筑波嶺の 裾廻の田井に 秋田刈る 妹刈り遣らむ 黄葉手折らな(1758)
草枕 旅の憂へを 慰もる 事もありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良けくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ (1757)

閑居山

筑波山に登りし歌一首、并せて短歌







反歌





「師付の田井」からのぞむ筑波山

本堂氏菩提寺長興寺の十人十色の羅漢様の石像

志筑城址にある志筑小学校
右に解説板がある

志筑小学校のすぐ下にある池はかつて志筑城のお堀だった

閑居山中腹にある百体磨崖仏は百体観音として知られる

百体観音の上を登っていくと尾根道に出るが頂上は・・・
4/6(日)晴れ。閑居山は常磐道千代田石岡インタで降りる。
     昨日も今日も晴れだが心は晴れない。なんとなく『うつ』状態が続く。こんなことでは精神が病んでしまうだろうと思われ、ガイドブックをぱらぱらめくってあまり遠くなくてすぐいけるところを見つけていた。地図をあけたらこの閑居山が一番近くに載っていたのでここに決めた。パソコン利用して地図を作り、ガソリンも満タンにして7時40分頃に16号を走っていたと思う。ガソリン値下げパニックなんてぜんぜん起こらなかったけれどあれは政府の脅しだったのか?
     千代田石岡インタをおりて恋瀬橋を渡り順調に行っているように見えたが、いつまでたってもつかない。迷ったと思いまた元に引き返す。なんだかんだでまた迷って常陸風土記の丘にたどり着いてしまった。其処からまたスタートし、行ったりきたりして2時間で着くつもりが3時間になった。がっかり。 近場とはいえ道がよくわからず、どっと疲れた。
     志筑小学校の脇にある小学校専用駐車場に車を置かせてもらったのはずうずうしいことだったかもしれない。でも誰も駐車していない野原で恐らく志筑城址を見学するハイカーが校内に勝手に入らないようにここに車置き場を作ってくれたのだろう。少し下ると池があるがそこがかつて志筑城のお堀であった所だ。
     長興寺の羅漢様はそれぞれ異なった個性的な顔をしていて見飽きない。すぐ近くには万葉集に載っている「師筑の田井」が今もかわらず広がっている。万葉の風景もかつてこのようだったのだろう。
     そこから閑居山まで歩いた。なんとか登山口までくると誰も居ない。百体観音によっていこうと思い20分くらい歩けば簡単に着く。もちろん誰も居ない。なんだか道も管理されていないようだし、磨崖仏の場所も荒れ放題の雰囲気だ。そこから上に上れば頂上だろうと思って道なき道を登ってみた。最初に階段はあるのだがすぐに落ち葉ばかりの道となり、歩きにくい。ガイドブックには誰も登る人はいないのでは廃道寸前のようなことが書いてあったが、木に巻かれているテープが頼りだ。しばらく我慢して登ったら尾根道に出たのだが、ただ権現山と青木葉峠を示す道標が在るのみで頂上は見つからない。青木葉峠のほうかなあなどといい加減に推測し歩き始めた。行けども行けども着かず、家には12時に戻るなどと言った手前、あまり遅くにはなれない。すでに2時にならんとしているので思い切って引き返してきた。行きはよいよい、帰りは怖い・・慎重にすべりやすい急坂を下ってなんとか磨崖仏の真上に出たのだが、さっきどうやって登ってきたのかわからず、どこから降りてよいのか迷ってあっちへ行ったりこっちへ来たりで、ようやく磨崖仏の岩を伝って降りてきた。冷や汗ものだ。道中誰にも会わず、蛇にであった。マムシだろうか。
     登山口に戻ると、ワゴン車が走ってきて停車したので、てっきり閑居山に登るのかと思い声をかけたが違っていた。でも同乗していた女性が言うには、この山の願成寺はかつてハンセン病患者を世話していた所だったのだ。お礼を言って車に戻り、すぐ出発。まだ2時半頃で常磐道も16号も意外とすいていて楽勝。でもなんだか気分はそれほど晴れなかった。頂上に行けなかったこともあるけれど、職場や家庭の鬱屈した気分を吹き飛ばすことなど何やっても出来ないのかもしれない、と悲観的となり一日を終える。
     ★師付とは現在の志筑で万葉の昔から豊かな田園地帯だった。上志筑、中志筑、下志筑などにその地名が残っている。 恋瀬川もかつては信筑川(しづくがわ)と呼ばれていた。閑居山もかつては志筑山と呼ばれていたが、弘法大師が閑居したことから名前が変わったという。