亀崎橋台跡・旧総武本線跡

総武鉄道物井川橋梁亀崎橋台跡(H19.3.5四街道市指定文化財)
『現在のJR総武本線の前身である私鉄「総武鉄道」は、
明治二十七年(1894年)に市川―佐倉間で開業した』

11・42 F710

10:22 ベイシア出発 10:50 天満宮からベイシア方面の展望

11:10 寺崎城址 頂上に登ると大展望 今日は富士山も見えた

11:41 亀崎橋台跡到着 県内最古の鉄道遺稿らしい

11:42 当時の物井川橋梁を通過するSL写真
(解説板にあり)

11:45 橋台跡に登って明治の鉄道に思いをはせ寺崎城址を望む

11:59 総武本線旧線跡 今の総武本線がすぐ近くを走っている

12:56 狭い道を迷いながらもなんとか熊野神社に到着  

12:59 なんだこりゃ・・・熊野神社では子宝信仰があったようだ

13:04 東泉寺 ちょうど木々が紅葉を迎えていた

13:34 売地看板 旧地名の大田字用替は要害の変化したものか

13:36 太田要害城跡方面 行ったが荒れ放題で人の手入れなし

14:24 ベイシアで食パン、コロッケを買い、ようやく昼食ヽ(^o^)丿
11月21日(火)
    前回と同じく佐倉市ハイキングコース?に出発。もちろんこのコースはオリジナルです。ベイシアから陸橋方面へ向かい、相馬小路、油小路、天満宮、北込小路、密蔵院観音堂跡、北六所神社、外信小路から密蔵院、寺崎城址まで全く同じコース。寺崎城址に登るとすでに一人、のんびり景色を眺めて休んでいる人がいた。「今日は富士山も見えますよ」というので眺めてみれば確かに富士山が見える。早朝ならもっとはっきり見えただろうが、すでに11時、はっきり見たい人は冬の早出をこころがけたい。佐倉市にもたくさん歩く同好会らしきものがあるらしくどこかに入っているかと聞かれたが、どうもそういうのは苦手でぽつんと一人歩きのほうが性に合っているのは仕方ないところ。
    で、別れの挨拶をして今日は「登山道」(今日のコースでは難路?といえるかも)を下って途中まで舗装路でさらに能動のような道を左折しほぼ一直線で亀崎橋台跡までおよそ30分、自転車の女性一人のみすれ違ったが、歩く人無し。平日だからというよりもともと人気ないところだと思う。鉄ちゃんだってそう来ないだろうようなところか?かつてここを総武鉄道が通っていたんだ、と感慨にふけりながら上に登ってで年風景を眺める。寺崎城址も見えるし、現在の総武本線を眺め、後ろの太田要害城跡があるはずの丘陵を眺める。食べ物飲み物何もなし。何か持ってくればよかった。さらに南下して十数分で総武本線旧線跡。ただの鉄橋の残骸らしき鉄骨がそのままむき出しに残されていて近くを今の総武本線が走っている。時代は過ぎ去ったんだなあ、とここでも感慨に浸る。感慨に浸るのが多すぎるのは一人で歩いているせいだろうか。
    ここからコースは考えどころだ。何しろまず踏切を超えるのだgその踏切の数は限られているし、次に鹿島川(当時は物井川と言ったのか?)を越える橋もまた限られたところしかない。その次の用水路を超える橋も限られている。つまり総武線、鹿島川、用水路をこえていくわけだ。いくつかコースを考え、田んぼのあぜ道を利用するもうまく川を渡れず結局もとの橋に戻った。そこから宮の下踏切を越え用水路脇の小路へ。ここを渡る橋を見つけながら南下し、根郷小学校分校跡へ登る道を過ぎ次の橋を左折して登り始めたがどうもこの道は地図上にない道らしく竹藪の大荒れ状態。道を一本間違えたらしい。それでも登っていくと何とか舗装道に出て地図確認。さらに南下していくと下から舗装道が登ってくる道と交差するのでおそらくそこが計画した道だったはずだ。迷ってようやく熊野神社発見。
    熊野神社は無人らしい。後ろに回り込むと倉庫らしきところがあり中にはあの一物の彫り物がたくさん。子宝信仰があった事がわかる貴重な?場所だ。
    近くの東泉寺、新照寺を経て北上し、この前の根郷小学校分校跡、麻賀多神社を過ぎれば太田要害場跡に至る、と言ってもそこまで行って山の中に入ってみても城跡らしきところが今にあるわけではなさそうだし、碑が立っているわけでもない。なんとなく人が切り開いたのかなと思えるような平地らしきところはすでに木々雑草で覆われ頂上に行くにも行けない状態。一人で行くのも心細く難路と言える道さえないのでここらしいと判断し退却。かつて丘の上に点在した城というよりも砦とか見張り台とかに近かったのだろう。
    南六所神社、密蔵院に戻り一路ベイシアスーパーセンターへ。昼食も食べず歩きまわってようやく昼食らしきものを購入し帰宅。充実した時間を振り返りながら楽しいランチタイムとなりにけり。