忍城址・さきたま古墳公園
−「のぼうの城」−
埼玉の 小埼(おさき)の沼に 鴨ぞ翼(はね)きる 己が尾に ふりおける霜を 掃(はら)ふとにあらし (1744)
埼玉の 津に居る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言な絶えそね (3380)
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かつての藩校「進修館」の表門であったと伝えられる |
忍城内の櫓に使用された石垣 櫓は明治六年廃城により解体 |
水城公園 かつては忍城の堀の一部だったが今では公園化された |
忍中学校の校門前にある 忍城十五門のうちの太鼓門跡 |
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丸墓山古墳に続く桜並木は石田三成の忍城水攻めの際の堤の跡だ |
丸墓山古墳には登ることができる 石田三成はこの上に陣を張った |
丸墓山頂上から望む稲荷山古墳 銘文が見出された鉄剣は国宝 |
稲荷山古墳から望む将軍山古墳 千葉県の「房州石」を使っている |
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双子山古墳 6世紀始めに作られた頃は水はなかったといわれる |
愛宕山古墳 埼玉古墳群の中で最小の前方後円墳 6世紀前半 |
前玉神社の2基一対の石灯籠 万葉集の歌が刻まれている |
神社自体tが浅間塚古墳の頂上にある前玉神社本殿 |
| 12月11日(日) 晴天。忍城に行こうと思い、7時過ぎに出発。自動車道が全然渋滞がなく、8時20分頃に忍城の駐車場にいた。昨日もいい天気だったので、布団干しなどに精を出したので今日は出かけてもいいだろう。それにそんな長居をするわけでもないし、昼食には間に合わなくても夕食前に帰宅して家事を手伝うことも出来るだろうし、と自分を納得させて見学を急ぐ。 忍城址はいまや「のぼうの城」でどんどん人気を上げている城址なのだが、その小説や漫画を読んだり見たりしたことはない。今度また映画化もされるというのでますますきょうみはあるけれども、だいたいそういう人気にあやかった作品はえてして出来の悪いものとなる。そうならないことを祈っている。 一人で記念撮影といってもなかなか難しい。いちおう三脚を持ってきたが、うまく立てるところがなく、ばっちり自分が収まるところがなかなか見つからず、苦労しながら撮影。朝日に映える忍城址はたとえ博物館とはいえ、美しく見える。昔はここを石田三成が水攻めをしたところだとは、今の発展した町並みからは想像できない。湿地帯に建っているこの城は「忍の浮城」とも言われ、難攻不落の城であった。 忍城の由来を場内の掲示板からまとめればこうなる。 @文明十年(1478)頃、成田顕奉(あきやす)により築城 A守りやすく攻めにくい難攻不落の名城 B天正十八年(1590)豊臣秀吉関東平定の中で戦われた石田三成の忍城水攻めにも耐えた。 C水に浮くのかと恐れられ、「忍の浮城」とも称された。 D寛永十六年(1639)老中、安部忠秋入城し、忍城大改築に着手 E孫の正武の代に忍城御三階櫓の建設、城門土塀の修築完成 F文政六年(1823)伊勢の桑名から松平忠堯(ただちか)が移封し忠誠(ただざね)のときに明治維新となる。 というわけで自分の知る知識はこの掲示板から得たものがほとんど。昔はずっと大きなお城だったようで、水城公園はかつてのお城のお堀の名残である。今では高齢者の絶好の釣堀と化している。ほかの堀は埋め立ててしまったようだ。 もう帰ろうと思うもののもう一箇所、近場の埼玉古墳公園に行ってみた。そこにある丸墓山古墳の上に石田三成は陣を張ったらしく、そこに至る桜並木の道は水攻めに使った堤防の名残といわれている。これが石田堤だ。天気は抜群だ。しかし、時間を気にしていくつかの古墳をあせってめぐり、けっこう早足となる。 そのままの勢いで前玉神社にいたる。ここも円墳らしく、そのうえに神社があり、階段を登るところに二つの石灯籠が建っていて万葉集の上に書いた2首が刻まれている。さきたま、とは埼玉だけでなく、前玉とも書くのである。埼玉とは、ここ行田市付近だとされる。さいたまは「ださいたま」などといわれるが、本当は古くからの歴史のある言葉なのである。さいたまけん ではなく、さきたまけんと読んでほしいところだ。近年、のぼうの城が大ヒットし、人気急上昇中.。願わくは映画もよい出来であってほしいのだが、果たしてこの期待はこたえられるだろうか。 忍城物語の最中、甲斐姫せんべい、塩餡瓶(しおあんびん)、忍城小判せんべいなど、お土産を買い込んで11時半頃出発し、1時前に帰宅。帰りも渋滞なし。こんなことなら誰か付き合ってくれてもよかったと思うのだが、・・・。夕食準備、もちろんワタク氏の仕事でした。 ★万葉の時代もここは水運が盛んだったところらしく、湿地を利用して船が行き来していたことが想像される。今では埋め立てられ舗装されかつての雰囲気はあまりなくなってしまったが、忍城の周りや、水城公園にかすかにその雰囲気を感じることが出来る。小埼沼も今の行田市辺りにあってこの辺が湿地帯だったことがうなずける。高橋虫麻呂歌集に出ているので作者も虫麻呂といわれている。二句目の「言な絶えそね」は、つまり、連絡がたえませんように、という夫を思う妻の気持ちを歌った歌(と勝手に解釈)。 |