布川城跡・徳満寺・赤松宗旦旧居跡・来見寺

「赤門や おめずおくせず 時鳥」

来見寺赤門 右下に小林一茶の上記の句碑あり
徳川ゆかりの寺ということで赤く塗ることを許された
ふつうは通ることが遠慮されたと言われる
カメラ フジX-M1 16-50ズーム


利根町役場前の第四駐車場から歩き始める 栄橋が見える

琴平神社は相撲で有名 べったりと 人のなる木や 宮角力(一茶)

赤松宗旦旧居跡 当時の旧居をできるだけ再現して新築、とある 

赤松宗旦旧居跡内部見学可 宗旦義和は布川で医者を開業した

赤門扁額は明僧心越禅師の書 頼継寺は家康が来見寺と改名

来見寺にある赤松宗旦の墓 宗旦旧居跡から徒歩10分くらい

徳満寺の石碑と布川城跡の道標 豊島氏滅亡後に城跡に寺創建

右、十九夜塔(1658年作成)
左、時念仏塔(1701年作成)

徳満寺本堂 柳田国男が農政学へ進路を決めた水子絵馬がある

これが水子(間引)絵馬 窓ガラス越しなのでよく見えないが

徳満寺地蔵堂 本尊は木彫り地蔵菩薩立像を解説版のみで見る

地蔵堂脇に一茶の句碑あり
段々に 朧よ月夜 こもり堂 
6月17日(日)
    この前、平将門愛妾の墓とされる桔梗塚に行ったとき、赤松宗旦の本による桔梗の説明が書いてあったので、本日、すでに11時を過ぎてはいるが、赤松宗旦旧居跡に行ってみようと相棒に相談、即出発、舗装道ばかりだから登山じゃないよというところが説得力あり。

    利根町役場に車を停める。軽トラのおじさんが「スイカを買わないか?」と近づいてきたので、いったん断るも、やはり買うことに。一つ買うつもりが「二つ買ってくれないか}というわけでひと箱(二つ入)を買い、車にしまい込む。今日のお土産完了。

    宗旦旧居跡まで徒歩。途中、琴平(こんぴら)神社に寄り道。琴平角力が有名らしく、小林一茶も角力見学して一句を読んでいる。上の写真参照。寄り道を含め旧居跡まで15分くらいか。

    赤松宗旦旧居跡はかれこれ20年以上前に当時K氏の案内で来たことあり。あの時はわけも分からず見学していたがもうずいぶん前のことなので思い出もあやふやだ。この旧居跡はやや整備されたのではと思われる。隣の青果店で管理しているらしいが、今日は休日でお店も休みなので、初めから鍵はあいていて見学は自由。

     次に来見寺(らいけんじ)へ。赤松宗旦の墓がある。かつては頼継(らいけい)寺と言ったが、徳川家康は寺の名を来見寺と改名した。門を赤く塗ることを許されていたのは徳川とのつながりによるらしい。人が通ることを遠慮されたくらいの赤門を時鳥は何の躊躇もせず勝手に飛び回っている、という一茶の句碑が門横にある。一茶の世界観がにじみ出た句?でも一茶はずいぶん辛い人生を過ごしたらしい。

     帰りながら最後の訪問地、布川城跡による。小田原滅亡で豊島氏も滅び布川城跡に徳満寺が建立されたので、実際は同じ所だ。本堂内に水子絵馬があり、柳田国男が影響を受けたという説明がある。ガラス越しに覗くので見にくいし、写真もガラスが反射して撮りにくい。なんとか撮影したものの、結局分り難い写真となった。隣の地蔵堂に本尊があるらしいが見えず、解説板の写真で我慢する。確かここも30代のころにつれてきてもらったっけなあ、と思い出に浸る。ここにも一茶の句碑がある。

     後ろに回ると、神社あり。神社はどこも同じで最初に寄ったところとよく似ているなあ、などと思い感慨に浸っていると、それもそのはず、最初に寄った琴平神社だった。寺も神社も同じ所にあり、入口だけが違っていたらしい。そういえば、NHKで「寺も神社もごたまぜ」の日本を描いた「歴史ヒストリア」をこの前放送していたっけ。

     ちょっと歩けば利根町役場に戻る。ここもかつては布川城内だったらしい。前に利根川が流れ、近くの栄橋の交通量が多いのは利根川を渡る橋が限られているからだろう。一時の気分転換になったが、写真日和の天候ではなかったのが残念。