小田原城址
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馬出(うまだし)門土橋(めがね橋) と馬出門 |
お城?否、三の丸小学校です 小田原市はお金持ちなのだろうな |
馬屋曲輪から眺める住吉橋と 奥に銅(あかがね)門が見える |
銅(あかがね)門の威容 平成9年復元。二の丸表門 |
銅門礎石と伝えられる石 箱根外輪山の安山岩製 |
昭和46年復元の常盤木(ときわぎ)門 明治の廃城まであった本丸の正門 |
裏kら眺める常盤木門 明治初期の小田原廃城まであった |
本丸売店で食べた北条うどん 700円なり |
| 小田原城、明治時代になって取り壊された部分が、お金をかけて復元されている。 12月23日(金)6時半出発などと言っていたのに7時半となるのはいつもどおり。だいたい、世の中時間厳守が多すぎるよ、というのが我家の結論、というよりも、家の中くらいは時間はアバウトでありたい。急ぎ旅でもないし、無事着けるだけが大目標だ。湾岸を走って葛西インタから北上し、小菅インタを出る。まずは堀切にいる長女を乗せてからの予定。今日は家族、といっても相棒と娘二人の観光旅行。もう既に混んでいて東名高速に向かうところで渋滞し、東名自体も横浜町田付近まで渋滞。やはりもっと早く出るべきだったか。ま、そのうち着くだろう。何にも食べ物も飲み物も用意してなくて車内はただ暇なだけ。それでもワタク氏以外の人の話は弾んでいた。 小田原厚木道路に入り小田原東インタを出る。小田原西インタでもよかったろうけれどあまり地理を知らない身としては、カーナビに頼るしかない。小田原城は付近の有料駐車場を使うしかなくて付近をうろうろして時間が過ぎていき、ようやく藤棚駐車場に止めて歩き始めた。正面から入ろうということになり、お堀端を歩いていくと、右にお城よりも立派な?建物が現れる。三の丸小学校と書いてある。小田原市はお金もちなんだということを感じさせるつくりでしばし溜息交じりで校舎を見上げたのだが、お城の一部といわれればそうだと信じてしまいそうなつくりだ。 馬出門、銅門、常盤木門をくぐると本丸だ。天守閣のかっこうをした博物館が見えてくる。おそらくこの小田原城は時間をかけて復元されている門のせいで以前よりはずいぶんと当時のオモカゲに近づいているはずだ。かつてはもっと立派な広大な城だったらしく、小田原氏滅亡のあとはかなり狭くされてしまったようなのだが、それでもかつての壮大な城の雰囲気を味わうことが出来る。 博物館の中の説明を読みながら天守閣の展望台へ。我家の娘たちは何を話しているのか、かなりの時間をかけてようやく展望台に到着したようだが、既に見学を終了して下に下りてきて本丸で手を振るワタク氏に気づかず、遠くの山々ばかり眺めている。そういえば昔まだ小さいときに遊園地へ行ったときも、一箇所でずっと遊んでいて、次々と後から来た人に抜かれていくということもあった。なかなか移動しないのは昔から変っていないのかもしれない。 本丸売店で昼食休憩。帰りの途中に小田原城歴史見聞館に入り見学。北条早雲がいかに優れた大名だったかということを何度も耳にする。早雲はこの小田原の地ではヒーローなのであり、江戸時代この城には別の大名が入ったにもかかわらず、やはり小田原を語るには北条氏こそふさわしい。地元で北条早雲の悪口を言おうものなら袋叩きに会いそうだ。 駐車場に戻ると2時半を過ぎていたと思う。お昼の12時には帰宅するよ、などといい加減なことを言って連れ出したものの、すでにこんな時間となり、家に着く頃は5時前のぎりぎり暗くなる前の時刻となった。なんとか日がくれる前にもどれたとほっとした。朝の1時間遅れは帰りの4時間遅れくらいに匹敵するらしい?山歩きはこの前乾徳山に行った時にあまりに疲れて懲りたらしく、いきたがらないので最近は城廻となっているのだが、それなら石垣山一夜城にまで足を伸ばすべきだった。それも次回となる。明日は日曜日でも仕事で出勤予定。青空でなかったけれども今日行けたことを喜びたい。今度は斎藤道三の城だった岐阜城にでも行ってみたい。遠すぎるけれどもみんな付き合うだろうか。 |