鎌ヶ谷大仏

鎌ヶ谷大仏 高さ1.8メートル1776年(安政5年)製造
 鎌ヶ谷宿の大黒屋(福田)文右衛門が先祖供養のため製造させた
もの、と解説あり  開眼供養は盛大に行われたといわれる


菅軍兵士の墓
旧幕府軍主力の福田八郎右衛門率いるの撒兵隊(さっぺいたい)は市川船橋戦争で戦った

横から眺めた鎌ヶ谷大仏
市街地にあることがわかる
左の林の前に木下街道が通っていてその先に鎌ヶ谷大仏駅あり

木下街道を挟んですぐ前にある鎌ヶ谷八幡神社 創建年代不詳だが八幡信仰の鎌倉幕府との関連は深かったろうと思われる

百庚申 天保12年(1841年)から13年にかけて建てられた百の庚申塔と刻像塔

鎌ヶ谷大仏前にある鎌ヶ谷大仏駅バス停 右は木下街道で交通量はけっこう多い

木下街道から鎌ヶ谷大仏を望む 周りは開発されたがここだけ昔の時間が流れている
7月24日(日)
   かつて通勤途中にすぐ近くを通っていたはずなのに一度も来たことがなく、今回どこも行くところがないし、といって家にいるのも飽きるので出かけてみた。本当は船橋県民の森に行くはずだったのに、さすがに今日は日曜日の晴天。車がアンデルセン公園からあふれて県民の森駐車場も満杯で停められず、仕方ないので鎌ヶ谷大仏までドライブに変更した次第。混んでたらどうしようとか、駐車できなかったらどうしようとか、いろいろ心配したものの、心配することのないところだった。(ほとんどだれもわざわざ来ようとするところではなさそうです。)近くの有料駐車場利用し歩いていくと木下街道沿いにその大仏はある。江戸時代に先祖供養のために個人で鋳造を発注したものらしく大仏の開眼供養はかなり盛大だったらしいが、今ではその大仏だけがひっそりと建っている。福田という姓がこの付近の一族の名家だったのだろうか。幕末は幕府軍側についたらしく、近くに菅軍兵士の墓があり、木下街道を隔てて鎌ヶ谷八幡神社がある。いずれも訪れる観光客はほとんどいないけれど、たまに大仏のところまで見学に来る一人旅の人とか男女二人連れがみられた。小さなところとはいえ、ワタクシ感動してしばらく大仏を見上げておりました。1.8メートルとはいえ奈良や鎌倉のの大仏よりも霊験あらたかなり。(とワタク氏には思われます)。