2004年末帰省の旅

 2004年12月30日〜2005年1月2日の長旅を記録しました。いろいろと収穫の多い遠征でした。

2004年12月29日(前準備)

 本来なら明日、ウィンターチャレンジコースを使用して暇人トレを開催する予定だったのだが、手違いにより地図が届かなかった。地図の確保に方々手を尽くした(西の家やジャンボに聞いたり、合宿に出てる選手達に当たってみたり)が、手に入れられそうになかったため、開催を断念。参加予定者全員に中止連絡をした後、「さて、明日どうするか」と考え、「だったらさっさと帰省するか」と決めた。合宿飛び入り参加も考えたが、予定は「ラインOとスプリントだけ」。行く価値がほとんど無いな・・・。
 で、帰省の準備を始めたとき、宮内さん(合宿に出てるNT選手)から、「地図印刷してあげます」との連絡が。申し出はありがたいが、合宿の地図印刷しているところでさらに何枚もお願いするのは申し訳ない、と断ったら、「自分たちも走るからどのみち印刷します&ついでに合宿の運営手伝ってください」とのこと。ついでだったら良いか。ということでお願いした。再度関係者に開催連絡をしようかどうか考えたが、午前中の合宿運営がセットであるため、上手く動けない(最悪、合宿だけ出てウィンターチャレンジは走れず、ということもあり得る)可能性があったので、一人で参加することにした。自主トレに参加予定だった人達には申し訳ないと思いつつ。
 ちなみに岩倉学園9時出発。ということは遅くとも8時半には岩倉学園に着いていないといけない。


2004年12月30日

 凍結&渋滞が恐いので、朝5時過ぎに起床し、6時前に出発した。やはり須山付近で凍結していたが、思ったほど大したことはなかった。8時10分頃、岩倉学園に到着。さっさと準備開始。その前にとってもきれいな富士山をカメラに収めた。
 9時前になると、わらわらと人が増えた。全体で約80名。・・・・・・・なんなんだ、この数の多さは。「いきなり行って邪魔にならないかな」という懸念は無くなった。これぐらいいると一人ぐらい増えたところでどうってことはない。ていうか教える側が増える分にはむしろ歓迎、というところか。他の連中も連れてきてもよかったかな しかも知ってる子や多摩OLのメンバーもちらほら(武相、桐朋、東海の人が多いので)。高校OL部の合同合宿みたいな雰囲気だった。

 午前中はジュニア合宿のコーチ。ここでちょいとケガ人発生のアクシデントが。まあ、大事に至らなくて良かった。
 その後は岩倉学園でスプリント。10分を切った。合宿メニューはこれでおしまい。・・・・確かにこれだけだと静岡まで来る価値は無い。ウィンターチャレンジとセット&通り道だから価値がある、といった所か。
 が、合宿が終わったからと言って、すぐにウィンターチャレンジのコースに行けるほど甘くはない。合宿参加者を富士駅までピストン輸送しなければならない(あまりにも参加者が多すぎるので)。無理に混ぜてもらってるのだから、このぐらいの義理は果たさないと。で、岩倉学園に戻ってくると、時計は午後1時を指していた。
 ここから京大生2人、宮内さん、自分がウィンターチャレンジに行く予定だったが、午前中ケガした子がその京大生2人の内の一人。さすがにメニューをこなすことは出来ないので、京大生2人+宮内さんの車はそのまま京都に帰ることになった。ということで、一人でウィンターチャレンジを走りに行ったのであった。
 村山口登山道の最上部は、完全に雪道になっていた。今日はまだノーマルタイヤで行けたけど、明日以降は無理そうだな・・・。テレインの中はほとんど雪は無かった。下の方を拠点にして活動する分には問題ないと思います。>今後行かれる方
 ちなみにフラッグは牛乳パック。良い感じで真っ白な雪の背景にとけ込み、全く見えませんでした。(T_T) ということで吹っ飛びまくり。真正面にあるのに見えない・・・・。技術的な手応えもあまり良くない(フラッグが見えないと言うことをさっ引いてもミスが多すぎる)。残念ながらあまり実のある練習にはならなかった。もう一回行かなければ。

 この後は天母の湯(富士宮の風呂)に入ってから帰省かな。と奇石博物館の方へ移動した。・・・・天母の湯、閉まってる(T_T)
 仕方がない。今日は風呂無しだ。天母の湯の入り口前に車を停めて、気持ちよ〜く車の中で30分ほど仮眠。目が覚めたときは午後4時半だった。これから兵庫県まで移動するのか・・・・・・遠いな。さらに下界に降りて渋滞情報を確認すると・・・・高速がすごいことになってる。これは下道の方が速いな。とALL下道を決意。朝の2〜3時ぐらいには着くかな。
 まず由比に抜け、そこから国道1号バイパスを走る。磐田付近から北上し、浜名湖を北に巻いた後はいつもの作手〜下山ルート。愛知県の豊田に降りてきた頃から、ものすご〜く眠くなった。限界だ。今日はこの辺で車中泊しよう。
 ・・・・と、ふととあることが頭をよぎった。ここは松澤さん宅に近い。しかも松澤さんは31日から京都のぞんび〜ず合宿に参加予定。よし、拾っていこう。ついでに自分もぞんび〜ず合宿の初日だけ参加しよう。しかし自分は松澤さんの連絡先を知らない。連絡先を知ってそうな人に聞いて回った(メールを送った)が、夜遅かったため反応無し。・・・・。仕方がない、アポ無し突撃しかあるまい。と言ってもさすがにいきなり行って「泊めてください」はあまりに失礼なので、松澤さん宅の前で車中泊・・・だな。ということで松澤さん宅に移動し(場所は知っている)、部屋の前に貼り紙を貼った。

  『多田です。明日京都まで運びます。目の前の車で寝ているので、朝出るときに呼んでください』
 松澤さんの反応が楽しみだ。うふ♪

部屋の目の前に車を路駐し、そして車中泊。


2004年12月31日

 朝5時半に目が覚めた。ちょっと寒かったが、結構快適に眠れた。近くのコンビニまで走って朝食を調達、速攻で食べ終わって、再び松澤さん宅に戻った。電気がついている。実は「松澤さん、実家から直接京都に向かうため、ここにはいなかった」というオチを警戒していたが、杞憂に終わった。ほっ。
 しばらくしてから松澤さん登場。
  松澤さん「お〜、多田おはよう。助かるよ」
  自分   「すみません。事前に連絡もせずに」
  松澤さん「ああいう貼り紙は安斎さんがよくやるんだよ。また何か伝言かな、と思って貼り紙を見たら『多田』!?。
         寝起きだったから全然理解できなくて訳が分からなくなったよ」
  自分   「あ、やっぱそうですか(^^;)。失礼しました。(安斎さんもやってるのか・・・汗)」
 いきなりの失礼な行動も温かく許してくれる。やはり松澤さんは人格者である。

 本日はぞんび〜ず合宿初日。自分は本来参加するつもりはなかったのだが、どうせ今日は帰るだけだから、ということで今日1日は京都で時間を潰すことにした。
 朝の10時に京大の部室(通称、ボックス)に集合ということなので、ここから高速。快調に走っていたが・・・・雨が降り出してきた。ほどなくみぞれになり、しまいには雪になった。「米原越えたら大丈夫ですよ」とか話してたが、京都に近づくとまた雨。しかも徐々に激しくなってきている。・・・・・・。
 そして午前8時半頃、ボックスに到着。車を停め、人が集まるのを待つ。待っていると、どんどん雨脚が強くなってきた。ほんまに今日やるんかな・・・・?
 合宿への参加メンバーは、番場さん、宮内さん、かてぅ、西尾くん、松澤さん、多田。ぞんび〜ず合宿と銘打っているが、ぞんび〜ず所属(?)の人は宮内さんだけ。たまたまこうなっただけ(京大の学生が一人も来なかった)なのだが、なんか約1名を除いてかなり豪華なメンバーの様な気がする。(−−;)
 準備をしていたら、雨が雪に変わった。そしてどんどん積もってきた。・・・・・オレ、京都から脱出出来るのかな・・・・不安(−−;)。まあ、そうなったらそうなったで「ボックス(京大部室)に泊まって年越し」というのもネタとしてはありだろう。あるいは「京都に車を捨てて帰省」か。
 『泊まっていったら?その場合はボックスで年越し鍋しましょう』という声もあったが。 \(- -;)オイオイ(といいつつ実は惹かれた)

 今日のメニューは、予定では大文字山タイムトライアルだったが、雪が積もって危ないので中止。普通のトレイルランとなったのでした。雪の大晦日、初詣客を迎える準備で賑わう京都の町並みを、フードをかぶったウィンブレ姿の6人が走り抜けていく・・・・。(−−;) 南禅寺でトイレ休憩した後、大文字山へ登っていく。途中から徐々に積雪量が増えてきた。しかし、結構アップきついなぁ。(高尾陣馬コースの小仏峠から影信山までの一気登りが延々続くようなイメージ)

 そして山頂から見る京都の風景。しんしんと降り注ぐ雪で真っ白になった京都の町並み。
・・・・思わず見入ってしまいました。地元の人でも滅多に見れない幻想的な風景♪
 その山頂で雪だるまを作った人約2名、雪をぶつけ合う6人の若い人達。・・・ってよく見ると6人中3人は30代(自分含む)。・・・・・(^^;)。さらに地面に「大」の字の型を作るバカ2名。内1名は自分 いや〜、童心に帰るのもたまには良いもんです。

 体が冷え切っていた。下界に降りた後、しばらく公園をぐるぐるすることにしたが、1周走ったところで一人が「もうやめとく」と引き返し始めた。6人全員その場でおしまいとなったのでした。最初の一人が全員の意見を代弁した、という所なんでしょう。確かに、筋肉が冷え切っている&走っても温まらないので、あれ以上やっても苦行にしかならんな。
 ボックスに戻った後はソッコーで着替えて、近くのラーメン屋で昼食&風呂屋へゴー。ようやく生き返った。

 ここで初日のメニューは終わり。各自宿&自宅に向かったのであった(方向が近い人は自分が送った)。幸い、京都の町並みの雪はほとんど溶けて無くなっていた。これなら実家にもあっさり帰れるはず。ネタ的には「京都で足止めを喰らってそのまま年越し」の方が面白いのだが。
 ということで車を走らせ京都の町を南下。最初は西に抜けて亀岡→天引峠越えルートの予定。・・・が、併走する京都縦貫道が雪で通行止めとのこと。こっちは相当雪が積もっているのか。仕方が無い。中国道ルートで帰ろう。と京都南で高速に乗った。

 しかし、しかしである。なんとその中国道が吹田JC〜西宮北間が通行止めになっているではないか。(山陽自動車道との分岐は西宮北の向こう。なので山陽自動車道も使えない)しかも気付いたのは高速に乗ってから。とりあえず吹田付近のパーキングに車を止め、ルート検討。神戸の中心部・高速も渋滞しているので、「北に抜けよう」と考え、西宮北に行くまでの道を探す。最短距離の国道はかなり混みそうだ。横の有料道路(西宮北道路)〜峠道なら比較的空いてるだろう。雪が多いから通る車も少ないはず・・・と思ってそっちの方へ移動。時計は夜7時を回っていた。
 車を運転中、実家の兄貴から「お前、今どこおるんじゃ。はよ連絡よこせ」と怒りの連絡が。その直後にトンネルに入ってしまった。しかもそこで渋滞ストップ。折り返し連絡できません(トンネル内は携帯の圏外)渋滞も激しいので「引き返そうかな・・・」と思ったが、有料道路の途中なので何となくやばそう。そのまま約30分ほど、トンネルの中で過ごしておりました。有料道路の料金所を抜けると、再び渋滞。この間、時速500メートル。しかも地図を見る限りだとこのまま7〜8キロ続いていそう。

 これは・・・・渋滞にはまった状態で年越しか?

 しかしそれだったら京都で年越してた方が100倍良い。そう考えると非常にシャクなので、何とか年内に実家に帰るべく抜け道を探す。あった。100m先の交差点を左に行って、山道を行けばOK。さらに10分ほど待って(交差点が見えてるのに・・・)、最後少しインチキをして左折(右折レーンに入って渋滞の列を横切って左折)。すると・・・・・・完全に雪道でした。道の両側には乗り捨てられた車の山。これは・・・チェーンを付けないと無理。道から少し外れたところに車を停め、チェーン装着の準備。・・・・・・が、いくらやってもきちんと巻けない。おっかしーな・・・・前の車とタイヤのインチ一緒だから使えるはずなんだけど。30分ほど試みて、最後はあきらめました。「ええい、このまま突っ込んだれ!」と行くと、案外走れた。そしてカーブを2個曲がると・・・・・渋滞してました。(T_T)
 その風景を見た瞬間、「戻ろう」と決意。1回スタックしそうになったが、気合いと根性(ではなく繊細なアクセル・クラッチワーク)でUターンを成功させ、もう1回有料道路を通過し、南下(マニュアル車じゃなかったら、自分もここで車乗り捨てだったな・・・)。芦屋市を突っ切って、阪神高速神戸線に乗って、西に抜けていったのでした。さすがに夜遅かったので、渋滞もだいぶ短くなっていた。最初からこっち行ってれば・・・なぁ
 結局実家に到着したのは午後10時40分。辛うじて年越しには間に合ったのでした。てか、年が変わるという実感が全く無い・・・。

 んでもって、ガレージで車のタイヤサイズを確認。そしてチェーンの適合サイズを確認。・・・・・・タイヤの横幅が合わない。チェーンがタイヤのサイズと合っていなかった。そら、チェーン巻けんわ。知らないって素晴らしい♪(やけくそ)

 結果論になるけど、京都に車を捨てて、電車で帰るべきでした。どうせ2日も参加するつもりなんだし。

2005年1月1日(夜)

 年が変わって1月1日(帰宅から1時間後)。夜0時半頃に自宅を出て、近所にある村の神社に初詣(走って2〜3分)。この行動は毎年恒例である。でかい神社は人混みが激しいので、初詣する気になりません。
 行くと、なんとな〜く面影に見覚えのある奴が。小学校時代の同級生でした。今年は消防の当番なので、最後まで残っているとのこと。ご苦労さんです。すでに結婚して、子どもが2人いるらしい。時代は変わっていくんだなぁ・・・としみじみと思うのであった。

 ちなみに右の写真は村の神社のたき火(「サイト」と呼ばれている。夜の12時なのでほとんど燃えてしまい、非常に小さくなっているが、最初は高さ3〜4メートルある)


2005年1月1日(昼)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 ・・・何となく例年より静か。それもそのはず。オヤジが31日〜3日、毎日出勤だから。親族の人達も帰ってこないということで、本当に家族だけの正月となったのでした。ひょっとしたら初めてじゃないか?・・・・・・ってことは、去年10月に帰ってきてるから、今回無理して帰ってくる必要なかったな。合宿にそのまま参加してればよかったかも。

 サッカー天皇杯決勝を見終わり、夕方軽く走ろうと思ったが、色々用事を仰せつかい、それらが全て終わったときはどっぷりと日が暮れておりました。街灯全く無し&歩道は凍って危ない&近くに公園も無い&寒い、とかなり悪条件が揃っているため、走るのはあきらめ。完全休養日にした。
  一年の計は元旦にあり。 そう考えると、「今年もトレーニングをサボる1年」になってしまうんでしょうか?(T_T)


2005年1月2日

 再び合宿に合流。オヤジが朝6時半に自宅を出るとのことなので、それに合わせて起き、一緒に朝飯を食ってから出発。そのまま、初詣客でごった返す京都に車で行くという自殺行為を敢行、朝8時半にボックスに到着した。(まだ寺が始まってないので渋滞は無かった)
 午前は2班に分かれて行動。滋賀県のロードレースに行ったのが番場さん、西尾くん、加藤の3人。宝ヶ池でペース走するのが松澤さん、宮内さん、自分の3人。
 宝ヶ池で松澤さん、宮内さんと合流し、ペース走開始。1周1500mのコースをキロ4分ペースで10周。しかも地面は所々凍結しているため、結構走りにくい。

  1周目終了時点で宮内さん離脱。1周毎に参加のレペに切り替えた模様。
  2周目、黄色いウィンブレの人が併走を始めた。
  3周目、黄色いウィンブレの人が宮内さんと話している。大学時代の陸上部の人らしい。
  4周目、黄色いウィンブレの人に千切られる。さすがに速い。
  5周目、結構辛い。ギリギリになってきた。
  6周目(ここから逆回り)、ペースが上がる。必死でついていく。「あと1周で限界」と思う
  7周目、終了時に「もうダメ」と歩きかけるが、「いや、こんな機会は滅多に無い。途中でくたばるまで走る」と自分を奮い立たせて再び走る。
  8周目、こんどこそもうダメ。とラップを見たら、5'52。速い。あ、これは自分がダメなんではなくペースが速いんだ、と解釈。
  9周目、松澤さん、宮内さんに必死で食らいつく。左足の付け根に違和感が出始める。あと1周持って欲しい。
  10周目、松澤さんに必死で食らいつく。もうダメだと思ったが、それでも最後にスパートをかけることが出来た。限界なんてこんなもん。

ということで無事完走できました。一人だったら絶対4〜5周目当たりでやめてる。そう考えると京都まで来て走った甲斐は充分あったのだろう。

 こういうメニューをこなせるようにするために、ここ数ヶ月走っても壊れにくい体を作るよう、心がけてきた。今日のメニューを最後までこなせるようになったということは、ある程度の成果が出てきた、と言うことなのかも知れない。ちょっとうれしい。
 しかし松澤さんがこういうメニューを普段からこなしているということは・・・・・これ以上の事をしないと実力では勝てない、という事でもある。・・・・・厳しいな。

 この後は宮内さんの下宿先に移動、昼飯をご馳走になり、その後ボックスへ移動。ちょうど別行動の3人と合流した。
 午後は吉田山(京大の裏山)で1kmのファシュタを4本(女性2人は引きずり回し(=逆ランオブ))。1個だけ長いパターンがあったお陰で、4連続ビリという憂き目に合うことはありませんでした。けど・・・・・死んだ。最後の登り、目一杯追い込んでるのに歩くようなスピードになってた。

 これにて合宿は終了。ここから長い旅路が待っている。松澤さんを積んで、まずは愛知へゴー。
 京都東で乗ろうとしたが、南の方は初詣から帰る客でごった返している。1時間ぐらいはまった後、突破を断念して北回り→琵琶湖大橋越えルートをチョイス。・・・しかし・・・・雪が積もっている。有料道路の下に来たところで、車の流れがぴたっと止まった。これは・・・前方でスタックした車が出たか。蘇る31日の悪夢。しかし今回は脱出ルートがあった。すかさず引き返し、有料道路を通過して元の道に乗り直す。スムーズに脱出することが出来た。
 琵琶湖大橋を越えたところで、夕食の場所を探す。松澤さんの強い要望により、餃子の王将で夕食となったのでした。

 その後は名神の渋滞を避けるべく、国道1号を亀山まで抜け、伊勢湾岸道へ。豊明ICで降り、すぐ横の健康ランドで一風呂浴び、松澤さんを自宅前で落とし、その場で仮眠を取った。夜0:00頃起きだし、豊田から高速に乗った。途中何度か仮眠を取りながら進み、清水で降り(夜の2時に8キロも渋滞するなよ、もう)、富士で乗り直して厚木まで高速で引っ張った。道志道は凍結していそうなのでやめておいた。自宅に着いたのは朝4時半。かなり疲れました。

 ・・・・・・あ、京都に行ったのに初詣してない。(−−;)