西ヨーロッパの封建制度

○封建制度成立のいきさつ(物語風)
・領主A:「実力で土地は得た。しかし、いつ他の領主に奪われるかわからない。どうしよう?…そうだ、B様に土地
      を献上して保護していただこう!」
・領主B:「そうか、わしの家臣となるか。では預かった土地はあらためてお前の封土(ほうど)として与えよう。」
                                     ↓
   こうしてAとBの間に主従関係が生まれる。そしてBも、さらに上級の領主Cと、CはさらにDと…重層的なもの
   となる。


・中世ドイツの法書「ザクセンシュピーゲル」の挿絵の1つに、まさに主従関係が成立せんとする場を示すものがある。左側に立つ臣下の5本の手(手の数は2本という概念にとらわれない中世人のおおらかさが感じられる)のうち、主君の両手に包まれた2本の手は「托身」の意を示し、残り3本は「私がこの土地(穀物が生育しているので、農地を示していると思われる)を封土として受け取る」ことを示す。
(問1)この、主君が家臣の手を包むという動作は、後にある習慣になりました。その習慣とは何でしょうか?

                                 (問1の答へ)

○主従関係の実態
11世紀のフランスの文書に、家臣の義務として次のようなことが定められていた。
・主君の身体に危害を加えない。   ・主君の(        )しない。
・家臣が主君に対して負う義務は、すべて主君もまた家臣に対して負う。

(問2)上の(       )内には何が入るか、想像して下さい。
<ヒント>これで主君なのか!?という内容です。

                                 (問2の答へ)

○主従関係は一種の契約
契約の最も中心となる従軍(主君の戦争に手勢を率いて参加する)の義務も、11世紀後半には「年間40日以内」という慣習が成立した。また「何々地区には参加しない」という場所の条件もあった。
(問3)こうした契約の内容のため、家臣には「あること」が可能となりました。それは何でしょうか?
<ヒント>年間40日ですから、あとの残りの日で…

                                  (問3の答へ)

(問4)こうした、あってもなくてもいいような主従関係も、日常的に戦闘が続いた当時においては、意味があるものでした。それはどういうことでしょうか?
<ヒント>後の時代で言えば、これは何条約でしょうかね?

                                  (問4の答へ)

○騎士の日常生活
騎士は、戦時以外でも1日の大半を戸外で過ごした。彼らは法外な量の食事をとり、その接種したエネルギーはトーナメントと呼ばれる実戦さながらの闘技、狩猟、あるいは人形突き(武装した人形を馬に乗ったまま槍で突き、剣で斬る)などで発散させた。
(問5)冬になって、外へ出られなくなると、彼らは何をしてエネルギーを放出したでしょうか?
<ヒント>ちょっとだけ痛いことです。

                                  (問5の答へ)

◎答と解説
(問1)これはもちろん、握手の習慣です。

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(問2)答は「主君の財宝・所領を掠めないこと」です。中世ヨーロッパにおける主従関係は、互いに独立した権力主体がとり結ぶ双務的(お互い様)・契約的関係でした。なおこの他、「主君の行事を手伝う」「政治に助言する」など納得できるものもありますが、中には「主君が船で海を渡る際に酔ったら、頭を支える」などという、珍妙な家臣の義務もあったそうです。

                                   (次へ)

(問3)答は「同時に何人もの主君をもつこと」です。2人や3人の主君をもつことはざらで、13世紀には40人もの主君から知行をもらっていた者もいました。

                                   (次へ)

(問4)中世ヨーロッパの主従関係は不確実きわまりないもので、主従いずれからでも、相手が信義と盟約にふさわしくないとして、関係を破棄することができました。しかし、このような関係でも、日常的な局地戦が続いた中世社会においては、主従関係が結ばれることは、「少なくともこの2者間には戦争はあり得ない」ことの保証を意味するものとなり、後の時代で言う「平和条約」ないしは「不可侵条約」にあたるものでした。したがって十分に意味のある関係だったのです。

                                   (次へ)

(問5)答は、「刺らく」と言って、自分の静脈を刺し、放血することでした。これが中世では精神のバランスを保つ重要な手段でした。戦争社会に生きる騎士たちの生活ぶり、そのあり余るパワーが実感できます。

※これらの問題と答、解説は、木村尚三郎『NHK市民大学テキスト ヨーロッパ文化史〜伝統と現代』(日本放送出版協会、1983年)、井上泰男『西欧文化の条件』(講談社現代新書、1979年)、堀米庸三編『生活の世界歴史6 中世の森の中で』(河出書房新社、1975年)などをもとに作成しました。

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