◎日本史上、最も有名でかつ人気の高い織田信長。数え切れないほどの小説、ドラマ、映画などで、その
人物像は描かれています。その根拠は、最も信頼性の高いとされる『信長公記』と見られますが、それでは
当時実際に面会した宣教師は、信長をどのように見ていたのでしょうか。もちろん、外国人であること、ある
いは「キリスト教を布教する」 という趣旨からの偏見もあるので注意を要しますが、以下ポイントを紹介しましょう。
《身体的特徴》
・中くらいの背丈で、体格は華奢(きゃしゃ、ほっそりして上品な様子)、ひげは少ない。
・声ははなはだ快調。(注:甲高いということか)
《性格・信仰》
・非常に性急。
・正義感が強い。
・いくつかのことで人情味や慈愛を示した。
・平常はそうでもないが、激昂(げっこう)することがあった。
・少し憂鬱(ゆううつ)な顔つきだが、困難な企てを始めるにあたっては、はなはだ大胆不敵。
・霊魂の不滅や来世に賞罰を受けることは信じなかった。
・理性と明晰な判断力をもち、キリスト教を含めたいっさいの神仏を軽蔑した。
《趣味・生活》
・特に愛好したのは茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩り、相撲。
・酒は飲まず食事は節制していた。
・睡眠時間は短い。
《政治・軍事・権力者として》
・きわめていくさを好み、軍事修練に熱心で名誉心に富む。
・いくさで不利になっても心意気は強く、忍耐強い。
・決断は秘密にし、戦術にきわめて老練だった。
・自らが侮辱(ぶじょく)されると、必ず懲罰を加えた。
・会話はだらだらとした前置きを嫌い、ごく卑賤の者とも親しく話をした。
・ほとんど家臣の意見には従わず、畏敬されていた。城内で信長がちょっと手で合図をするだけでも、家臣たちは
きわめて凶暴な獅子の前から逃れるように、重なりあうようにして直ちに消え去った。また彼が室内から一人を
呼んだだけで、外で百名がきわめて抑揚のある声で返事をした。
・誰も信長の前に武器を携えて出ることを許さなかった。
・日本のすべての大名らを軽蔑し、部下に対するように彼らに話をした。
〜いかがでしょうか。多くの内容は『信長公記』と一致しますが、個人的に興味深い内容は赤字で示しました。
「武器を携えた者の面会を禁じた」のが事実だとすると、日頃から自らの安全にはかなり気を遣っていたこと
となり、それだけ明智光秀の反乱は彼にとって想定外のことだったということになります。
※参考文献
・松田毅一・川崎桃太編訳『回想の織田信長』(中央公論社、1973年) 原典はフロイス著『日本史』