発案〜当日までの記録
2004年1月6日
muus、go−h、sugi、近ドの四人は白樺湖ロイヤルヒルスキー場にいた。
レストハウスの四人の表情は固く、皆一様に無口であった。
「よし、やってみるか」2本目の缶ビールを開けたgo−hがつぶやいた。
「自分も有休取ります」3月1日付で転勤になるかもしれないsugiが言った。
「写真は任せておけ」とmuusはご自慢のイオス・キッス・デジタルをザックから取り出した。
「・・・みんな・・・ありがとう」近ドが言葉にならない声でそう言った。
皆の表情が和らいだその瞬間、3本目の缶ビールが勢いよく開けられた。
オヤジ達のプロジェクトは走り出した。
1月10日
SMDCの貧弱な組織力だけでは限界を感じ、近ドは自作の「ビラ」をもって営業に出かけた。
エルク・ICI石井スポーツ甲府店・そしてカムイ御坂の経営母体であるカムイスポーツ甲府館。
近ドは確実な「手ごたえ」を感じた。
ただ一店だけSHではテレマーク用具の販売をしていないため、空振りに終った。
1月17日
未明より降り続く雪が甲府盆地を真っ白に染めていた。
go−hと近ドは協力3店舗に「告知ビラ」を貼り歩いた。
どこのテレマーク担当者も快くオヤジ達のプロジェクトに賛同した。
その晩、二人は「居酒屋カムイ」で酔いしれた。
雪はなお降り続き、二人の車を真っ白にした。
1月18日午前0時
web上での告知開始。
go−h、sugi、近ドがHPに掲載。
協力ショップ・エルクが店のHPトップに掲載。
「ニコニコ山仲間」のHPトップに掲載。
メンバーの各HP掲示板で話題に上がる。
メールによる問い合わせが近ドの元に届き始めた。
もう後戻りは出来ない。
1月27日
go−h、sugi、近ドが富士見パノラマに集まった。
三重県からジャンも駆け付けた。
「寒ぶりの甘粕鍋」を食べながら「僕は参加できないけれど」とジャンが言った。
オヤジ達は無言でビールを飲み干した。
近ドがクルマに貼るステッカーを取り出した。
「せめて宣伝だけでも手伝うよ」ジャンはそう言って一枚を懐に収めた。
友情に胸を熱くするオヤジ達であった。
2月3日
山梨県大泉村の「ロッジ山旅」にmuus、sugi、ジャン、近ドが集まった。
翌日、飯盛山から野辺山スキー場へ下山したテレマーカーを撮影するmuusの姿があった。
「しくじってはならない」そんな気持でmuusは撮影の練習をしていたのである。
(この物語はノンフィクションです。登場する人物・団体等はすべて実在します。)
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