佐倉城址公園
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明治7年創設の佐倉陸軍病院 昭和40年代まで建物は残っていたのだという |
![]() 現在の陸軍病院跡 「佐倉祭り」の時には駐車場と化してしまう |
本丸から見てはじめての門で「一の御門」と呼ばれていた一の門 |
![]() 現在の一の門付近には祭りのときは露天がならぶ。 ここを抜けると本丸になる |
兵士訓練用の12階段 飛び降り訓練に使用した |
![]() コンクリを壊すのが面倒なので残った現在の階段 |
本丸から大手門にいたる門は「二の御門」と呼ばれた |
![]() 二の御門跡 やや土が盛り上がっている以外痕跡なし |
銅櫓 太田道灌が作ったといわれる |
![]() 現在の銅櫓跡 江戸城から 移築された銅櫓も今はない |
三の門は倉庫として使われ 門内には家老屋敷があった |
![]() 「三の門」付近 明るい林は お弁当広場となっている |
明治5年ごろ撮影とされる大 手門(追手門) |
大手門は惣曲輪の表門であ った |
![]() 現在の大手門跡付近 佐倉 城址公園の外になっている |
番兵が立って連隊に出入りす るものを監視した衛兵所 |
![]() 衛兵所跡 横着して車の中か ら撮影したのであしからず |
![]() 家老の娘を溺死させた姥が身 を投げたという姥ヶ池 |
![]() 佐倉城の夫婦モッコク 前方 の広場はかつての本丸 |
![]() 陸軍衛所跡 基礎は佐倉 城の基礎石を転用したもの |
| 4月5日、桜城址公園。 誰も起きてこない日曜日朝の7時半すぎに一人で佐倉城址に出かける。何度も行っているので大げさに語ることでもないところだが、今日は桜まつりで人では多い。まだ駐車場はあいているが、次から次ぎへと車がやってきてスペースはどんどん埋まっていく。桜の見ごろも明日の天気はよくないので実質今日が最後。我が家の相棒を呼んでこようと思っていったん途中まで引き返したが、どうせ相棒は今頃夢の中だし、再出発するにもかなりの時間を要すことになる。そんなことやっていたら車をとめることもできなくなるので、また途中で引き返した。 城は戦前戦中は軍隊の練兵場として使われていたものがおおいはずだが、これは佐倉城とて例外ではない。上の写真のほかにも兵営跡、兵営の便所跡とか弾薬庫跡、軍犬・軍馬の墓、モッコクの木にある兵士のいたずら書きなどがあるものの、桜の人気に比べるとほとんど誰もみむきもしない。軍隊って文化財にも被害を与えるものらしい。 明治の初期には写真にあるような建造物が残っていたのに今では全てがなくなってしまった。かつての権力の象徴だったとはいえ、貴重な文化財だと判断する心の余裕もなかったのだろう。その時代、価値がないと思われるものも長い視点で見れば価値の計り知れないものもあるはずだ。 職場の同僚で町の麻賀多神社の氏子でもあるS氏とすれ違った。「やっぱりいらっしゃったのですか」などと敬語を使われるのもはずかしい。ご一家総出で来たらしく、意外と?親孝行なんだなあな、などと思う。勝手に一人出来ている心の狭さを感じてしまう。 上の写真は解説板を撮影してトリミングしたもの。まさか著作権なんてないだろうけれど、パソコンに不慣れなので、トリミングしてこのページを創るのも一苦労でした。 |