八王子城址

八王子城址 石垣や石畳、曳橋は出来るだけ忠実に復元されている

金子三郎右衛門家重が守備していたと言われる金子丸

頂上近くから八王子市と東京新宿方面の展望に優れる 

頂上の階段を登ると八王子神社
更に右の階段を登れば本丸だ

八王子神社横の横地監物の碑
奥多摩湖水没のためここに移転

落城寸前に奥多摩へ落ち延びた
横地監物吉信が守備した本丸 

神社前の松木曲輪からの展望
中山勘解由家範が守備した場所

自刃した者の血で三日三晩赤く染まったという御主殿の滝 

御主殿跡 北条氏照は戦を山城で、実務はここで行ったのであろう
12月25日(日)

八王子城址

1225日(日)八王子城址に行く。朝、10時半過ぎに出発準備、すでに11時になろうとしていた頃にようやく出発。首都高が混んで渋滞していたら引き返すことにして我が家の面々を誘うものの子供たちには却下され、ワタク氏の相棒のみ付き合ってくれることになった。やはり、一人で出かけるよりも二人のほうが楽しそうだ。一人で行くことは慣れたとはいえ寂しいときもある。

意外というか当然というか順調に走り、1220分頃八王子城址に到着。年末のこの日曜日に高速道を使って走る人は少ない。ボランティアガイドの人にパンフレットをもらって山を登っていく。こんな山道とは知らず、我が家の相棒は運動靴をはいてこなかったため登りにくそうだけれども、大体40分も歩けば頂上の本丸に着くはずだ。半分ほど歩くと金子丸と呼ばれる狭い平地にでる。ここはかつて金子三郎家重が守っていたが、豊臣軍の前田利家と上杉景勝に攻められた(と解説にある)。

頂上と書いてある場所の階段を上ると八王子神社がある。近くの松木曲輪は中山家範が守備につき前田・上杉軍と奮戦をしたところだが、徳川家康にその奮戦ぶりを認められ,その子は水戸藩の老中にまで出世した。(とこれも解説にある)

さらに八王子神社の横の階段を上っていくとようやく本丸だ。横地監物吉信が守っていたところで、彼は落城寸前に奥多摩に逃げ延び自刃したといわれ、その碑が奥多摩に建てられたが、奥多摩湖造成のおり水底に沈むのを避けて現在は八王子神社横に移設されている。本丸でちょっと昼食でも,と思っても今日は何も準備せずに登ってきたので食べるものなし。もちろん飲み物もなし。のんびり休んで食事しながらかつてここで活躍した人たちに思いをはせてみたいと思うが、次回に持ち越して空腹のまま下山。松木曲輪からの展望もよいが、やや下ったところからの展望がベストだろう。スカイツリー、新宿高層ビル群、その他のビル群も見えるがおそらく右に見えるのは横浜方面で、左遠くに筑波山も見える。

下山して即帰ろうと思ったが、せっかく来たのだからと御主殿跡に行ってみることにした。城山川沿いに10分歩けば御主殿の滝、曳橋、御主殿跡、に着く。御主殿跡は広々した平地でのんびり休息できるところだ。御主殿跡の虎口の石垣、石畳は出土した石をそのまま利用し復元されていて、一部はそのままの形でうもれていたようだ。曳橋もこんな立派なものではなかったかもしれないが、それはそれ、いろいろ考えながら歩くのも楽しい。

カーナビでの帰宅予想時間は425分。コンビニで昼食を買って食べながら帰ろうということになった。最初のコンビニは入りづらいのでパス。2番目は配送トラックが止まっていてこれも入りづらくパス。いっそうのこと昼飯なしで帰ろうと提案すると、即座に却下された。顔つきも変わってきたのでこれはまずいと思って必死でコンビニを探すもなかなか見つからない。八王子インタが近づいてくるし気が気でなかったがようやくセブンイレブンを発見し事なきを得た。そこが最後のコンビニだったのだが、もしあれがなかったらおそらく車内から逃げ出したい雰囲気になっていたはずだ。笑顔で対応できるのもコンビにあってこそで、その後、渋滞もなく1時間半以内で帰宅。食べ物を持っていかなかったこと、出かけるのが遅かったことは失敗だったけれども、無事440分帰宅。地面がぬれていると思ったら、雨ではなく雪が降ったらしい。

    1590年(天正18年)八王子城主の北条氏照は小田原城が開城した後、秀吉に切腹を命じられ自害した。