4.環境問題に関心がある理由(2)2001.2.9
1994年に、これまた、とある雑誌に投稿したものを以下にそのままご紹介します。

 化学調味料とエコロジー

 数年前に「美味しんぼう」というグルメ漫画がはやったことがあります。食についての独特な論法が心地よく、読みごたえがあったことを記憶されている方も多いでしよう。あるとき化学調味料をテーマに扱ったことがありました。化学調味料は、料理のほとんどに大量に入れられるため、素材本来の味をだいなしにしてしまうというものでした。しかし私は「おいしいんだから使ったっていいじゃないか」と、化学調味料を使うことになんら抵抗を覚えませんでした。
 時はすぎて数カ月前、妻が妊娠してつわりが激しくなつた時、料理の味付けが極端に薄くなったことがあります。つわりがおさまった後も、健康のためとか言う理由でそのままほとんど昧のない料理が続きました。最初は、文句を付けていましたが、そのまま慣れてしまったつい最近、私はおもしろいことに気づいたのです。なんとご飯そのものがおいしいのです。いや、それだけでなくシャケなどの魚、ホウレンソウやモヤシのお浸しなど素材そのものが持つほのかな昧がおいしく感じられるようになったのです。どうやらこれは「美味しんぼう」で言われていたように、「化学調味料を使わなくなったことで舌が敏感になった」のかと気づいた時、私はエコロジーに関して1つのひらめきを得ることができたのです。
 実は、私には悩みがありました。エコロジーというものが友人や会社の人にうまく説明できないことです。エコロジーを追求することは、必ずしも今の経済活動を否定して昔の生活に戻れということではないということをうまく説明できず、歯がゆさをずっと持っていたのです。ひらめきはそのことを解決するものでした。「エコロジーを追求するとは化学調味料をなるべくとらないようにするようなものだ。多種多様な昧(感動)をそのまま味わうことだ。我々が懸命に追求してきたこと、つまり安くて簡単であること、多機能・高性能であることは、実は化学調味料と同じような物ではないか」と。
 もちろん、化学調味料を使うこと(我々が追求してきたこと)がまったくダメだとはいいません。今まで人々の暮らしを豊かにし、楽しませてきたことは確かです。しかしその昧は強烈であるだけに、それ以外の感動がわからなくなってしまうことを知り、両方をうまく使い分けていくことが重要なのです。まずい昧があるからこそうまい味もあるのです。工コロジーを追求することが高い山であっても、その山を登るからこそ喜びもあるのです。
 自然とふれあうこと、融合すること。
 人とふれあうこと、融合すること。
 人工的なフィルターをつけることなく、
 余分な増幅装置をつけることなく、
 あるがままに。
 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、
 そのままに、
 あるがままに。

最後がちょっとくさいのが若くて良いなー。なんてね(笑)。ちなみに、これに対する反響は当時全くありませんでした・・・。
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