○ 中世後期のヨーロッパにおいて、胡椒(こしょう)などの香辛料は、同じ重さの金と交換されるほどの貴重品だったそうです。なぜそれほどまでに貴重品だったのでしょうか?そのあたりに、大きな危険を冒してまで彼らが大洋に乗り出していった理由の1つがありそうです。そのあたりを考えていきましょう。
1 香(辛)料の様々な使いみち
@ 料理用
A 飲み物に入れて、ブドウ酒やアルコール性飲料に用いられた。
(問1) 「香辛料」って、英語で何て言いましたっけ?
{問1の答へ}
(問2) いまあげた英語の中で、現在の飲み物などの一部に使われているものがあります。たとえばどのようなものがありますか?
<ヒント> 炭酸飲料にありますよね。
{問2の答へ}
B 薬品として。刺戟(しげき)剤・強壮剤など万能薬として使われました。ボッカチオ「デカメロン」の中に1348年ごろのフィレンツェにおけるペストの流行の際に、人々が手に手に花を持ち、香りのよい草や様々な香辛料をしきりにかいだことが記されています。
C 防腐剤として。香辛料はその殺菌力によって肉の貯蔵に有効で、また肉や魚のにおいを消しました。
(問3) 香辛料以外で、防腐剤として使われたのものは何ですか?
<ヒント> われわれが日常的に使っているものです。
{問3の答へ}
D 宗教儀礼用に。毒気をはらい清めてくれるものと考えられました。
(問4) このことは、日本でもよく知られているヨーロッパのおばけ(?)に関してあてはまります。それはどういうことでしょうか?
<ヒント> こわい奴にも弱点はあるものです。
{問4の答へ}
2 中世ヨーロッパの食生活
@ 肉食のひろがり
もともと土地がやせ、日光の乏しいヨーロッパは、中世前期における農業技術が大変貧相なものでした。穀物は種まき量の2〜3倍の収穫しかなく、12世紀のフランスでは1年間に総人口の約25%が餓死した、と言われています。そこで農民は、穀物不足を補うために家畜を飼うようになっていきました。
(問5)a ブリューゲルの絵の中に豚を屠殺しようとしている人の脇で、女の人がフライパンをかざしている、というのがあります。さて、この女の人は何をしようとしているのでしょうか?また、それは何のためでしょうか?
<ヒント> 屠殺する際に豚から出るものをとろうとしています。何か食べ物に混ぜて使うのです。
{問5aの答えへ}
(問5)b その女の人の脇で、子供が風船のようなものをふくらましているのですが、これは豚のある部分なのです。それは何でしょう?
<ヒント> ちょっとにおいそう?
{問5bの答えへ}
(問5)c 回りにいる人たちは、こうした状況をまったく気にもとめていません。結局、この絵からヨーロッパ人の食生活についてどのようなことがわかるでしょうか?
<ヒント> 日本でこんな場面に出くわしたら、みな驚いてしまいますよね。
{問5cの答えへ}
(問6) 家畜は特に冬に入る前に屠殺されました。それはなぜでしょうか?
<ヒント> 2の@の説明をもう1度読んで下さい。
{問6の答えへ}
3 香辛料が高かったわけ
(問7) アジアにおける胡椒・丁字(ちょうじ)・肉ズクなどの産地はどこでしょうか?
<ヒント> 地図を見ると「香料諸島」というのがあります。
{問7の答えへ}
(問8) ヨーロッパ人は、なぜこうした地域から安く香辛料を買うことができなかったのでしょうか?
<ヒント> これらの地域とヨーロッパとの間には、ある地域がはさまっています。その地域の人々の主な生業は?
{問8の答えへ}
(問9) 16世紀初め、たとえば丁字はヨーロッパでは原産地の何倍くらいの値段で取り引きされていたと思いますか?
ア) 13倍 イ) 36倍 ウ) 136倍 エ) 360倍
{問9の答えへ}
答えと解説
〔問1〕
spiceはラテン語のspecies(「種類」を意味する)から由来する言葉で、「薬品」という意味もありました。pepperは勿論胡椒。gingerは生姜(しょうが)を意味します。
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〔問2〕
ドクターペッパー・ジンジャーエール(エール<ale>とは「飲み物」の意味)など。ヨーロッパにはこうした香辛料はもともとなく、地中海に生えていたシソ・セリ科の香草ハーブを煎じて「ハーブ・ティー」として飲んでいました(今、日本でも人気ですよね)。
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〔問3〕
答えは塩です。肉や魚はある程度の塩分濃度になると、微生物が発生しにくくなります。そのため塩は古くから畏敬の対象となり、「ものを清める」ものとして用いられるようになりました。今でもお葬式の時にお清めの塩が配られますよね。
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〔問4〕
「ドラキュラが十字架とニンニクに弱い」ことです。宗教儀礼に用いられた「香油」は、邪気を祓い清めてくれると考えられていました。これが「ニンニクの臭いが吸血鬼を追い払う」という風習として受け継がれました。
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〔問5〕
ブリューゲルはご承知のように、ルネサンス後期のフランドルの画家で、この絵は1566年の「ベツレヘムの人口調査」の一部です。絵の題材そのものは古代ローマ時代のものですが、その風景はブリューゲル在世当時のものと思われます。
a 女の人は、豚から吹き出す血をフライパンで受けようとしているのです。これは腸詰めソーセージに混ぜる(いわゆるブラッドソーセージ)ためです。
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b これは何と豚の膀胱です。膨らむわけですね(臭くなかったのかな?)。
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c もし日本だったら皆驚いて逃げるか、少なくとも屠殺している方に関心を示すでしょう。それがまったくの無関心状態であり、しかも最も騒ぐはずの子供が何とも思わず、むしろ解体した豚の膀胱を膨らませて遊んでいるのです。ということは、いかにこうしたことがヨーロッパでは日常的に繰り返されているか、つまり肉食の習慣が根付いているか、ということがわかるのです。そういえば、ヨーロッパには謝肉祭(カーニバル)というお祭りがありますよね。
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〔問6〕
冬は干し草も不足するので、家畜に冬を越させることはできず、12月にこれを屠殺し塩漬けあるいは燻製(くんせい)にして保存しました。
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〔問7〕
胡椒はインドやスマトラ島、丁字や肉ズクは「香料諸島」とも呼ばれたモルッカ諸島がそれぞれ主産地でした。
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〔問8〕
これらの地域は、ヨーロッパ人が直接進出する以前は、イスラム商人及び南ヨーロッパの商人が介在して中継利潤を独占していた。
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〔問9〕
答えはエの360倍でした。まず原産地に近いマラッカで原価の10倍以上、インドでは30倍以上になっていました。1498年西インドのカリカットに到着したヴァスコ=ダ=ガマが、部下の3分の2を失いながら、ヨーロッパに持ち帰った香辛料は現地の60倍で売れたといいます。したがって、これでもそれまでの6分の1に値が下がったことになります。
※ これらの問題と答え・解説は、堀米庸三編『世界の歴史3 中世ヨーロッパ』(中央公論社、1961年)、石毛直道他『食物誌』(中公新書、1975年)、同『食事の文明論』(同、1982年)、山田憲太郎『香薬東西』(法政大学出版局、1980年)をもとにもとに作成しました。
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