中山ジャパンカップ&ダート
JRA 中山競馬場 2002年11月23・24日 東京競馬場改修工事に伴う臨時施行
| 歴史のドラマを東京競馬場にて繰り広げているジャパンカップダートとジャパンカップであるが、 改修工事中のため一休みの東京競馬場を離れ、第3回ジャパンカップダートと第22回ジャパンカップは、ここ中山競馬場で開催された 中山競馬場開催のジャパンカップはあまりお目にかかれないかも知れないので、ここに画像を残します。 |
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まず11月23日(土曜日)にはジャパンカップダート戦が繰り広げられ 予想以上の高配当レースとなった。 東京競馬場の2100mの舞台ではなく、ここ中山競馬場1800mのコースでそのドラマは起こった。
翌11月24日(日曜日)にはジャパンカップが施行された。 東京競馬場の2400mの舞台ではなく、ここ中山競馬場2200mのコースである。
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| わが国におけるダート競馬が大きな変革を迎えたのは1990年代の後半からである。平成7年に中央競馬・地方競馬相互間の交流が飛躍的に拡大され、フェブラリーS(当時GU)が平成S(GV)に次いで中央競馬指定交流競走となった一方、地方競馬でも主要9競走として行われた。交流重賞で5勝をあげたライブリマウントや、10勝をあげたホクトベガの活躍などにより、中央・地方の垣根を越えたダート重賞競走も一層注目を集めることとなった。このような状況のもと、平成8年11月に発足したダート競走格付け委員会により、平成9年4月以降に行われる交流重賞競走の格付けがなされ、ダート競走の体系化が促進されることになった。中央競馬の重賞競走では平成9年にフェブラリーSがG1に格上げされ、ダート競走の頂点として位置づけられていたが、中距離のG1である帝王賞や川崎記念での熱戦、ドバイワールドCやブリーダーズC・クラッシックの隆盛により、中央競馬においても世界のダート競走の主流である2000m級の距離によるダート国際競走を望む声が高まってきた。本競走は平成12年に創設されたわが国初のダート国際招待競走で、ジャパンカップ前日の東京競馬場の2100mを舞台に、外国馬(8頭以内)を招待して行われる。また、日本からの出走馬は、中央・地方の所属を問わずに重賞競走の成績などを元に選定される。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 昭和50年代前半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され、その一環として我が国でも国際競走を施行し、外国から強豪を招待して我が国のサラブレッドと競わせようという気運が盛り上がり、56年にようやく実現されたのが本競走である。初年度は招待国を北米とアジアに絞り、アメリカ、カナダ、インド、トルコ(招待馬デルシムは来日後故障し不出走)の4カ国から合計8頭を招待して施行され、アメリカ代表のメアジードーツが2分25秒3の日本レコードで優勝した。そして、第2回からはヨーロッパとオセアニア地区も招待の対象とし、ジャパンカップは参加国の多彩さで世界一の競走と呼ばれるようになったことから、”競馬のオリンピック”として評価を高め、近年では欧米を中心とした有力馬の参加により、主要な国際招待競走として世界に認知されている。また、国内的には日本所属馬9頭が優勝するなど、強い馬づくりの成果も着実に現れてきている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||