裏筑波F
−羽鳥道−
― きはつくの 岡のくくみら われ摘めど 籠(こ)にものたなふ 背なと摘まさね(3444) ―
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8:07 りんりんロードから望む朝の筑波山 県道41号線をくぐる |
8:31 筑波山登山道道標 写真右の車道でなく左の狭い道 |
8:38 羽鳥道は県道41号線を再びくぐりぬける右の道へ |
8:57 歌姫明神鳥居から登ると祠あり 「かがい」の伝承が残る |
9:34 迷って到着した羽鳥薬師堂 最初は観音堂かと思った |
10:13 竹林を抜けてひっそりたたずむ真壁町羽鳥にある観音堂 |
10:15 伝・准胝(じゅんでい)観音 地元呼称では八つ手観音 |
10:38 八坂神社 この辺から車道と山道(旧道)が交差していく |
10:49 石鳥居から真壁方面を振り返る 山道は荒れている |
12:10 椎尾林道寄り道後ようやく男の川登山口 既に12時過ぎ |
12:13 大滝不動 今日はここまで 昼食後に車道を下り退却 |
12:50 男の川水分神の石碑 昭和48年豊かな水の公平分配祈願 |
| 12月2日(土) 行くべきか迷ってようやく5時40分頃出発。2時間ちょっとで真壁休憩所着。天気は上々だがすでに出発8時。登ってこれるとしても寄り道すれば帰りが遅くなることは明白。景色を見ながら30分で筑波山道標に着く。広い車道ではなく狭い道がかつての羽鳥道だったところだ。 パソコンで打ち出した地図が小さくて見にくいのが難点だが、なんとか歌姫明神(うたづめみょうじん)まで行ってみようと羽鳥道を外れて寄り道。かつて「かがい」が行われていたという伝承がある。鳥居からの展望はあるけれど鳥居から小高い丘を登れば歌姫明神の祠があり回りが樹林なので頂上からの展望はない。 次に向かう観音堂は道標の不備?からかたどり着けず、かなり登ってしまって散歩の婦人に訪ねると、そんな道があったのか、という返事。何十年も住んでいるけれどこの土地のものでないからよくわからん、ということだった。そんなことあるのかなあと思いつつ行ったり来たりを繰り返し、観音堂を見つけようやく再び昇り始めて今度は農家の男性に道を道を尋ねると「あれは「観音堂でなく薬師堂だ。観音堂はもっと下に下って左だ」というので道を聞き直したが結局、感で行くしかない。言われた通りに下ったが最終のところで分からなくなり、今度は犬散歩女性に声をかけると「こんなパンフあるんですか?初めて見た」とのこと。「変える方向が一緒だからいってみましょう」とそこまで案内してくれた。竹林の向こうに観音堂が現れてようやく到着。感動。犬もおとなしくて親切のような気がしてきた。 さてそこから再び登り始める。もうすでに10時を廻り八坂神社について一息。頭の中では本当は10時には男の川登山口にいるはずだったのにいろんなところを見ていこうという物見遊山的な考えが甘かった。八坂神社付近からだんだん山道らしくなり車道を辞めて旧道を登っていく。 朝露なのか昨日の午前中の雨が乾かないのかとにかく歩いているとズボンが水にぬれたようになるのであまりいい気がしない。それでも進んでいくと石鳥居があり、羽鳥道はその鳥居を抜けていく。真壁方面の展望も少しあり結構登ってきたことを知る。ただ旧道羽鳥道は倒木が多くて乗り越えたりくぐりに毛たりいらぬ体力消耗をしいられるし、地面も濡れてるし、近くに猪のくくり罠有注意、などの札も下がっていてまさか登山道に仕掛けられてはいないはずだけれど不安あり。猪だって登山道を歩きたいだろうし…。 途中で全国緑化行事発祥の地の記念碑があるというので大きな寄り道。どんどん通り越したのでまた行事記念碑のところに引き返しもう「発祥の地記念碑」を行くのはあきらめてまた元に戻る。足が痛くなる。 ここより先は山道も通行禁止らしく車道を登ると、ようやく男の川コースの登山口がありやや上に大滝不動がある。すでに12時を過ぎ歩行時間4時間越え。これから先に行けないこともないが今日はこれでのんびり帰ろうと軟弱ハイカーとして決断を下す。昼食塩鮭おにぎりを食べて歩き出した。男の川登山口はいつ来ても10台くらいの車が止まっているのでここから登っていくのも人気なのだろう。 一時間で下れると思ったが無理。途中で写真撮影などの時間を加えて真壁休憩所まで1時間40分くらいかかった。意外と最後のりんりんロードの帰り道が辛いのは気力がもうなくなってしまったからだろう。今度来るときは寄り道せずに頂上まで行くのを目的としたい。 渋滞し暗くなる直前の5時前に帰宅。 以下は羽鳥道パンフによる。 『将門記によると承平7年(937年)に平将門が攻め入った場所を、機織(はたおり、はとり)の宿、としている。羽鳥には真壁と筑波山の男体山を結ぶ羽鳥道があり、古くは修験者の山岳修行道の道であったが、江戸時代後期から一般庶民に広まった社寺参拝の信仰道となった。道沿いには当時の面影を偲ばせる野仏や石碑などが多く残っている。また、羽鳥には、春と秋に万葉びとが集まり歌を詠み交わして踊る「かがい」の伝承地があり、万葉の里・羽鳥の奥深さを物語っている』。 歌姫(うたづめ)明神を訪れる人は、万葉びとは歌を詠んで踊っていたのかなあ、・・・と神社で妄想に浸ってください。 ★「きはつくの岡」というのは常陸国真壁郡にあるとの説あり。仙覚の万葉集注釈では「風土記に見ゆ」とあるが現在の常陸風土記にはその記述は見つからない(岩波の万葉集解説)、「のたなふ」は「満たなふ」の誤りと考えるほうがわれら凡人には分り易い。「くくみら」は「茎韮」つまり「ニラ」。末句は別者の唱和、と講談社の解説にあるから、二人の女性の掛け合いの歌で労働歌だったのか,歌垣で歌われた歌だったのか、男友達のいる相手をからかって歌ったのかも(こちらシロートです)。 「伎波都久(きはつく)の岡に生えている食用ニラを私は摘ん でいるけれど籠いっぱいにならないわ」 「じゃあ、あんたのいい人と一緒に摘んだらどう?そのほう がいっぱいになるわよ」 |