ネッ友OFF会山行心得

 インターネットを活用している山岳愛好家は、他のスポーツと比較すると非常に多い
私自身、毎年多くの仲間とネットで出会い、山滑りを中心に山行を共にしている。
同じ趣味を持つ者同士、非常に楽しい出会いなのである。

 同様のパーティーも多く、アチコチで「OFF会山行」の呼びかけを目にする昨今、不安に思う事がある。
ネット上ではほとんどの方が親しみを込めてH/N(ハンドルネーム)で呼び合っている。
多分・・・おそらく、ほとんどのパーティーは参加者各自、お互いのの本名・住所等の個人情報の詳細を
知らない者達の集まり(即席パーティー)であろう。万が一の事態が発生したら・・・???

 たとえば下山中に誰かがパーティーからはぐれてしまったとしよう。
下山した仲間達が警察に遭難届けを出す。「遭難者は?」の問い対して
muusサンといって確か箱根の・・・・・・・」とH/Nしか答えられない。

 こんなお粗末な遭難記事が新聞に載って世間を騒がせそうな心配が頭をよぎるのである。
我々の仲間は残雪期とはいえ、一般ルートとはチト違う雪渓で遊ぶ。危険が無いとは言い切れない。
登山計画書」をしっかりと作成して、最低限留守宅に一部置いて山に入る様心がけている。

 メンバーの役割分担も必要である。ある意味「出会い系サイト」で知り合った初対面の者同士である。
リーダーは目的の山域に精通した者が適任であろう。もう1つ、お互い経験・技術・体力を知らない者同士の
パーティーに1人でも「連れて行ってもらう」的発想の参加者がいたら、これも大変怖い事だ。

 最低限、自分は「どんなメンバーと何処へ行く」と留守宅に伝えてから入山するのが山遊び人の義務で
あると考える。家族に心配をかけないためにも・・・。

(muus@箱根さん、お名前お借りしちゃいました)





   衰えた体力

 2002年10月、わが町のイベント「勝沼ぶどう郷マラソン」にファミリー参加してしまった。
親子3.5キロコースである。前の年に子供たちの友達ファミリーの応援で、その微笑ましい姿に感動を覚えた。
みんなで走るぞー! 何でこんな事を言ってしまったのか・・・?
結果は散々・・・。(ファミリーハイクの頁参照) オヤジの面目、丸つぶれ・・・であった。
もはや子供たちの前では、山でしかエバレないのであろうか?
 オヤジももう40代に突入。最近のスキー担ぎは、かなりこたえる様になっている。SMDCの若者組との
山行なんぞ、とても付いて行けない、ただただ気力の世界である。
 好きな山だから、美味いビールが飲めるから、楽しい滑りがあるからetc.・・・頑張れるのである。
それが無かったらタダの飲ん兵衛ゲレンデ・ミーハー・スキーヤーになってしまう。イカン、イカン。
かといって、何のトレーニングもしないグウタラオヤジ

 座右の銘は「オラ、明日から頑張ればいいや」 クレヨンしんちゃんもうまい事言いやがる!。



 

  ヒゲ


 2002年の正月休みは何十年に1度あるか、無いかと
いう程長かった。休みの日にはヒゲを剃らないオヤジは、
学生時代以来不精ヒゲを育たせた。
 我が家では長男誕生以来「ウリウリ」という、親子の
スキンシップの手段がある。「ウリウリ」とは、頬や顎同士を
摺り合わせる動物的愛情確認行為である。オヤジは特にヒゲを
伸ばしてやるコレが大好きなのだが、今回ばかりは子供たちに
逃げ廻られ、チョッとショックを覚えたのである。
 「恥ずかしいから剃ってヨ!」などと女房みたいな事を言う。
 まだまだ「男のロマン」が解らぬようである。





   ファミリーSKI

 2001シーズンに次男もMySkiを手に入た。前年までは貸しスキーやらスクールやらで我家の家計は
火のクルマであった。日帰りばかりだが一家4人のウィンターレジャーはなかなか大変である。しかし子供たちの
上達ぶりには喜ばずにはいられないオヤジである。そろそろ山スキー4つのテクニックを教える時期がきた。
 それは・・・ボーゲン、斜滑降、横滑り、キックターンの基本技術だ。思い起こせばオヤジも子供の頃
イヤというほど、これを繰り返しやらされた。父の友人に・・・。ゲレンデではほとんど必要のないモノだが、山という
フィールド
ではこれだけマスターすればどんな急斜面でも安全に生還(?)出来る重要な技術である。
 今後2シーズンほど、これをみっちり叩き込み、夢の蓮華温泉ファミリーツアーをぜひ実現させたい というのが
オヤジのもくろみである。重いスキーを背負ってくれればの話ではあるが・・・。





   山スキー

 このページを見てオヤオヤ!と思われた方も多いと思う。
そうなんです!オヤジは実は山スキーのページを作ろうとしていたのだ。
1980年頃より、始めた山スキーという遊びに相当ハマッている。もしも我社に札幌支店などという出先があったら、
そしてそこへの転勤辞令が下りたら、喜んでいざ夢の単身赴任へ。
 初めて富士山を滑った時、まだ情報が少なくてヘルメットを持参した。三浦雄一郎先生の記録を参考にしたのだ。
後によくよく調べた所、先生はエベレスト・サウスコルからの滑降のため、富士山でパラシュートによる停止の実験で
直滑降で滑り下りたとか。パラシュートを持たない我々はヘルメットをかぶった自転車中学生みたいだったかナ。
 一口に山スキーといっても、スノーハイキングからエクストリームまで様々である。雪原で熱いコーヒーを楽しんだり、
アルプスの稜線より度胸だめしをしたり。最近ではアルプスの50度を超える未滑降ルンゼに飛び込む強者も多いが、
未知の山・未知の斜面・未知の雪質・・・それだけで自分にとってのエクストリームには十分である。





   山ボード

 スキー場ではすっかりこの新民族ボーダーに遊び場を奪われてしまったと思う人も多いであろう。
同じ雪の上で遊ぶ兄弟として安全な住み分けを望む今日この頃である。
 山の世界でもゲレンデ同様山ボーダーが急速に増えている。ここ20年毎年通っている富士山でも1980年代は
まったくいなかったこの民族が、90年代に入り現れ出し、21世紀にはついに山スキーヤーと同じ数にまでなった。
用具も進化し、登り両足・下り一枚板というスプッリットボードなる新兵器も開発され、楽しそうである。
 我がSnowMountainDownhillClubでも99年より幹タ@甲府がボードで参加。メンバーにボードを薦めるのだが、
2002シーズンに幹タ以外のメンバーが、皆40歳オーバーになる。コイツはまだまだ20代。とてもアンタのようには、
体が言う事、聞きゃせんよ!






   サングラス

 かなりの近眼であるオヤジは、30代半ばにしてコンタクトレンズというアイテムで若返りを狙った。
このアイテムは最初戸惑うが、慣れて来ると一つの悩みを除けば、実に快適である。その悩みとは・・・である。
 風が運ぶ塵・埃が目に入った時といったら、これはもう何と表現したらいいのか経験者にしか解らないであろう。
が、この悩みは最近使い捨て1DAYソフトコンタクトにより、かなり解消された。1日両眼¥200。タバコより安い。
 紫外線の多い残雪期の山では、目の保護が重要である。雪目と呼ばれる、眼球の火傷は非常に恐ろしい。
大阪時代、仲間の1人がこれにかかり、下山後2週間ほど痛み続けたという。症状が重いと失明すらあり得る。
 対策は実に原始的で、サングラス・ゴーグルの使用だ。よくパンダ模様の日焼けを嫌って、裸眼で雪の中に
いる人を見かける。特に女性が多いが、お気を付けを!
ちなみにオヤジは、パンダ模様を好み、「何処行ったの?」などの問いに喜びを感じる人種である。





   冷たいビール

 今や発泡酒の安さに押され、我家ではめったに飲めなくなった麦の炭酸飲料
 ファミリーハイクでは子供たちの手前ぐっとガマンの禁酒登山であるが、女房の目の届かない山行では
重要なエネルギー源である
 2001年の山スキーでSnowMountainDownhillClubの幹タ@甲府が、休憩の度に缶ビールをクルクルクルクル
雪面で廻し始めた。移動こそしないが、まるでフンコロガシのように。最近はやりの家庭用ビールサーバーの
原理だそうで、これが実に短時間でよく冷える。残雪の世界での楽しみがまたひとつ増えた。
 SMDCでは2001年大樺沢以来、滑降ポイントでのビールは350ml缶1本までと会則を改めた。
いちばんオイシイ斜面を滑落してしまった深ダ@甲府氏の直前の飲酒量が500mlだったからだ。無事に下山して
飲むビールこそ最上の味だと皆心得ているのでこの法案(?)は、すぐ可決された。会則に反した者への
罰則はメンバー全員の缶ビールのフンコロガシ作業にしようと思う。




   クルマの事

 我が愛車カリブ君はよく働く。毎日の通勤で往復50キロ。女房の実家へ往復900キロを年2回。
そして山やスキーへの足として。年間2万キロ近くを移動してこの秋5才になる。5才の誕生日は大変めでたく、
やっとローンが満了する時期でもある。「カリブ」君以前は中古車を2台それぞれ15万キロオーバーで
乗り換えた。「カリブ」君にはぜひ20万キロは頑張ってもらいたい。
 現役バリバリの「カリブ」君には申し訳ないが、時々次のクルマの事を夢見てしまう。こんなご時世なので
そう簡単に乗り換えはできないが、次は1BOX車というものでアウトドアライフを楽しみたい。本音は前夜に
入山した時に横になって熟睡したいという不純な発想であるが。
 子供たちも大きくなるにつれ、直面している問題がある。それは、大事なスポンサー様、おじいちゃん、
おばあちゃんが同乗できなくなりつつある事だ。我家の1BOXアウトドアライフはそう遠くはないかも
しれない。 当れ!宝くじ!


 



   カメラの事

 最初の職場は、写真関係の卸問屋だった。某Fフィルムの特約店で祭りの多い京都支店に転勤してからは、
土・日といえばナントカ祭りの沿道で緑色のハッピを着て当時のヒット商品、レンズ付フィルムを売っていた。
 山岳写真家になりたいとまでは思わなかったが、好きな山々の美しい瞬間を生活空間に飾りたいという気持
が強く、重い機材を背負って山へ出かけた。しかし、いくら有名山岳写真家と同じポイントで狙ってみても
満足な作品にはならず、早々に挫折したものだった。完全防水コンパクトカメラを手に入れてからは、その
機能性に感激して、以来山への最重要アイテムのひとつになった。岩にぶつけても、沢で泳いでも、山スキーで
ころんでも、ヘッチャラだ。「タフガイ」といったネーミングは正にその通りである。
 2000年、我家にIT革命が勃発(?)してから、35万画素のデジカメを手に入れ新時代の幕を明けた。
それを持って翌年3月下旬、遠見尾根での事。快晴の元「武田菱」がクッキリと望め、シャッターを押した。
 「これはいい写真が撮れた。HPのトップページはこれで決まりだ。なんたってデジカメだもん。」
ワクワクしながらパソコンに取り込むと・・・唖然!自分は写っているものの、バックの「武田菱」がない!
35万画素での限界を痛感し、留守番させたタフガイチャンの偉大さを知った。
 私のたった1度の浮気が終り、タフガイチャンとの山行が再び始ったのである。