臼井城址公園

臼井城址本丸(一ノ丸)跡から望む印旛沼

臼井妙見社
別名、星神社という

太田図書の墓
太田道灌の弟とされる

臼井城二ノ丸跡から
一ノ丸に向う

臼井城空掘と土橋跡
土橋はもっと細かった


     いやはや、初詣もここまで来るともう飽きるけれども、ただで歩いていけるところなので今日も同じところとあいなった。2月24日何処かへ行きたいという希望をかなえるべく星神社まで歩く。
     星神社の正式名は臼井妙見社という。臼井城址の北にあり、城の築城時、場内の鬼門の地に建てられたとされるがよくわからないところも多い。

    妙見とは北斗七星を神格化したもので、鎮護国家、除災寿福の菩薩である。臼井一族の家紋である「月星」「日月」「九曜」はこの妙見に由来しており、当神社の社紋ともなっている。


と解説にある。数十メートル歩けば太田図書の墓に到着。図書は太田道灌の弟とされるが異説もある。

     室町時代中期、千葉市一族は古河公方と管領上杉氏との抗争に巻き込まれ、二派に分かれて争った。文明10年12月、上杉方の大田道灌は、公方方の千葉孝胤(のりたね)を境根原(今の松戸市小金)の戦いで破り、敗退した孝胤勢は、一族の臼井持胤、俊胤の守る薄い城へ逃げ帰った。翌文明11年(1489)正月、道灌の弟図書助資忠と千葉自胤(武蔵千葉氏)の軍勢が臼井城を包囲したが、城の防備があまりに堅固なため、いったん引揚げようとした。そのとき、城兵がどっと討って出て、太田勢と激しい戦となり、ついに落城したが、図書助外53人がこの地で討死したと言う。 
      
     何度も読んでる解説板だけれども又読み返してしまった。
     最後は臼井城址公園。其処から印旛沼が見渡せる。最近、佐倉市のローカルな場所ばかりで数を稼ぐ身になってしまった。歩いて行けて確かに安上がりではある。あまりカロリーを使わない軽散歩にはいいけれども、ほかに安近短でまだ行ってない良いところはないものだろうか・・・。