印旛沼公園
−師戸城址−
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梅園休憩所からのユーカリビル群・舟戸大橋・印旛沼 |
現在は自由広場になっている師戸城跡の三の丸 |
印旛沼公園展望台からの二の丸・一の丸方面 |
遊歩道になっている空堀 左は三の丸の土塁 |
| 2008年元旦 実は昨日もここに来て撮影していたが、曇っていたので今日は再挑戦。神社仏閣に初詣に行く決断も出来ず、朝早くまだみんな寝ている間に印旛沼公園に出かけてみた。7時40分に着いたときには既に10人くらいの人々が焚き火中。こんなところで焚き火なんていいのだろうか。テントも2張り張られていて初日の出の撮影のために幕営したものと思われる。太陽は既に地平線から上がっていたものの、思い出に何枚か撮影しておいた。単なる朝日といわれればそれまでだが、なんとなくご来光のありがたさも感じられる。今では正月も働く人が増えてスーパーもずっと営業しているしありがたさも少し減ったような気がしないでもない。ここはお金が無料なのでご来光を拝む穴場スポットかも。 午後4時近くになって思い切って香取神宮まで車で行ってみたが、あまりの混雑に驚き、じっと渋滞の中を待っていられずそのまま引き返してきた。さすがに正月は込み合うところなのだ。元旦は近場で十分だということを実感。近場で人影まばらな印旛沼公園に行くほうがずっと充実した元旦をすごせると思うのだが何しろあまりに来過ぎているところなので、たまには新天地を開拓したいこのごろです。以下は師戸城跡にある説明。 師戸城(もろとじょう)の歴史 師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏の居城である臼井城の支城として、一四世紀に築かれたといわれる。その後、何度か改修され、現存するような形となったのは一六世紀中頃と推定される。 情趣については明らかではないが、江戸時代初期に書かれた「臼井家由来抜書」に名前の見える臼井氏四天王の一人である師戸四郎がこの城に関係があったかとも考えられる。 印旛沼対岸にある臼井城とは「渡」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられる。永禄九年(一五六六年)上杉謙信の臼井攻めにもよくその猛攻を防いだが、天正十八年(一五九〇年)、豊臣氏による下総攻略で落城し、臼井城と運命を共にした。 本丸、二の丸、三の丸、道場台の四つの郭外敵を防ぐための土塁、空堀などがみられ、中世城郭としての様式をよく残すとともに本県の歴史を知る上で価値の高い城跡である。 |