私の考えに賛同する人材がいないから、私のような考えを職場の中に取り入れたいということなのだ。つまりは四面楚歌状態の中に自分を置くことになる。
 これからこつこつと周囲を説得してこういう考え方もあるのだと理解してもらう努力をしなければならないだろう。

 もうひとつ、私の中で会社に対する考えが大きく変わった。会社の為に働くのではない!自身の為に働くのだと考えるようになった。いろいろ問題山積であるが、会社の為に解決するのではない。これは自身に与えられた試練であると・・・。最終的に投げ出すのは自身だし、辛抱するのも自身である。

 従来のような日本的な雇用体勢はこれだけ国際競争が激しくなってくると通用しないし、できない。嫌なご時世になったものだ。

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