ピラミッドとエジプト民衆


○ ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前5世紀)はその著書の中で「国王は大ピラミッドの建設のためエジプト全国民を強制的に働かせた。常に10万人が3ヶ月交代で労役に服し、石材を運ぶための道路の建設に10年、ピラミッド自体には20年を要した」と述べています。はたして、本当に国王は無理矢理民衆を働かせて苦しめたのでしょうか?

1) 巨大な王墓ピラミッド
 ピラミッドはエジプトの国王(ファラオ)の墓として作られました(*)。エジプトの宗教では、人は死ぬとあの世でも同じ生活をし、その魂が復活してこの世に帰ってくる、とされているので、死体をミイラにしてその受け入れの準備をしました。王の場合、そのミイラは王宮に匹敵する大きな墓を建て、多くの貴重な調度品もそこにおさめました(*最近、墓そのものではないという説も提出されています)。

2) ピラミッドの形が意味するもの
 
ピラミッドと言えばギザの3代ピラミッドが有名ですが、最初からあのような形でつくられたわけではありませんでした。紀元前5000年には死体を穴に埋めて砂利で少し盛り上げたもの、前3000年にはその上に石で少し積み上げた形のものにすぎませんでした。前2980年にはようやく階段状のピラミッド(現存するものではサッカラの高さ60mのものが有名)になりました。ギザの大ピラミッドは前2900年のものです。
(問1) ピラミッドのてっぺんは、何に対して向けられているのでしょうか? 
<ヒント> エジプト人が厚く信仰しているものは?

                                 (問1の答へ)

3) ピラミッドにまつわる謎
 たくさんあるので、ごく一部を紹介します。
@一底辺の長さ=232m=365,242キュービット=1年の長さ
※キュービットとは当時のエジプトの長さの単位で、ひじ〜指先までの長さです。
A(四底辺の長さの和)÷(高さの2倍)=π(円周率3,14)
円周率が正式に認められたのは2500年以上あとのことです。
B高さ×10の9乗=1億4694万4千キロ=太陽までの距離

Cピラミッド・パワー(食べ物が腐らない、多量の静電気、特別な磁力など)

4) ピラミッドができるまで
 
A) 設計:ひもで方眼状にしたパピルス(当時の紙)に設計図を描き、縮小模型をつくって建造物の比率・バランスを決めました。
 B) 石材の切り出し:ピラミッドには最大16トン、平均2,5トンの切石230万個が使われているといいます。その石はナイル川上流のアスワンなどの採石場で切り出され、ギザまで運ばれました。
(問2) 石の切り出しのある工程で、木製のくさびが使われたといいます。石に打ち込んだくさびにどんなことをすると、割れたのでしょうか?
<ヒント> 木製、というところがみそです。

                               
(問2の答へ)

 C) 基礎工事のための測量〜驚くべき正確さ
     ピラミッドの建つ地表面のある2点間の高さの差は、僅か1,27pでした。現代の厳密な施工精度を要求される超高層ビルでさえも、期待される精度は千分の一程度で、ピラミッドの精度はこれを大きく上回ります。

(問3) ピラミッドのように莫大な数の石を積み上げる時、基礎となる地盤が水平でないと、たちまち崩れてしまいます。この当時、どのようにして水平面を知り、地盤を平らに削ることができたのでしょうか? 
<ヒント> 問題文の中に答があります。

                               
(問3の答へ)

 D) 石の運搬: 当時、車はなく、石の運搬には木製「そり」と「梃子(てこ)」と「コロ」が使われました。第12王朝の王ジフチホテプの巨像を引く絵を見ると、そりにのった像の足元にいる人が、進む方向の地面に何か液体をかけていますが、これは摩擦を少なくするために水か油をまいているところだとされています。

 E) 石の積み上げ
(問4) どのようにして大きく重い石を持ち上げたのか、想像してみましょう。
<ヒント> これには正解というものがありません。何しろ証拠がないのだから。

                               
(問4の答へ)

5) ピラミッドと民衆の関係
これまでの研究で、次の3つのことが明らかになっています。
@ピラミッド建設で最も人数を要する石運びは、主にナイル川の氾濫(はんらん)期である7月〜10月に行われていた。
Aピラミッド建設に従事しているとき、民衆は王国から衣食住を保障されていた。
B石切場には「王バンザイ」とか「家に帰ったら、たらふくパンを食べ、たくさんビールを飲もう」などの当時の石工たちの落書きが記されていた。
(問5) 上の@は、ある意味では石運びをやりやすくしました。それはなぜでしょうか?
<ヒント> 氾濫すると川幅はどうなるでしょう?

                               
(問5の答へ)

(問6) @・Aは民衆にとってもありがたいものでした。それはなぜでしょうか?
<ヒント> 民衆はふだんは何をして生活していたのでしょうか?

                               
(問6の答へ)

(問7) イギリスのある学者は、「ピラミッドはできあがった使いみちが目的なのではなく、築くこと自体に目的があるのだ」と述べています。これはどういうことなのでしょうか?
<ヒント> エジプト王国のできた道筋を考えてみて下さい。

                               
(問7の答へ)

答と解説

○ピラミッドの語源2説
 ・ピラミッド(英語)←ピラミス(ギリシア語)←ペルエムウス(エジプト後で「まっすぐに伸びていくもの」の意味)
 ・ピラミス(ギリシア語)はギリシア人のよく食べる三角形の菓子パン(形がピラミッドと似ている)からきている。
〔問1〕
 古王国時代、特に第4王朝時代は太陽信仰が最も盛んでした。このころまとめられたヘリオポス神学によると、来世は太陽の沈む西にあり(ピラミッドが全てナイルの西側に建てられていることに注目)死んだ王が永遠の生命を与えられて「太陽の舟」に乗り天に向かうとされました。
ピラミッドの四角錐の頂点は、王が死後できるだけ太陽神に近づきたいと願ったことを意味します。四角錐である理由は、最も安定性があり、建築材料も少なくて済むからだったとみられています。

                                
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〔問2〕
 内部用の花崗岩は、銅の「のこぎり」(濡らした石英粉を石の上にまぶして)や銅の「のみ」を利用して交差する溝を切り開き、そこに等間隔で杭を打ち込み、
ここに水を注いでその膨張力で石を割る、とされました(但し、NTVが1978年に小ピラミッドをつくる際実験したところ、これは不可能でした)。

                                 
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〔問3〕
 
水平にしようとする地域に、互いに連結する水路を走らせ、そこに水を注ぎ込み、記録した水面を基準に地面のでこぼこを削ります。この方法は遅くとも紀元前3000年頃には行われていました。実際にはピラミッドの建つ岩盤は固いため、端の部分に泥で堤防を築き、そこに水を流し込みました。労働力の組織化がうまくいけば、かなり正確に水平にできました。

                                 
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〔問4〕
・起重機説:ヘロドトス以来唱えられてきましたが、NTVの実験の結果では、2,5トンもある石を持ち上げることは難しいことがわかりました(強い木材が必要なこと、反対側にかなりの力をかけなければならないこと、固定の難しさ、重い起重機自体をどうやって持ち上げたか、などの疑問から)。
・斜面利用説:他の幾つかのピラミッドで斜面の跡が見つかっています。しかしどのような斜面を築いたかについてはさらに説が分かれています(基底部の一面に直角に1つの斜面を築く、四方に築く、いろは坂式に築くなど)。
なおこの他、回りに運河をつくって利用したとする説や、UFOに手伝ってもらったなどの説(?)まであります。

                                 
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〔問5〕
 
定期的氾濫により、ナイル川の川幅が広がり労力の少ない水上運送ができる地点までの陸上輸送の距離が短くなります。

                                 
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〔問6〕
 
農民にとって農作業のできない、いわば失業の時期に石運びに従事し、衣食住の支給を受けることは、一種の公共事業であることを意味しています。なおカフラー王のピラミッドの西には、労働者の共同住宅跡が見つかっています。

                                 
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〔問7〕
 イギリスの学者クルト・メンデルスゾーンが唱えました。
つまり、灌漑事業のような有益なものでも、その恩恵は数村にしかもたらされない、しかし巨大な労働力を必要とするピラミッドをつくることで人心を1つにし、中央集権国家をつくりあげることができる、というのです。なお、これ以降巨大なピラミッドがつくられなくなった理由として、
(1)高官や知事の権力増大(民衆・土地を私的に支配)による租税の減収
(2)度重なるピラミッドの建設による富の減少。
(3)外国貿易の衰え
などがあげられます。

※これらの問題と答・解説は、吉村作治『ピラミッドの謎』(講談社現代新書、1979年)、同『ピラミッドは語る』(岩波ジュニア新書、1985年)、同監修『ザ・ピラミッド』(日本テレビ・読売新聞社、1978年)、貝塚茂樹編『世界の歴史1 古代文明の発見』(中央公論社、1960年)などをもとにして作成しました。

▼NHKテレビ「四大文明」の中で、新しい情報を得ました。

  ・大ピラミッドから1キロほど離れた場所に、建設に従事した人々が住んだワークマン・ビレッジがあり、その中
   に外科手術の跡が残る頭蓋骨が発見されたこと(奴隷ならばそんな処置をするはずがない)、また妊婦の
   骨が発見されたこと(家族と共に住んでいた、奴隷に家族はない)。
  ・やはり大ピラミッドの近くの王の家臣の墓の碑文に「人々にビールとパンを保証した、人々はこれを喜んだ」と
   記されていたこと。 

                              
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