長岡競馬場(京都府)
1929(昭4)年〜1956(昭31)年

京都府畜産組合連合会は、京都(現:京都競馬場)を借りて競馬を施行する計画で進めた

しかし

淀競馬から馬場使用の許可が下りず、仕方なく近隣に競馬場を造り

1929(昭4)年10月1日:
京都府畜産組合連合会主催長岡競馬場が開催される



<昭和5年春季・京都府畜産組合聯会主催・単勝式勝馬投票證>


1931(昭6)年:競馬法改正により勝馬投票券に従来の単勝式のほか複勝式が採用される
【参考:競馬法・勝馬投票券】
第五条.政府は、券面金額十円又は二十円の勝馬投票券を券面金額で発売することができる
2.政府は、前項の勝馬投票券十枚分又は百枚分を一枚をもって代表する勝馬投票券を発売することが出来る。
第六条.勝馬投票法は、単勝式、複勝式及び連勝式の三種とする


1939(昭14)年:
戦争による軍馬資源保護法公布に伴い鍛練馬競走を実施する

1947(昭22)年:
京都府畜産組合連合会により地方競馬として再開するも
1948(昭23)年7月:新競馬法公布とともに、その運営を京都府等が引き継ぐ事となる
京都府営競馬と京北町・美山町・亀岡市・篠村・樫田村・長岡町などで組合を構成し施行された



その後、70回開催されたが
1956(昭31)年:
当時ブームとなった競輪向日町競輪)に観客の関心が高まり
成績不振により競馬場経営も悪化

1957(昭32)年:
長岡競馬場は、ついに廃場へと追い込まれる



現在、住宅密集地となる


京都府乙訓郡神足村大字友岡