臼井ハイキングコース

上志津にある天御中主(あめのみなかぬし)神社
志津次郎胤氏(臼井興胤の叔父)の居城である志津城跡という
妙見菩薩が祀られたが明治になり天御中主神に改められた
周りは宅地化していてここは貴重な雰囲気を残している

カメラ フジX30

田久里砦跡  宅地化され長谷津児童公園内に解説板と碑がある

妙覚寺墓地にある雷電為衛門の憲章碑 相撲界最強とされる

旧成田街道田久里坂を登ると佐倉道道標の石碑が立っている

真言宗豊山派実蔵院にある旧明倫中学(1903-1942)の石碑 

星神社の正式名は臼井妙見社 臼井城の鬼門に造られたとされる

太田道灌弟の太田圖書の墓 城攻めに勝利したが命を落とした

天満宮 臼井興胤が九州太宰府天満宮を勧請したとされる

仲台砦跡 宅地化され跡形もないが背後の山に雰囲気が残る

八幡社 臼井興胤が九州で菊地武敏を破り帰還し総鎮守とした

洲崎砦跡 道なき藪山 上は主に畑だが跡地には近づけなかった

熊野神社 今は臼井台青年館敷地内にある小さな神社

寺前公園への登り口 寺前とは嘗てふもとに浄行寺があったから

浄行寺墓地の為衛門と妻おはん、女児の墓 寺は妙覚寺と合併

妙伝寺から眺める印旛沼方面の展望 右の山は宿内砦方面

臼井城からの印旛沼展望 千葉氏一族は小田原落城で滅びた

臼井氏菩提寺円応寺にある臼井氏代々の墓 円応寺は興胤創建

円応寺臼井家忠臣岩戸五郎胤安墓 志津次郎胤氏に殺害された

竹若丸(後の臼井興胤)の乳母阿辰の墓 志津次郎胤氏に殺された

大正時代の臼井町道路元票(右下) 新道路建設で7m移動した

長源寺 臼井小学校、臼井村役場は最初ここに開設された 

長源寺開山した道誉上人(1515-74)の墓 宿内公園脇に有

長源寺山の宿内公園 かつての臼井田宿内砦跡 

将軍家綱時代の二体の石像 菩薩像と如来像と推定される 

左から三峰神社、子安神社、稲荷神社、スダジイの木と思われる

上志津の西福寺 嘗て井野小学校はここで開校した

西福寺横の八幡神宮 全国に八幡は4万社あり 蚊多く即退散

東邦大佐倉病院の近くにある春日神社 蚊多く即退散 

春日神社と報恩寺の間の土塁は土塁はかつての大口館跡だという

印西市岩戸西福寺の岩戸五郎胤安碑 印旛沼公園から車で数分

印西市岩戸の西福寺は岩戸胤安の館だったと言われ土塁が残る

小竹五郎高胤の墓 小竹氏は帰農し高橋を名乗ったと言われる

土塁空堀が残る小竹城跡 14世紀末小竹五郎高胤が築城という
9月19日〜24日頃
   臼井ハイキングコースというのははっきり決まっているコースというわけではなく、何処をどう歩こうといいのだけれど、個人的に臼井を離脱して志津や先崎、印西市岩戸までも含めるとかなりのロングコースとなりとても1日ではいけないと思う。ワタク氏も何度か回数を分けて行き、車で途中まで行ってから歩くみたいなこともやり、先崎(まっさき)編は次回に独立させることにして作ってみた。行った所も多いが、今回初めてのところも興味深く、更にまだ行っていないところも数多いだろうけれど、それは次々回にでもまとめることにして一応臼井周辺ということで今回まとめてみた。続編として次回の先崎(まっさき)編も含む。

   中世城郭は神社仏閣のある所だけがかつての名残を残していて周りは開発されてしまっていることが多い。それでもその地へ行けば当時の人々の生きている姿が伝わってくるような気がしてくる。自然が残っているので蚊が多いのは閉口するが・・・いづれもBC級スポットばかりですがお金と時間をかけて遠征するよりも充実した時間を過ごせるような気がするのは年齢のせいかもしれない。いつの日か佐倉市超ロング幻想ハイクコースでも作ってみようかなどと考えるこの頃です。