石堂寺・莫越山神社

我が背子を 莫越(なこし)の山の 呼子鳥 君呼び返せ 夜の更けぬとに 1822


渡度山・現在は天王山?・かつては莫越山?

石堂寺の鐘楼堂と山王堂

宮下の莫越山神社・後ろがご神体の莫越山?

石堂寺の本堂(左)と多宝塔(右)

沓見の莫越山神社と神木スダジイの木

石堂寺に移築された旧尾形家と房総の山々


     10月28日(土) 朝8j時半になっても誰も起きてこない。こっちはとっくにおきてパソコンをたたいていたりするのだけれどもまったく誰も反応しないので黙って《石堂寺へ行く》とメモだけ残して出発。そとで母親だけが起きていて掃除したり水を花にやったりしていた。又行くのかい、とあきれていた。
     今日は千葉の石堂寺と莫越山神社だ。名だたる自動車道は紅葉狩りで大混雑するだろうが千葉の館山道なら近場だしそれほど混まないだろう。別に全部歩こうなんて思っていないから水筒も昼食も持たず車で回れば怖くない旅だ。ここはかつてK氏・S氏と共に来たことがある。そのときの写真はもう紛失してしまったので新たに撮影しようと思い立って行くことにした。安近短の山はなかなか見つからないけれども、山でない場所ならなんとかなる。しかし結局往復高速代は5千円近くかかってしまった。近場とはいえどこへ行ってもお金はかかるのは仕方がないだろう。
     『当寺は神亀三年(七二六)聖武天皇の勅願により行基上人の創始と伝えられ、天竺阿育王塔を安置する南総屈指の天台宗の名刹である。』と解説板に書かれている。その後火事で灰燼に帰したがここを支配した丸氏の援助を受けて再建、さらには足利・里見氏にバックアップしてもらったらしい。かつてはにぎわったであろう境内も今では訪れる人も少なく、車が確か数台止まっていただけだった。自然観察ルートが山の上まで伸びていているので歩いてみた。頂上には休憩舎と展望塔がある。町の方面に展望がよいけれど、それ以外は樹林に囲まれていて大して見えない。とくに展望塔に登っても視界はほとんど変わりない。何でもっと高く作ってくれないのだろう。登山と言うにはあまりに短いので疲れもしないが雰囲気は味わうことができる。
     莫越山神社まではすぐそばなので歩こうと思ったもののやはりやめて車で行くことにした。今日はスタコラ回って早く帰る予定、と勝手に理由をつけて車で楽をしようという計画に変更。莫越山神社は同名の神社が2つあるのが不思議である。まずは宮下の莫越山神社。ただの小さい神社だけれと後ろに山がそびえていて、ちょうど出てきた近所の人に山の名を尋ねたら「天王山(てんおうやま)」と言っていた。かの「てんのうざん」と同じ字だ。正しいかどうかわからないけれど地元の人はそういうのだろう。手持ちの解説書には渡度山(とどさん)となっていてこれがかつては莫越山だった(らいいなあ、と思う。)
     次にもう一つの沓見の莫越山神社に行ってみた。もし歩ったらかなりの距離で、それも全部自動車道になる。途中、丸氏の菩提寺、安楽寺によってみたが、誰もいないし、昔の面影もあまり感じずに、一路最終目的地、沓見の莫越山神社へ到着。宮下にある莫越山神社よりも大きくて、立て替えられたらしくきれいだ。ご神木の老木、スダジイの木が歴史を感じさせる。
     たしか4時頃に帰宅。一日たつと帰ってきた時刻の記憶もはっきりしないのは年齢のせいだろうか。
     ★万葉集に莫越山の歌が一つ載っている。莫越の山というのが何処かははっきりとわかっていないのだが、千葉県には莫越山神社という場所があり、その裏にそびえているご神体の山が莫越山ではないかと言われている。同名の神社が二つあるのも不思議。素人としては素直にこの歌の故郷はここにちがいないと思う。神社は二つあるけれど宮下の莫越山神社裏にあるご神体の山が莫越山にちがいない。でも老木のスダジイの木を眺めているとここも莫越山かもしれないと思うし、いずれにしても万葉集の莫越山は千葉県のここであると思いたくなってくる。かつてこの辺はカッコウもないていたのだろう。防人歌に分類されてはいないけれど防人だったのかなあ、などとも思ってしまう。歌についてはリンクしたKY氏のホームページの「上総(安房)の万葉歌碑」を参照。