誕生寺・鯛の浦

誕生寺境内

悲話が伝わる
「おせんころがし」の碑

誕生寺総門
境内にも店が並ぶ

1706年建立とされる誕生寺仁王門
唯一焼失を免れた

日蓮上人の幼い頃の像
こんなにかわいかったのか

鯛の浦と大沢漁港方面
「おせんころがし」より

おせんころがしの碑から下を望む
ちょうど引き潮だったようだ

新たに建設中の鯛の浦遊歩道
うしろに弁天島が見える

大弁天島(左)と小弁天島(だろう)
遊覧船もこの辺まで来る
   小湊は日蓮上人の生誕地なのだと言われる。
   4月18日(日) 昨日はいい天気ではなかった。今日は、関東平野は全面的に晴れと言うので、朝起きて外を眺めてみれば確かに青空っぽいので、出かけようかと思うものの、気力がわかず5時をのがし、6時をやりすごし、などとしていて8時を過ぎてしまう。「あたしは今日は仕事もあるし、行かないわよ。行くとしたらチューリップ祭りくらいかしら。」などと我家の相棒の宣言を聞き、今日もどこもいけないかなどとあきらめムード一色。でもやはりどこかへ、と未練がましくカーナビに「誕生寺」と打ち込んだら反応したので、明るいうちに帰る、と言って朝食前に家を出た。一人旅。8時50分頃だったはずだ。
   
   カーナビに慣れてしまうと、後には戻れない。3.5インチの小画面でも役に立つことこの上ない。信頼度は抜群だ。一度も迷わずに一気に房総半島南端の誕生寺へ。途中千葉付近で渋滞したものの多少のことなら我慢の限度内だ。ただ、誕生寺付近の駐車場は有料、たしか小型車は600円だったと思うが、どうも止める気になれず、寺を通り過ぎておせんころがしの碑をを目指した。勝手に道路わきに止めて200mくらい歩くとおせんころがしの碑が立っていて、そこから下に鯛の浦の海岸が見える。ちょうど引き潮だったようだ。

    誕生寺に戻る途中で車を止めてしまって、誕生寺まで徒歩で下ること15分、寺に到着。たかだか600円をケチるために15分も歩いてしまい、帰りはまた15分の上り坂が待っていることになるが、歩くのがひとつの目的でもあるからこれくらいならなんでもない。それにしてもガソリンや高速道に金をどんどん使っていながらこんなところで節約なんて、小さくケチって大きく損する人間なのだろう。小心者なんだと思う。

    「本尊問答抄」に「安房国長狭郡東條郷片海海人が子なり」、とあり、また聖人没後50年頃の聖人伝「本門宗要抄」には
「出生の処は安房国長狭郡東條小湊の浦の釣り人権頭の子也」とある(解説板より)。誕生寺はのちに聖人誕生の地に建立されたのである。しかし、大地震、大津波、大火災などで何度も再建されて、現在、最後の大火で焼失しなかったのは江戸時代建立の仁王門だけだとされている。それでも境内に店が並び、鯛の浦とともに観光地として成り立っているのにはちょっと驚いた。欲を言えばお団子屋さんとかお饅頭屋さんとかがあれば、もっとよかったかなあなどとと、これはまったくの個人的な意見です。この前銚子の犬吠埼に行ったときと同じようなお土産を買い込んでおいた。

    鯛の浦は遊覧船と遊歩道がある。遊歩道は2004年頃に崩れて歩行が禁止されていたが、今は新しい遊歩道がかなりできていて弁天島くらいまでなら十分行けるようになっている。あまり人は歩いていないが、その道を島まで歩いてみた。釣りをしている人もいるのだが、釣りは禁止なのだろうか、それともタイだけ捕ってはいけないのだろうか。引き潮の中ではどこまでもいけそうだが、それだけの時間的余裕もなく、鳥居のある弁天島まで行って戻ってきた。

    ブドウパンを一口かじっただけの昼食はみじめだった。ちゃんと刺身定食くらい豪華に食べてくればよかったのだろうけれど、貧乏性はこんなことにも現れるのだと思う。帰りの登りもなんとなく元気がなかった。昼食を満足に食べないせいなのか、それとも来週の仕事を考えてしまったせいだろうか。それでもたった15分なのでぼっとしているうちに戻れたけれど、一人旅というのがもう慣れっこになったとはいえ、話し相手に馬鹿話をするというのはけっこう疲れを癒すものだ、と思われる。

    帰りは行きより更に混雑。昨日雨で外出できなかったせいで、今日はその腹いせにみんな雨後のたけのこの様に外に出てきたのだろう。いかに週末に日本人が日ごろの疲れを癒したがっているのかがわかるような気がした。自分の精神構造もおそらく世の中に大きく影響されているはずだ・・・。