Satta峠

岩城山 ただ超え来ませ 磯崎の 不来海(こぬみ)の浜に われ立ち待たむ (3199)


峠からの富士山と田子の浦、愛鷹山

    
サッタ峠にて       峠の遊歩道(旧道)    対岸の伊豆半島

      いやはや、このサッタ峠の漢字を出そうとしてもパソコンに未熟のせいか、正しい漢字が表示されない。いっそうのこと英語でSatta Pass とでも書こうと思うけれどそれもなんだかなあ、と思い一方だけローマ字にしておいた。でもこれでも変と言えば変だから泣きたい心境。なんで文字が表示されないのか不思議。誰かわかったら教えてください。
      年末だというのにちょっと出かけてみた。本当はサッタ峠から浜石岳まであるくつもりだったが、起きたのが6時近くでその後パソコンで遊んだり、地図を取りに帰ったりでようやく7時近くになって本格的にドライブ開始。途中、例によって東名高速は横浜町田付近で事故。さらにこのサッタ峠は国道1号線から旧道に乗り換えるのがわかりづらく、サッタ峠分岐点もたしかに道標は出ているもののはじめていく人にとっては本当にこんな狭い道を登っていくの?と思えるようなところで見落としやすい。おかげで何度も行ったりきたりしてようやく民家の間の狭い道を登っていく。東海道旧道はかつては由比宿として栄えたこともあったろう。そんな雰囲気が感じられる。そのうちに民家が途切れてみかん畑の中を突っ切って進むようになる。すれ違うのも大変な道で左の崖に転落しないように注意深く進んでようやく駐車場だ。何とか10台くらいは止まれるかもしれない。トイレあり。10時。
      車で走っているときは富士山がきれいに頭を出しているのが見えたが、すでに10時になってしまい、雲に隠れてつつある。よくガイドブックに出ている富士山と田子の浦の写真はこのサッタ峠から撮ったものが多く、美しい展望が得られるところとしても有名。かつては東海道の難所と言われたこの峠も今では東海道本線(JR)、東名高速道、国道1号線が断崖の下の狭い海岸を通過していてのどかな大自然の光景と近代科学の産物が融合してて絵になる人気撮影スポットだ。あいにく雲が多く、いったいあの天気予報はどうなっているんだ?甲信越は晴れのはず・・・失礼、静岡は甲信越ではありませんでした。
      もうすでに10時だし、これから浜石岳に登る気力もなくなった。ここからだと結構時間がかかり、4時間くらい頂上jまでかかるはずだ。休憩時間や帰って来る時間を考えるとすでに車の運転中に歩く気力を失ってしまった。のんびり遊歩道を歩いて展望を楽しむ。来方はわかったし今日はこれで十分だろう。
      展望台で地元静岡のアマチュアカメラマンが撮影中だったのでしばし雑談。ペンタックスの中判カメラを見てこちらの単なる度素人とは違うと感じる。ずっと本格的。中古のコニカヘキサーシルバーを出して記念撮影を頼んだら快く引き受けてくれて「私の友人がヘキサーはいいカメラだと言ってました。」と誉めてくれた。それからまたカメラ談義となり、富士山はどうやって撮るかとか話は尽きない。そしてカバンからニコンのフィルムカメラを取り出して一眼レフカメラの話となる。なんとニコンの最高級最新型F6!にびっくりだ。30万円くらいですか?とたずねると、実質22万円くらいだと言う。いずれにしても中古の5万円のヘキサーシルバーとは格が違うような・・・。うらやましくもあるが自分には使いこなせないだろう。
      2時20分前に帰宅。ちょっと燃焼しきれない一日だったが、やはり今日は最初からモチベーションが低かったのでこんなことになってしまったのだと思う。次回行くときはキアイを入れなおして...朝は寒いと言って布団にもぐっているようでは・・・といろいろ考えるものの、でものんびりグータラしてるほうが自分のライフスタイルだと思うこのごろです。
      ★万葉の時代、岩城山と言われていたところが今の薩ッタ峠だ。その時代の旅人は難所の峠を越えて眺める田子の浦と富士の高嶺の雄大な光景に感動したに違いない。

の歴史
(このサッタ峠の文字は画像として取り込みました)
     鎌倉時代に由比倉沢の海中から網にかかって引揚げられたサッタ地蔵をこの山上にお供えしたのでそれ以後サッタ山と呼ぶ。上代に岩城山と称し万葉集にも読まれている。
     (岩城山ただ超え来ませ磯崎の不来海(こぬみ)の浜にわれ立ち待たむ)
     ここに道が開かれたのは1635(明暦元年朝鮮使節の来朝を迎えるためで、それまで東海道は、崖下の海岸を波の寄せ退く間合いを見て岩伝いに駆け抜ける「親しらず子しらず」の難所であった。
     この道は大名行列も通ったので道幅は4m以上はあった。畑の奥に今も石積みのあとが見られ、そこまでが江戸時代の道路である。
     今のように海岸が通れるようになったのは安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果である。