本佐倉城址
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倉跡からの諏訪神社方面 碑が建っているのみ |
奥ノ山 この右にかつては妙見宮があった |
妙見宮跡 徳川時代にはすでに下に移されたようだ |
麓にある妙見神社の鳥居 妙見様は千葉氏の守護神 |
「天照皇火神」と書かれた石碑は妙見神社の奥にある |
諏訪神社 樹間越しに京成線が見える |
城山 建物や門・塀などの跡が見つかっている |
城山は急坂の上にあり、容易に登れなかった |
| 本佐倉城址は 「文明年間(1489〜86)に千葉介輔胤が築城。天正18年(1590)に姻戚関係にあった小田原の北条氏と共に滅亡するまで、千葉家の宗家として、百有余年間(9代)続きました。深い堀跡の一部や郭跡が確認でき、当時の様子を現代に伝えています。」 と解説にある。 12月6日(日)快晴。いろいろな仕事を家に抱えてきたのでちょっと遠くに外出するわけにもいかず、家の仕事にまず精を出す。こういう状態だとたいてい職場の仕事は後回しでやらないことも多い。奥多摩まで行くのも時間的にかつ、精神的に無理なので、布団や洗濯物を乾して買い物がてらに本佐倉城跡に行ってみることにした。このまえは工事中だったから、今回はたぶん駐車場ができているだろうという勝手な推測に基づいていってみたら、東山馬場が駐車スペースになっていて一台停車していた。 工事と言っても発掘作業だったようで特に何かが作られたということではないようだ。この前とほとんど同じ。簡易トイレがおいてあること、月と星の千葉氏の家紋が付いた盾が並べてあり雰囲気をつくりだしていること、妙見神社への道が切り開かれていて直接降りていけるようになっていたこと、城山の発掘作業で門、建物、塀などの位置が示されていたこと、などが違っていたくらいだ。妙見神社まで降りていき、一通り全部回ってみたので思っていたより結構時間を費やした。人気が無いのかほとんど人はいない。それでも数人とすれ違い、最後に発掘作業時に造られた階段を上れば北側に展望が広がる。田園風景と京成線、晴れていれば遠くに筑波山も望むこともできるが、今回はかすかにその稜線が見えるか見えないかという程度で、もっと空気の済んだときに来るべきだろう。一人の男性が其処に座って弁当を食べていた。 ちょうど寺崎城址に行ったときと同じような感じといえばいいだろうか。家から近いし、あまり人気がなさそうだし、売店の類などもちろん何も無い。道が細くて最初はちょっと来にくいところでもある。師戸城址、臼井城址とくらべてもここはかなり大きいところで歩き甲斐もある。我が家の相棒は前に来たことも忘れていたが、ようやく現地についてから思い出したようだ。奥多摩の山を登るのに比べれば、あっという間の時間。でも、静かな紅葉の空間が広がっていた。 |