松虫寺


杉自塚:松虫姫の乳母杉自は姫が都に帰った後もここに残り都の
技術をを里人に伝え慕われた 没後、村人はここに塚を建て偲んだ

・・・という内容が書かれている  カメラ Fuji X30


松虫寺薬師堂 江戸時代享保3年に改築

松虫姫御廟 遺言でここに分骨埋葬

牛に乗る松虫姫(松虫寺絵馬)の絵馬

松虫姫公園の石像モニュメント
1月11日(金)
   干していた布団を急遽片付けてあわただしく松虫寺を目指して出発。仕事をやって出かけないとどうなるかわからないがやってしまえば文句はないだろう。車が多く混んでるがなんとか30分くらいして到着。松虫寺、なんかイワクのありそうな名前ですね。

    初もうで客無し。一人ぼっちで見て回る。神社と寺が一緒の土地にあるのでどっちがどっちかよくわからなくなりそうだ。奥にある松虫皇女御廟があるが、姫が亡くなってから遺言によりここに分骨されたという。伝説が本当のような気がしてくる。

    200mくらい歩くと三叉路に杉自塚があり、周りは多くの庚申塔その他の石塔で囲まれている。昔から杉自が慕われていたということを意味するのかもしれない。

    帰り。松虫姫公園による。近くの中学生?が男女でイチャイチャしているのでなんだかこっちが恥ずかしいが、一周回ってくればいなくなるだろうといそいで公園を散策。もう夕方が近くかなり早足で歩くも、日はどんどん落ちて暗くなってくる。初めてなのでちょっと無駄な時間を使ったがなんとか松虫姫と牛の石像に到着。もう遅いので誰もいない。急いで写真を撮り、車道を引き返した。中学生はまだいて、早く帰れよ、と思いつつも実際はなにも言えず感心なさそうに出発。

     松虫姫は聖武天皇の皇女、不破内親王の幼名。美しい姫だったがハンセン病に苦しんでいた。聖武天皇は夢のお告げで坂東に霊験あらたかな薬師如来があると知り、娘を下総に行かせる。姫はついに薬師如来を見つけ必死に祈りの生活を続けると病はすっかり治り都に戻ることになったが、乳母の杉自は老齢で帰れずここに住み着き村人がらしたわれ、没後村人はここに塚を作って杉自を偲んだという。都から姫を載せてきた牛も老齢で帰れず別れを惜しみ池に身を投じた。それが今の松虫姫公園の牛むぐり池である。

    もっとうまく要約できればいいのだが、。。。今度は相棒を誘っていってみよう。と思いながら焦って帰宅。