日本史探究 深読み日本史番外編R6-1 聖徳太子の実像に迫る
★「一度に十人の話を聞き分けた」「さまざまな予言をした」「重病人を救った」など、超人的な逸話を
もつ聖徳太子。その実像は謎に包まれているが、近年では『日本書紀』に見える太子は確かな事実
を述べたと考えられる部分にはほとんど登場しないこと、またこれまで信頼できるとされていた法隆寺
伝来の史料も、同時代のものではないと判断されることから、「聖徳太子は架空の存在だった」とする
説まで提起されている。
しかし、太子のモデルとされる厩戸王(うまやとおう)の実在は疑いない。そこでこの厩戸王が、推古政権
下でどの程度重みのある存在だったのか、以下考えていこう。
1 皇太子でも摂政でもなかった
厩戸王は推古天皇の皇太子となり、また摂政として政治を主導した、とされるが、実は皇太子制度は
持統3年(689)の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)によってできたもので、この時代にはまだなかった。
同じく摂政もそのような役職があったわけではなく、『日本書紀』に「政を録摂(国政を統括する)することを
委ねられた」とあるだけなのである。
さらには厩戸王が推古朝の政治を主導したことも疑わしく、あくまでも血縁関係の強い蘇我馬子(厩戸
王の曽祖父は馬子の父稲目。妻の一人は馬子の娘)の影響下にある存在にすぎない、との意見まである。
2 推古政権における位置づけ
厩戸王が「政を録摂することを委ねられた」のは593年だが、冠位十二階をはじめとした政治改革が
始まったのは603年で、ここに10年の間隔がある。593年の時点で王はまだ20歳で、幼年時からの天
才的な言動をフィクションとして除外すればとても政治を主導できる年齢とは思えない。
その一方で、王が自らの宮殿である斑鳩宮(いかるがのみや)の造営を始めたのは、601年のことである。
宮殿は政治を担当する皇族がその立場にふさわしい施設として造営を許されるもので、603年に近い
こともあり、やはり王が国政に参与するようになったのは、この頃のことであった可能性が高い。
3 推古と蘇我馬子の権力掌握
では王が若き皇族として、少なくとも推古政権を担う中心人物の一人だったとした場合、なぜ彼はこの
あと天皇に即位しなかった(できなかった)のか。
この問題を考える前に、そもそもなぜ初の女帝である推古が即位したのかついて検討しよう。推古は、
即位前に異母兄にあたる敏達天皇の正妻的地位にあった。この時代は皇后ではなく大后(おおきさき、あ
るいはきさき)と呼ばれ、天皇と並んで政治をとったり、補佐していたりしたと考えられている。敏達が585年
に亡くなった後、その兄弟用明(王の父)、崇峻と続くが政権は安定せず、崇峻にいたっては推古の叔父
である蘇我馬子に暗殺されてしまった。
4 厩戸王が天皇になれなかったわけ
当時の皇位継承は血統のみではなく、世代や年齢、器量などが勘案され決定されたと考えられている。
崇峻が暗殺された後、皇位継承候補者は、@敏達の子、押坂彦人大兄(おしさかひこひとのおおえ)、Aその
弟の竹田、B敏達の甥にあたる厩戸王の3人となった。3人とも敏達の次の世代という点で同じだが、
もし他の条件も大差ないとしたら、どうなるか?
↓
※この時代、まだ天皇の生前譲位のシステムはなかったため、同じような条件の候補者がいた場合、
豪族たちがそれぞれの思惑をもって異なる候補者を擁立し、果てしない抗争を続ける危険性が高ま
った。そこで、これら3人の人物をよく見て決めるため、ひとまず前大后として実質的に政権を握って
いた推古が即位した、と考えられている。
↓
ところが、上記3人のうち押坂彦人大兄と竹田は早くに死去したため、残った厩戸王が推古を補佐する
ことになるが、結局推古の治世が三十数年も続くこととなり、この間622年に王も亡くなってしまった(621年説
もあり)。
5「外務大臣」としての厩戸王
『隋書』倭国伝の中に、当時の倭王が男性と記されているが、これを蘇我馬子と見るか厩戸王と見るかで説
が分かれている。仮に王をさすとした場合、彼は外交上で国を代表する立場にあった可能性が出てくる。こ
のことと王の拠点である斑鳩宮の位置が関係している、という考え方がある。それは、
↓
斑鳩の地が、推古や馬子らのいる飛鳥に比べ、外港をもつ難波と近く、これと直結している、というのである。
つまり、王は中国や朝鮮半島から倭に入る玄関口をおさえ、いわば「外相」のような立場に参画していた、と
いうのである。
《参考文献》
・遠山美都男『聖徳太子未完の大王』(日本放送出版協会、1997年)
・同 『蘇我氏四代−臣、罪を知らず』(ミネルヴァ書房、2005年)
・同 『聖徳太子の謎』(宝島社、2013年)
・大山誠一『聖徳太子の誕生』(吉川弘文館、1999年)
・同編『聖徳太子の真実』(平凡社、2014年)
・梅原猛他『聖徳太子の実像と幻像』(大和書房、2001年)
・倉本一宏「大王の朝廷と推古朝」(岩波講座日本歴史』古代2、岩波書店、2014年)