馬来田駅・真里谷城跡・三石山観音寺
−馬来田(うまくた)の 嶺(ね)ろに隠り居(い) かくだにも 国の遠かば 汝(な)が目欲(ほ)りせむ−(3383)
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三石山展望台 7年前はこんなものなかった |
三石山観音寺のかつての本堂 は巨石の下に作られている |
七年前登った時と同じ看板 時間が早すぎて参拝者がいない |
1464年創建 天寧山真如寺 上総武田家の菩提寺 |
真里谷(まりやつ)城跡 千畳敷と呼ばれる本丸跡 |
馬来田駅に到着 駅前に万葉の碑がある |
| 千葉県の馬来田は万葉集にも出てくる古い地名です。 3月31日(水)思い切って年休にしてしまったが、どこに行こうという当てもない。そういえば7年前の今ごろ、三石山に我家の相棒と来た。今日はどういうわけか、あの時と違って一人旅。誰も付き合ってくれず、それでも寂しいと思うことはもうなくなった。 カーナビを利用していってみようと思って全然別のところ(他県)を入力してみたがそんな地名はないという表示ばかり出るのであきらめて三石山観音寺とうちこんだらすぐ表示されたためそこに決めた。必死に地図を調べなくてもいいので便利なカーナビだが、まだまだ進歩の余地はあるようだ。いろいろ道を間違って、有料自動車道を途中から使わない設定に変えてかなり時間を要して三石山観音寺に到着。10時をすぎていたが、誰も参拝客はいないので駐車場は空っぽ。天気予報では今日は昨日と違って南風で暖かいというのだが、昨日よりはというだけでこの時間やっぱり寒い。風もそよ風という感じではないし、天候も曇りというほうがあたっているような天候であまり歩きたくない。本当は三石山から元清澄山まで歩こうと思っていた。2時間半くらいで片道だから往復5時間かなあなどと思うと、もっと天気のいいときにいい気分で歩こうと思って計画を変更。縦走していくルートを確認できただけでも今日は収穫ありと思うことにした。実は途中百メートルほどあるってみたのだが、まず最初の上り坂があまり手入れされていないようで道標もない。よく見るとマジックで薄く5.7kmと書かれている。軟弱なのはいつものこと。時間的にも次回目指すことに迷うことはなかった。展望台は7年前はなかったと思う。新設の駐車場もあり、戸惑う。奥の院にハンカチを結びつけると願いがかなうというので隙間もないほどハンカチで埋め尽くされていた。中にはタオルや幼稚園の帽子などもある。願い事をする人はいつの時代も多い。 もう帰ろうと思って自宅をを目指したけれども、途中で馬来田駅による。しばらく駅前で解説を読んだり地図を眺めたりして時間をつぶす。近くにはいくつかの万葉碑があるものの、時間的に回っている暇はなく、どうしようかと思ったが、真里谷城跡があるというのでそこだけ見学して帰ることにした。カーナビで「マルエツ」といっているのかと思ったら、「まりやつ」だったことに気づく。真里谷城は1530年前後が全盛期で、築城140年後、秀吉の小田原攻め(1590)のとき、小田原北条に味方して滅びた。時の城主真里谷信高は那須に逃げてのち、剣術指南役として名を轟かせた。この山城は里見と武田の連合軍が北条に敗れた国府台城の合戦(1538)以後、武田の勢力が衰えるとともに次第に役目を終えた。。真里谷という姓は真里谷信興のときに武田から真里谷を称するようになった。(以上解説より)。真如寺は上総武田家の菩提寺で甲斐の武田家とは親戚関係なのだという。今では真里谷城跡は少年キャンプ場になっていて公園として整備されているでもなく、それがまたかつての山城の雰囲気を感じさせてくれる。 駅前の万葉の碑に上の歌が書かれている。意味は自分の理解力では少々手に余るので駅前の解説をそのまま利用させてもらおう。地名は今では「まくた」と読まれるが、その当時は「うまくた」と言われていた。 馬来田の嶺々にさえぎられただけで、こんなに苦しいのに、他国に出て、あなたの住むこの馬来田の国が遥に遠ざかり、幾日も会えないでいたら、私はどんなにかあなたに会いたくなるだろう。 今日で前の職場とはお別れ、つまり、転勤します。7年前と同じ三石山観音に来たのに、猿には会えなかった。あの猿は今頃どうしているだろうか。 |