環境問題に関心がある理由2001.2.9
なぜ私が環境問題に関心があるのか。それをご紹介するために、とある雑誌に投稿(1996年)したものをそのまま以下に載せます。

環境問題と幸福哲学

先日、落語もどきの面白い討論を聞く機会があったので、以下に紹介します。・・・・・・
 
「御隠居さんは、どうして環境問題に関心があるんですかい」
御隠居 「そうだな。その質問に答える前に、逆に質問があるんだが・・・。熊さんは今の世の中をどう感じてるんだい」
「そりゃまた唐突な質問ですな・・・。バブルが崩壊してからってもの、リストラだ、消費税率アップだと不景気な話ばかりですから。インターネットとか新しいこともあるんですが、なんかこう腹の底からワクワクしなくって」
御隠居 「それは何が原因だと思うかね」
「そんなことわかりませんや。あんまり考えたこともないですし・・・」
御隠居 「そうだね。では、今が時代の節目である事は感じているかな?」
「世紀末ってやつですかい。地球温暖化とか、新興宗教とか…。それが環境問題に関心があるわけですかい?」
御隠居 「まあ宗教はともかくとして、今ある大きな社会問題の幾つかは、環境問題そのものだよね。だけれども、理由はそれだけではないんだ。現代は、大量生産大量消費を前提として成り立っているが、最近うまくいかなくなってきた」
「資源枯渇やごみ問題でしょ。だけど、石油だって30年ほど前から30年たったら無くなるってずっと言われてますけど、まだ数十年持つそうじゃないですか。それに、今の科学技術でなんとか解決できますよ。リサイクルとかね」
御隠居 「ところが、リサイクルなどの対症療法には限界があって、更に本質的な問題解決が必要なんだよ」
「じゃあ、江戸時代か、原始人の生活をしろとでも言うんですかい。一度知った快適な生活を手放すことなんぞできやしませんよ」
御隠居 「熊さん、そこをよく考えなきゃいけないね。熊さんが最初に言っていたことを思い出してごらん。例えば、ちょっと前までは自動車や家やブランド品を持ったりすることが幸せだった。でも最近は、物の所有や快適な生活だけで幸せとは言い切れないと感じ出した。幸せの定義が揺らぎだしたんじゃないかな」
「じゃあ何が幸せなんですかい。あっしはゼニがあれば幸せですけど・・・」
御隠居 「そう、何が幸せか、どうしたら幸せになるかについてもう一度良く考える必要がある。ここ数百年のやり方を変えていく必要があるってこと。それを考える為のツールとして、私は環境問題を考えているんだよ」
「環境問題は、公害問題の延長線上にあるわけじゃないんですね」
御隠居 「全く次元が違うね。“幸福を追求する哲学”の延長線上にあると言った方が近いね」
「そうですか。よくわからねーけど、環境問題って奥が深そうですなー。あっしもちょっと勉強してみますよ」
御隠居 「まあ、面白い時代にせっかく生きているんだから、それがいいんじゃないかな」

・・・・・・私も熊さんと一緒にもっと考えてみようと思います。

これを投稿して面白かったのは、編集者の方々や読者の方々からいろんな反響があったことです。おそらく皆さんが同じようなことを感じているからではないかと思っています。以下に一読者とのやり取りをご紹介します。

>  ****「ある横町のお話」は、全く同感です。
> 実は、***が募集した「異業種交流会」で***/***と将来(2010年) を議論しているところで、環境問題がクローズアップしてきました。
> なにしろ、環境に関して知識不足で議論も平行線です。 対立する2つの主張を列記しますので、もし、お答えいただけるのでしたら返信してください。

> 主張1(***)
>  メーカーである以上「モノづくり」を続けてゆくことしか生きる道はない。
> しかし、環境に対する配慮なくしては企業は存続できなくなる。
> したがって、つぎのような方向性で技術開発に取り組むことが最も重要である。
>  ○廃棄・リサイクルを考えた商品の提供
>  ○環境負荷を低減したプロセスによる製造
>
> 主張2(***/***)
>  大量生産・大量消費を是とする価値観から脱却しない限り、真に環境問題を解決で きない。
> 「モノづくり」を否定するつもりはないし、「モノづくり」には環境に対する配慮が必要である。
> しかし、大量消費を前提とした対策に注力することより、無形の価値を創造し付加価値を高めるとか、できれば「モノづくり」から無形商品(新サービス産業)に構造変革を行うのが好ま しい。
> なお、新サービス産業とは、法規制によって保護されてきた効率の悪いサービス業(現状の金融・保険・通信等)ではなく、生活者に十分な利益(自由な時空間の享受)を提供する産業である。
>
> 各主張に対して、補足すべき点があれば教えて下さい。

伊藤です。
メールを頂いたことに対し感謝いたします。
さて、以下の件について考えを述べたいと思います。l
> >
> > 各主張に対して、補足すべき点があれば教えて下さい。

・私の考えは、主張2とほぼ同じです。ただし、大量生産、大量消費の考え方は、実は環境問題に関していえば、悪い面だけではなく良い面もあり、そこが例えば江戸時代よりも優れている点だと思っています。つまり、一括して大量に作るために、一つ一つの製品を作るよりも資源やエネルギーを格段に節約することができるためです。確かに大量生産によって大量の端材や大量の売れ残り品がでますが、それを勘案しても省資源の観点からは優れているケースが多いと思います。それほど大量生産のシステムは優れているのです。(もちろんケースバイケースで違います。個々のケースはLCA等の手法で調査する必要があります。LCA手法は、通産省関連団体が主催しているLCA日本フォーラム等で検討しています。)要は、大量生産が問題なのではなくて、大量に無駄に消費することが問題であり、それを改善させるために、廃棄、リサイクルを考えさせることは意味があるとおもいます。

・ただし、廃棄・リサイクルシステムを完全に行えば、環境問題は解決するかといえば、それは否と言わざるをえません。ご存知だと思いますが、現在あるリサイクルシステムは、そのほとんどがやるよりもやらない方が良いことがLCAの結果わかってきています。また、昨今問題になっている、環境エストロゲン(人や動物の生殖機能に影響を及ぼす特定化学物質のこと。DDT,PCB,ダイオキシンなどの有機塩化物、一部のアルキルフェノール系酸化防止剤、フタレートプラスチック可塑材等。)をはじめとする人工物を造ることそのものが引き起こしいる問題は、廃棄物の"無害化"が事実上できないことを示唆しています。これを解決するには、少なくとも国連大学が提唱しているような"ゼロエミッション”の考え方を導入する必要があります。(ちなみに、日本では、ゼロエミッションの考え方が勘違いされていて、単にエミッションを少なくすればよいと思われています。グンターパウリのいう構想は、本当にエミッションをゼロにするために、まず人工物を使わないというものです。)

・また、ローマクラブの「成長の限界」を始めとする一連の研究結果(最新情報を***に掲載しています)は、現状の「成長すること」を前提とする社会が存続不可能なことを示しています。しかし、現状の物質中心社会は継続できませんが、ただ一つだけ経済発展を続けながらかつ破滅を避ける道があります。それは非物質中心社会へと変化させることです。アドラー心理学を始めとする心理学や各種哲学、各種宗教で人間に本当に必要なものはなにか、ということが扱われています。いろんな説がありますが、共通しているのは、「物やお金よりも大切なものがある」ということです。いままで、「物やお金」を通してそれらを追求していましたが、現代の日本は幸せなことに「物やお金」が十分にあって、「物やお金」ではその「幸せななにか」を感じられなくなっているのです。ですから、今後成長する企業は、おそらくその「幸せな何か」を「物やお金」を通さずに直接消費者に提供できる企業でしょう。

・結論は、今までの企業は、「物」を通して人類の幸せに貢献してきたが、今後は、「物」をなるべく通さずに「何らかの幸せ」を提供することが望まれており、その「何らかの幸せ」を大量生産、大量消費することでよりよい社会を目指すというのが理想だと思います。

以上、私も年末で余り時間が無いため、思い付くまま書きました。御参考になれば幸いです。

今読むと結構恥ずかしいこといってますね。編集しようかと思いましたが、「そんな〜、時代も〜、ああ〜、たよね♪」ということでそのまま載せました。笑ってやってください。
ご意見はこちらへ