竜禅寺三仏堂・桔梗塚(取手市)

龍禅寺三仏堂 室町時代後期16世紀前半建築とされる
三体の仏像が安置されるがしまっているので見えない
解体修理時1569年(永禄十二年)と書かれた木札が見つかる
カメラ f710

天台宗龍禅寺参道入口 奥に入っていくとP 右は私有地か

新四国相馬八十八ヶ所霊場七十九番札所 龍禅寺

同じく四十七番札所龍禅寺三仏堂 一度に二つも霊場巡りできる

稲戸井駅入口バス停のすぐ前に将門愛妾桔梗御前の桔梗塚あり

桔梗塚 将門の死を知り桔梗は逃げたがここで亡くなった(伝承)

国道294号線沿いに桔梗塚はあるが今では車の往来が激しい
5月16日(水)
   平将門が創建した、というのはどうも俗説らしい。この三仏堂は平安時代建築様式をよく残しているとされるが、傷んだところは修理されていてがいめんてきには修理のところばかりのように見える。それでもかやぶき屋根は立派。中はあけられないので見えないのが残念だ。、

    そこから稲戸井駅方面に下っていくと駅のすぐ近くに将門の愛妾だったとされる桔梗御前の墓がある。佐倉にもあったけれどここ取手市にある桔梗塚のほうが有名だし、石塔もたくさん立っている。側を県道?が走っていて交通量は多く騒がしいが、かつては人も通わぬ野原にポツンとあったのだろう。環境は激変している。写真ではネッツトヨタ店が反対側に見える。

    桔梗塚には説明板がたててある。それによる要約↓、
   「将門が討たれたと聞いて、桔梗御前はここまで逃げてきたが敵の手に落ちて亡くなった場所。江戸時代の赤松宗旦「利根川図誌」によると、桔梗御前は
   @佐原の隣村、牧野村の牧野庄司の娘
   A将門が牧野の家に宿泊したときの見初めて妾にした
と記されている。「利根川図誌」ではこの地を桔梗が原として桔梗の花が咲かないのは桔梗午前の恨みのせいだと書いている。」

    かつてK氏に赤松宗旦旧居?につれてていってもらったことを思い出したが今でもその家はあるのだろうか。意外なところで名前に出会い、赤松宗旦がまるで古くからの知己であるかのように思われたのだった。取手の語源も「砦」からきてるというし、調べればいろんな面白いところもあるかもしれない。