双極の世界(続き)
太陽を観察すると、朝は赤く朝焼けをおこし、夕方には赤く夕焼けをおこす。これは
大気と光の関係で、青い光が吸収されて、長い波長の赤い色が見えるというだけだ
が、太陽が生まれて、そして死ぬと考えているなら、それは大きな意味をもつ。人間
が生まれるとき、血にまみれて生まれてくる。これは出産時に母体あるいは胎盤から
多少の出血があるためである。おそらく旧石器時代の死亡原因は老衰は少なく、病
気や事故での死亡は多いと思われる。とくに狩りでの事故は多かっただろう。ただ、
それが単純に不幸と捉えられていたかどうかは、ちょっと思慮を必要とするかもしれな
い。
縄文時代に入ると、マンモスやナウマン象が生きていた草原が日本列島から消え
て、森林に覆い尽くされるようになる。草原の大型動物は絶滅する。縄文人は食糧を
動物からドングリやクリの植物食に替えなければならなかった。この食糧の転換に
伴い、狩りでの事故は急激に減って行ったと考えられる。縄文時代の埋葬法は屈葬
であることは前述の通りだが、同時に遺体にベンガラが撒かれている。ベンガラ自体
はどちらかといえば茶色だが、赤として捉えられたことは間違いないだろう。つまり、
太陽が生まれるとき、死ぬとき、それぞれ「赤」に包まれるからこそ再生されると考え
ていた。そうであればこそ、血を伴わない縄文期の死亡にベンガラが使われていたと
考えることができるのである。
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前の文章で簡単に「再生される」と書いたが、これは誤解を生むかも知れない。とい
うのは太陽がいちど死んだ後に、暫くして(つまり夜が終わったあと)再び人間の住む
この世界に、太陽が生まれると理解されかねない。しかし、そうではない。太陽が死ん
で生まれ変わるのは、向こうの世界、死後の世界である。そのとき人間の住む世界は
「ヨル(夜)」なのである。そして、向こうの世界で太陽が死ぬと、人間の住む世界に生
まれる。それを「ヒル(昼)」と呼ぶ。つまり、朝焼けと夕焼けの「赤」と、出産時の出血
と埋葬のベンガラの「赤」は同じ役割をもっていて、向こうの世界に生まれ変わるため
の橋、あるいは向こうの世界を開く扉なのである。だから屈葬という、まるで母胎内に
いる胎児の形で埋葬する。まとめると、太陽の運行により生じる「昼」と「夜」が、人間
の生死観と結び付いて、「この世」と「あの世」という考え方が生まれる。もちろん、これ
が「双極の世界」の中心概念であることは、説明不要だろう。
しかし、これは同時に双極の世界の破綻(はたん やぶれる)を意味する。つぎの時
代の扉を開く種子が埋め込まれている。昼と夜、火と日、夏と冬、白と黒。そして、赤。
赤は双極の世界からは逸脱した存在になる。だが、縄文期の漆器には「赤漆」と「黒
漆」が使われいる。白を退場させることで危機は乗り切ったのだろう。逆にいえば縄
文時代が1万年も続いたのは、双極の世界を変容させることにより、環境の変化に
柔軟に対応できるた証明でもある。
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墓制に関して言えば、屈葬から身展葬への変化がある。これはもちろん死後観の変
容によるもので、屈葬が「死後の世界」に胎児として生まれ変わることは既に説明し
た。身展葬の場合は、そのままの姿で「死後の世界」に行くことを意味する。ところが、
「あの世」から「この世」に戻って来るとき、そのままの姿で戻って来ることは絶対に有
り得ない。これは「双極の世界」の完全な破綻を意味するはずである。本州の場合、
それが縄文末期から弥生時代に掛けて発生した。これは、中国方面からの弥生人の
流入と農耕の開始と関係することは間違いないだろう。北海道では、前述の通り「擦
文文化期」に、それが起きる。この時期には、住居の様式も本州と類似の形になる。
アイヌ文化の重要な神(カムイフチ)を住居の中心に据えた「囲炉裏(いろり)」の形で
はなく、壁側に竃(かまど)を置いて煮炊きを行っている。つまり、何らかの文化的衝
撃ないし破綻に対し、火之神信仰を生み出すことにより乗り切ったと考えていい。「カ
ムイフチ」信仰は、少なくともそれを中心に考えるようになったのは。比較的新しいと
いうことである。
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擦文文化期とほぼ同時期にオホーツク海を中心とした文化圏が形成されるが、この
文化の埋葬法は特異な形式となっている。埋葬法は屈葬だが、頭部にカメを被せる。
もちろん、このカメの役割は「大地の子宮」である。オホーツク文化と同時期に存在し
た擦文文化が身展葬に変化して行くことを見たため、より鮮明に「屈葬」の意義を強く
打ち出したと考えて間違いないだろう。また住居は、擦文文化の4本柱ではなく、5本
ないし6本で形成される5角形・6角形である。また、擦文文化では壁面にあった竃(
かまど)はなく、中央に石組みの囲炉裏(いろり)がある。単純に文化を継承すると仮
定するなら、アイヌの文化は、住居の形と埋葬法は擦文文化から、囲炉裏(いろり)は
オホーツク文化からの継承と捉えることも可能である。原因がはっきりしないが、10
世紀ごろにはオホーツク文化は、擦文文化に吸収されるような形で消滅する。
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北海道を中心に据えて地図を見た場合、本州方面と樺太方面、それに千島列島方
面の3つの方角での、伝達・流通ルートが存在する。そのうち千島ルートは、小さな
離島の連続より構成され、あまり活発には使用されていない。これは除外しても問題
はないだろう。本州方面は縄文期以降はぼ連続的に活動の痕跡が認められる。樺太
方面については、資料が少なくハッキリしたことは分からない。ただ、オホーツク文化
は、アムール川流域、あるいは樺太の文化が領域拡大して、北海道ないし千島まで
到達したと推測されている。
このオホーツク文化に際だった特徴は、様々な意匠を施した骨角器が発見されてい
ることである。クジラ、イルカ、オットセイ、エイ、婦人像などが出土している。とくにクマ
の頭部をあしらった遺物は注目に値する。非常に特色のあるオホーツク文化ではある
が、その文化的基盤は擦文文化と類似のものと考えても問題ないだろう。
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「この世」と「あの世」の「双極の世界」の価値観を端的に表現したものが「送り」であ
ろう。アイヌ文化のイオマンテ(イヨマンテ)は、イ(それ)・ヨマンテ(送る)という意味で
あり、重要な示唆をする。もちろん、イオマンテは熊(カムイ)を「あの世」に送ることな
のだが、この「送り」の対象は熊(カムイ)など動物に限らない。身よりのないフチ(おば
あさん)が死んだときなど、簡単な家をつくって火を放ち送ることが行われる。女性ひと
りでは「あの世」で家を作るのは大変だろうという考えからである。台湾では、現在でも
死者のためにお札を「送る」習わしがある。もちろん、本物のお金ではないのだが、「
あの世」で立派に使えるのだという。
この「送り」は、縄文時代に既に存在していた。三内丸山遺跡からは千体以上の土
偶や無数の土器が発掘されている。これらは全て一部を破損させた状態で出土する。
破損させることで「死んだ」状態となり、「あの世」へ行くことができる。逆にいえば生物
も無機物も魂があると考えていたということである。人にも道具にも魂があるということ
であり、自分にも魂がある以上、世の中に不要なものなどないと考える。存在するなら
存在するだけの理由がある。この考え方があればこそ、アイヌは本州からの商品流
入が活発になると土器製作を止めてしまうのだろう。
しかも本州の商品に依存するようになる。この考え方は「魂」の延長線上にある。た
とえば、人によって運の悪い人とそうでない人がいるように、道具などの物にも「魂」
があって、力が違うと考えているのである。魅力的な商品は大きな力があり、それは
その人(所有者)や村(コタン)を守ってくれると考える。だから、村おさ(コタンコロニシ
パ)や、村の有力者(村おさ予備軍)は、このような「宝」を集めなければならない。それ
は必ずしも個人の所有を意味する物ではなく、むしろ村の「宝」を管理する人が「村お
さ」なのである。
ちなみに、この「宝」を含めて「流通」をどのように捉えるか説明しよう。たとえば、本
州の商人からアイヌの持ち物と物々交換したいと申し出があったとする。するとアイヌ
は、「ああ、これ(アイヌの持ち物)は長くコタン(村)にいたので、飽きたのだろう。旅
に出たがっているようだ」と考える。もちろん、「本州の漆器」と「毛皮や鮭」などを物々
交換することも同様と思われる。縄文時代の物々交換もほぼこれと同じであろう。
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