阪神競馬倶楽部
1926年(大正15)阪神競馬倶楽部・秋季勝馬投票券から
下表は近代競馬のおいたちである
現在の日本中央競馬会(JRA)の前身である日本競馬会は1937年(昭和12)に誕生した それ以前は1923年(大正12)の競馬法が制定以降、全国11ヶ所の「公認競馬」にてレースが展開されていた (札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、日本レース(横浜)、京都、阪神、小倉、宮崎) 開催は毎春秋1回(3日間) 【参考:競馬法第三条】 国営競馬の開催は、競馬場ごとに年二回以内とする。但し、天災地変その他やむを得ない事由に困り 一競馬場において年二回開催することができないときは その隣接競馬場において、年三回開催することができる。 その内のひとつ”JRA阪神競馬場”の前身「阪神競馬倶楽部」を中心に紹介します 近代競馬の歴史はこちらにて確認してください ■1906年(明治39)11月24日:日本人による初の馬券付き競馬が東京大森にて東京競馬会により池上競馬場て開催される (東京競馬会:第1回秋季競馬) 関西でも「関西競馬倶楽部」と「鳴尾速歩競馬会」が相次いで設立され 鳴尾浜の鳴尾川を挟んで両岸に一周1マイルの大競馬場が建設される (旧:武庫郡鳴尾村、現:西宮市) ■1907年(明治40):西宮南部の鳴尾にて競馬が開催される(正式名:関西競馬倶楽部競馬場) 馬場は、一周1800メートル 北側には鉄筋コンクリート6階建ての大スタンドあり 同時期開催の東の「関西速歩競馬場」との二つを総称して「鳴尾競馬場」と呼ばれた 1908年(明治41)10月24日:政府、議会、行政の各方面で論争に発展 ついに全面的な馬券発売禁止という事態に至る。 その後も「関西競馬倶楽部」と「鳴尾速歩競馬会」共に名目を変え、黙認された優勝馬投票の発売を続け集客を競い合っていたが 違法行為による警察当局の摘発を受け 馬政局の命令により両倶楽部は合併 「阪神競馬倶楽部」が誕生した 1910年(明治43):競馬場は西浜(旧関西競馬場)に統合され、鳴尾競馬場という名称は廃止された (東浜の速歩競馬場は鈴木商店に売却されゴルフ場、その後川西財閥が買収し川西航空機が設立される) 阪神(関西)競馬場となった後も競馬法成立までの期間は経営は低迷し 内馬場に競技場を建設したり、馬場でオートレースを招致したりするなどで苦難をしのぐ (現在の全国高校野球が甲子園で行われるまでは、この内馬場に造られた野球場で開催された:中等野球時代) 1923年(大正12)4月:競馬法が公布(7月施行)され 明治41年以来禁止されていた馬券の発売が同年秋から実施されることになった。 (馬券の発売枚数や配当倍率に制限が加えられた上で合法的に再開された) 競馬法が成立し馬券発売が公認されると一転して繁栄を極めた <当時の馬券:1926年(大正15)阪神競馬倶楽部・阪神競馬場>秋季勝馬投票券> ■1937年(昭和12):「阪神競馬倶楽部」から「日本競馬会」へと名称変更される ■1943年(昭和18):となりの川西航空が戦闘機を製造していた為 阪神(関西)競馬場は4月の春季競馬の開催を最後に軍用地に接収され廃止に至る 同年:逆瀬川競馬場の建設が計画されたが、終戦後に競馬場用地は連合軍によって接収され |
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