渡良瀬遊水地(谷中湖)
麻久良我(まくらが)の 許我(こが)の渡りの から梶の 音高しもな 寝なへ児故に(3555)

中の島 谷中村共同墓地 旧谷中村役場跡

雷電神社跡 筑波山を望む 遊水地北水門
我が家の相棒は此処のところ土日も休まずにご出勤。仕方ないからこっちはこっちでのんびりすごそうというわけで本日9時過ぎに誰にも行き先を言わず姿を消した。
東北道羽生パーキングエリアで休憩。停車した近くに同じ型の車が停まっていたので、ああ色まで同じだ、などと思いながら昼食のおにぎりを買う。その後、車に戻って扉を開けたとたん、中にいた人が飛び上がって驚いいたのでこっちもビックリする。つまり、こちらが車を間違えてドアを開けてしまったわけだ。見ず知らずの人間が急に自分の車のドアを開けたら当然驚くだろう。こっちはもう平謝り。「何やってんだ、この野郎!」と心の中では思っているだろうな。顔にそう書いてある。面白くない気分だったろうけれど乱暴な人でなくてよかった・・・。驚かしてすみません。こういうときはお詫びを言った後は即みえないところに行ってしまうのが一番だ。恥ずかしい気持ちを抱きながらそそくさとパーキングエリアを出発。まあ、これも旅の楽しみかも?しれないとあきらめる。
渡良瀬遊水地は広大だ。面積で東京ドーム100個分というから想像に絶する。この辺は昔から洪水に見舞われることが多かったので遊水地が作られたという。また足尾銅山の鉱毒事件で有害物質が流れ出ないようにここに貯めておく意味もあったらしい。おかげで谷中村の人たちは移転せざるをえなかった。かつての水田は広大な湖と化したが、共同墓地や役場跡、農家の屋敷跡などは高台に残っている。
そういえばこの前、NHKで足尾の自然の復活と、渡良瀬遊水地の自然の豊かさをテーマにした番組を放送していた。人工の遊水地には今では葦が生えて小鳥たちが巣をつくって生活している。猛禽類も住み着いてねずみなどを捕っているらしい。相当な数の小鳥や植物、小動物が此処で暮らしているのだという。葦の野原は野焼きで焼き払われていたが、そうするのは次の年に良い葦を育てるためである。
遊水地は広大で水のある湖のところを谷中湖とも呼んでいる。中ノ島経由で湖だけをぐるっと一周してみたがこれでも全体の半分にも満たないかもしれない。こんな強風の日に歩く人はほとんどいない。遠くに小さな竜巻のようなものが現れて不安になる。日本で大きな竜巻なんてまずありあえない、などと自分を納得させながら歩く。暫くして消えたのでホッとしてようやく歩き続ける勇気が出た。雷電神社もお寺の延命院も谷中村役場も農家の屋敷も今はもう此処にないけれど、延命院の共同墓地の墓石だけが残っていて昔をしのばせる。
強風でカラの紙コップが飛んできた。遠くからそれを追いかけてくる人がいたので、10mくらい自分も追いかけてコップを捕まえてやったら、追いかけてきた人は自分のものではないとばかりにUターンし早足で視界から消えてしまった。ゴミ、ちゃんと自分で持って帰れよな!なんで最後まで追いかけて来ないんだ!途中で逃げていくなんてふざけるな、と思ってもゴミ箱はないし、自分で持って帰るしかなくなった。いったいあいつはなんだったんだ?
まわりは360度の展望。筑波山、三毳山、大平山、遠くに日光連山、那須連山、赤城山なども望める。冬に来ればもっとはっきりと見えるに違いない。でも強風のときはやめたほうがいいと思う。なにしろ湖の上は風が更に強く、おまけに隠れるところはない。帽子を飛ばされないようにするのが必死で、のんびり散歩というわけにはいかない。今日の風は冷たくてこんな日は出歩くべきじゃないなと思いながらようやく中央エントランスに戻る。写真なども撮ったりしていて約2時間半の旅だった。車内で昼食。2時間で4時帰宅。昨日はシチュー、今日はカレーを作る。同じようなものばかりでうんざりのメンバーもいるだろうが、最低限カレーを食わせておけば文句は言わないだろう。最近、苦手な飲み会が3回連続、更に行道山や仏果山に行き、今日は遊水地。此処一週間、つかれきっているけれども‘迎え酒’というのもあるから‘迎え疲労’というのもあるかもしれない。
渡良瀬遊水地は栃木、茨城、群馬、埼玉の4県にまたがる広大な遊水地で、万葉集の‘許我’は現在の茨城県側の古河(市)にあたるとされる。ここは古く万葉の時代から渡良瀬川を利用した河川交通の要所だったらしい。許我の渡りもその近くにあったはずだ。万葉碑が雀神社近くにあるが、今回そこまではいけなかったので次回のチャンスを待ちたい。