日本史探求 深読み日本史 番外編4

         御家人窮乏の実態

鎌倉後期、御家人たちの多くは、分割相続のくり返しによる所領の
  細分化や、貨幣経済の発展に巻き込まれて窮乏化し、蒙古襲来が
  それに拍車をかけたとされている。しかし、その具体的な状況は、
  ほとんどわかっていない。実際のところはどうだったのか。下総
 (千葉県北部)の有力御家人千葉氏についてみていこう。

1 垸飯役(おうばんやく)の負担
 
垸飯役は、もともと朝廷の儀式だったが、幕府が引き継いだもので、
 年頭などに何人かの選ばれた御家人たちが将軍に祝いの御膳を用
 意してもてなすものであった。
 この垸飯役に関して、鎌倉中期の建長5年(1253)以前の正月6日、千
 葉氏の側近で鎌倉に常駐していたとみられる長専(ちょうせん)という人
 物から、下総にいた同じ千葉氏の家臣富木(とき)五郎あてに次のよう
 な書状が送られてきた。

 垸飯について、今年は問注所の分もわが千葉家で担当するよう、昨年末に幕府から命令
  されました。これ以前にはなかったもので、このための費用負担は昨年の垸飯を上回る
  ものになるでしょうから、よく皆様に伝えてください。
昨年と同じような対応では、一大事に
  なってしまいます
。(「中山法華経寺文書」、以下同じ)

【Q1】これより、千葉氏の垸飯役負担についてどのようなことがわか
   るか?

     ↓
 (a)まず長専が、このことについて非常に神経を使っていることがわかる。
   特にこの年は、新たな負担が加わったようだが、それについて「昨年
   と同じような対応だと一大事になる」と言っているので、費用負担は大
   変でも、これに応じないと幕府からどのようなおとがめを受けるかわか
   らない、と心配している様子もうかがえる。

2 造営役の負担
 この他、御家人には幕府や朝廷関係のさまざまな建物を造営するため
 の費用負担があった。次は建長元年、千葉家当主平亀若丸(後の千葉頼
  胤、よりたね)
が幕府に提出した文書の一部である。

 閑院内裏(かんいんだいり、皇居の一つ)造営を命じられましたが、つい数年前にも造営負担を
  いたしました。今回は、私が当主とは申しても、
所領を一族に分け与えてしまったため、彼らに
 
負担を求めても応じる者はほとんどいません。以前の負担だけでも難しいのに、今回のような
  大きな場所の負担にはとても応じられません。しかも今年、当家は京都大番役にあたっており
  ますので、せめて以前に負担した場所をつくることをお命じください。

【Q2】この中で亀若丸は、一族たちが造営負担に応じない理由につい
   て、何と述べているか?

     ↓
 (a)やはり所領の分与、すなわち分割相続のためと述べており、これによ
   り庶子たちは独立性を高め、しかも惣領が元服前で幼少であることも
   あってか、そのいうことを聞こうとしない状況が読み取れる。
   惣領を通じて一族全体を支配しようとする幕府のあり方は、少なくとも
   千葉氏に関する限り、はやくも鎌倉中期には相当行き詰まっていたこ
   とがわかる。

3 懸命のやりくり
 
それでは千葉氏は、こうした費用をどのようにしてやりくりしていたのか。
 一般に有力御家人は本領の他、全国各地に散在所領をもっていた。千
 葉氏の場合、本国下総の他、伊賀(三重県西部)や肥前小城(おぎ、佐賀県小
  城市)
などにも所領があり、このことを利用して費用を工面していたことが
 わかっている。
【Q3】それはどのような方法だったと思うか? 
      ↓
 (a)本国で足りない分を他の所領でまかなうやりかた。具体的には、
   ・千葉氏と取引がある借上(かしあげ)と呼ばれる金融業者が、ま
    ず下総の千葉氏に不足分を為替(かわせ)の形で貸し付ける。
     ↓
   ・「確かに借りた」旨を記した証文をもらった借上が、使者を用
    いてその証文を肥前小城の千葉一族のもとに運ばせ、その
    地での年貢収入から貸した分の返済を(おそらく利子分も含めて)
    受ける。

 ~このように全国に散在した所領は、実際には借上業者などの頻
   繁な移動により
、今日私たちが想像する以上に、一つの経営体
   としてまとまっていた
のかもしれない。

4 最後の手段?
 
しかしそれでも費用が足りない場合があったようである。
【Q4】この時千葉氏がとった最後(?)の手段とは?
     ↓
(a) 千葉氏は、ついには自らの所領だけでなく、家臣に与えた所領
  まで
取り上げ、それらを担保に借金をしていた。はじめに紹介し
  た長専も、別の文書の中で自分の力の及ぶところではないとし
  ながらも、そうした土地が質流れになることを心配したり、所領を
  取り上げら
れた家臣たちの不満が高まり、不穏な状況になってい
  る
様子を伝えている。

◎以上みてきたように、遅くとも鎌倉時代の中ごろには、千葉氏のよ
  うな全国でもトップクラスの有力御家人でさえ、経済的に相当厳しい
  状況にあった
ことがわかる。ましてや、千葉氏より経済基盤の弱い
  中小御家人が一層苦しい状況に追い込まれていたことは、容易に
  推測できる。
  それともう1つ、御家人の窮乏は蒙古襲来以前から深刻だったこと
  にも注目する必要があるように思う(御家人の窮乏の直接的原因を蒙古襲来
  に求めるべきではないのでは?)


〔参考文献〕
・石井進「『日蓮遺文紙背文書』の世界」(小川信編『中世古文書の世界』吉川弘文館、1991年)
・ 〃  「鎌倉時代中期の千葉氏」(『千葉県史研究』1、1993年)
・井上聡「御家人と荘園公領制」(五味文彦編『日本の時代史8 京・鎌倉の王権』吉川弘文館、
      2003年)