五浦海岸六角堂

五浦海岸六角堂 3.11の大津波で基礎部分の土台以外は
すべて流されたが再建されて現在に至る


記念館内の岡倉天心像 この姿を好んだとされる

天心の教え子で美術史家ラングドン・ウォーナー像と覆堂

岡倉天心の家とアジアは一つの碑が見える
岡倉天心の墓 どこに作ってもよかった時代だった?
10月4日(火)
   朝食後に10時過ぎに出かけると、なんとついたのは1時10分ごろだった。遊歩道といってもそれほど長いわけではなく、説明を読んだり歩き回っているうちに1時間くらい過ぎてしまい、ほかに行くところを研究してきたわけでもないので帰ろうということになった。もう少し調べていけば近くの公園でも歩いてそこから六角堂を撮影できたのに、と今になってしまって思う。途中の美術館もよることなく、昼食も帰りにコンビニで買って車内で食べながら帰ってきた。とにかく、生き返りに6時間ばかり時間を取られ、向こうにいたのが1時間というのは何しに行ったかわからないが、ドライブに行ったと思うことにして、岡倉天心の生活よりも六角堂の被害を見て東北大震災の大きさを実感した次第。
   後日、NHKで岡倉天心の番組を見る。明治政府の神仏分離令が政府が思ったよりも過激な暴動を引き起こし廃仏毀釈運動となって日本全国を襲ったが、天心は官僚となってかつての日本の心である仏像を救おうと活躍した。それは日本人が営々と生活する中から生み出してきた美を救うことでもあった。なるほど。番組を見てから出かければよかったかも。