上総国分僧寺・上総国分尼寺(跡)

 葦垣の 隈所(くまと)に立ちて 我妹子(わぎもこ)が 袖もしほほに 泣きしそ思はゆ (4357)

復元された上総国分尼寺の回廊は11億5千万間円とか・・・中門は4億円だという


現在の国分僧寺仁王門
西門跡は手前に礎石あり

将門塔 偽物説あり

国分寺薬師堂
元禄年間、僧快應が再建


国分僧寺の七重塔跡
礎石が残っている

再建された国分尼寺の回廊
をめぐる

国分寺中央公園の入り口の
埴輪のモニュメント
市川市の上総国分僧寺・国分尼寺は跡が残るだけだが、国分尼寺の回廊が再建されている。
     2月8日(日)11時前に出発したはず。子供が出かけるというので朝からドタバタしていて駅まで送って行ったりしていて、朝食を食べていつも通りテレビを見ていたら10時半を過ぎた。今日は風が強いし、晴れていてもどこかに行くのは億劫だなどと、自信で納得していたけれども、それでもやはり何処かへ行きたいと我が家のあの人は言う。自分で考えろよ、と言ってはみたものの、それは不可能に近い。じゃ、ここに行ってみようと連れてってやることにした。上総国分寺。
     なんの渋滞もなく国分僧寺の駐車場に到着。11時10分。一台も止まっていない。人気ないのだろうか。かつての西門跡を過ぎると現在の仁王門。内側に現在の国分寺の本堂と茅葺の薬師堂がある。国分僧寺の七重塔の基石が残っていて、付近は野原となっている。更に向こう側は既に住宅地になっている。ずいぶんと広い敷地だったようだ。
     市原市役所のほうに歩いていく。国分寺中央公園を過ぎるとようやく国分尼寺。回廊を見学する前に展示館に入ると、係りの人が出てきて丁寧に説明をしてくれたが、国分寺の歴史のビデオを見学したりして30分を要した。昼食も食べずに思いもかけぬ勉強をしてしまった。わかったことといえば、この国分僧寺と国分尼寺は全国でも有数の広さを誇ること、特に国分尼寺は国分僧寺の付属であるようなところも多い中、まったく引けをとらないほどの広さを誇り、設備も充実していたこと、七重塔の基盤となる石は市原近辺にはなく、鋸山から切り出して運んできたこと、聖武天皇の国分寺建立の大号令は農民には苦役を強いるため不評だったこと、などである。成瀬巳喜男の映画『山椒大夫』にでてくる厨子王は国分寺に逃げ込んで命を助けられることになっていたのは、あれが平安時代だったからというのが我が家の見解だ。建立された当時は不評だったのだろう。おかげで、律令制度の崩壊とともに国分寺も荒れ果てていった。(というビデオでした)。
     帰り、国分寺中央公園を突っ切る。なかに小さな池や小川も流れている。今は昔、この辺の水は寺の僧侶の命の水だったのかもしれない。周りが宅地開発されてしまってもある程度の広さの野原が寺跡として残っているので、其処にたって遥か昔の寺や塔に思いをはせてみれば、鮮やかに七重塔が石の上によみがえる。
     お昼抜きで我が家の相棒は多少ガス欠ぎみとなり、途中のセブンイレブンでパンを買った。車中で食べながらかえるのも楽しい。サンドイッチ・コロッケパン・ツナマヨロール・オレンジジュースを食べつくしてちょっと食べ過ぎたかもしれない。3時帰宅。
     ★上の歌には―右の一首は、市原郡の上丁、刑部直千國とある。すなわち、市原出身の防人が歌った歌である。悲しい気持ちの伝わる歌だと思う。この歌に解説は不要だ。