マウンテンバイクオリエンテーリング世界選手権大会 in イスラエル
(2009年8月8日〜16日)

 2008年8月8日〜16日の間、イスラエルのテルアビブ郊外の Ben Shemen Youth Village(空港から車で20分)で、第7回マウンテンバイクオリエンテーリング世界選手権大会が開催されました。日本代表選手として出場しました。
 話の展開などが昨年とあまり変わらないかも知れませんが、その辺はご容赦ください。

 地図・ルート図・レースの反省 ・・・作成中・・・

8月8日(土) 旅立ちの日

 朝7時に起床し、冷蔵庫の電源を切り、洗濯機の元栓を閉めてから自宅を出発した。
 帰省ラッシュ渋滞にはまり、首都高でかなりやられました。湾岸線に出てからはスムーズに流れたので、何とか10:00過ぎに空港に到着した。
 東京からこの日旅立つのは、羽鳥さん、新さん(以降「モグさん」)、自分の3人。到着のタイミングもバラバラ、手続きもバラバラ。まとまりがありません。
 行列に並んだら、先頭の方にモグさんがいた。並んで待っていると、モグさんから

  モグさん 「縦・横で158cm以内に収めないと、超過料金取られるよ」
  自分   「超過料金、いくらですか?」
  モグさん 「4万円」
  自分   「・・・・・・」

韓国・仁川で合流。
 
イスラエル・テルアビブ空港の出発ロビーをのぞき込むと・・・
 
  梱包した自転車をバラすと、今度は壊れるリスクがある。ここは保険料と思って4万円を差し出すことにした。痛い。

 その後、羽鳥さんも到着。その件を聞くやいなや、ファーストクラスの入口の前で自転車を広げ、解体作業を始めたのでした(汗)。
 他人のフリも出来ないので手伝いました。
  結局158cmには収まらず、4万円ちょっとを支払った模様・・・・。

 12:55に離陸。行き先は韓国・仁川(インチョン)国際空港。ここで乗り換えることになっている。このトランジットの時間が1時間半しかないので、自転車がきちんと乗り換えに間に合うかどうかが不安だった。(去年の帰り、トランジットが40〜50分で、自転車だけ届かなかった)
 トランジットで、足立さん、玉木くん、芝田さん(愛知国際空港から)、名児耶くん(岡山空港から)と合流。先発している宮内さん以外が全員ここで揃ったのでした。  でも座席はバラバラ

 16:45にトランジットを飛び立ち、22:00にイスラエルに到着(時差6時間なので、大体11時間ほど飛んでいた)。
 空路は・・・カスピ海、黒海からトルコ上空→地中海経由。結構曲がっている。まあ、イラン・イラクの上を飛べないから当然と言えば当然なのだが・・・。
 着陸直前に見たイスラエルは「メチャクチャ明るい」。そこら中に街灯がついていた。なんなんだ、ここは・・・。

 そして入国後最初の関門、入国審査。他の5人はあっさりパス。しかし自分は・・・

  審査官  「First ○△■?」
  自分    「(とりあえず)yes」
  審査官  「何の目的で来たんだ?」
  自分    「(バカ正直に)自転車のレースをするために」 ・・・伝わらず。
   その後、何度か問答を繰り返すが、言葉が通じないので進展が無い。すると・・・・

  別室に連れて行かれました。

 待機していると、もう一人日本人が連れてこられた。その人曰く「シリアのスタンプがあったからだと思うけど・・・」。むむぅ。
 ブリテンを見せて、2,3話をしたら、釈放されました。ビビった。

 空港の外でトランスポーターに自転車を積み、宿へ移動。夜11時なのにかなり車が多い。この辺の人はいつ寝てるのだろう、と思ってしまうのでした。(この時は帰国後、夜11時に渋滞に出くわすとは思っていなかった)

 宿はユース。部屋は3人部屋と4人部屋に別れた。なぜか相対的若者と年寄りに。自分は35歳ですが若者の方です(汗)。
 部屋に自転車を持ち込み、組み立て作業開始。とりあえずどこも壊れてなさそうだ。よかった。

 明日から忙しくなりそうです。
玉木・名児耶・多田の部屋。自転車作業中 足立さん、モグさん、芝田さん、羽鳥さんの部屋。こちらも作業中

8月9日(日) モデルイベント。郷に入りては郷に従え

 自分のベッドはエアコンの真下。効き過ぎて寒かった。今日、リモコンをもらえるので、もらったら設定温度を上げよう。

 朝飯は7時から。宮内さん(1週間前から現地入りしていた)も合流し、これでようやく全員集合。

 イスラエルの朝は・・・・例えるなら西の家の朝のようだ。(ややからっと乾いた感じ。気温も日本とほぼ同じ)。

 午前中は各自バラバラに行動。
   玉木くん、名児耶くん、自分 ・・・ モデルイベントへ
   足立さん、モグさん、羽鳥さん・・・ lodの街へ買い出し
   宮内さん ・・・・ 自室待機(休養)。

 モデルイベントのコースを軽く1周。全然現地に対応できず、かなりイマイチな内容。こんなんで大丈夫だろうか・・・。
 そしてゴールに戻り、全員集まって「さて、帰るか」と思ったら、後輪がパンクしていた。見ると、針のようなトゲが刺さっていた。で、よくよくタイヤを見ると、チューブにこそ到達していないもののあちこちにトゲが刺さっていた。
 路面全体にマキビシを巻かれているような感じだった。イスラエル恐るべし。

 ちなみに宿に戻った後、玉木くん、名児耶くんも空気が抜けたらしい(スローパンク)。
 午後はイベントセンターそばの自転車出張ショップでシーラント(パンク防止剤)をチーム分購入し、チューブへ注入。

 宮内さんからもらっていた事前情報で「シーラントは必須らしい」ということだったが、ようやくその意味を理解できたのでした。百聞は一見に如かず。

 午後は再びトレコースへ。玉木くん、名児耶くんは疲れたのか休み。残り5人が向かったのでした(片道20〜25分)。

 1本目でミスしたところ、分からなかったところを重点的に確認、だいぶ対応できるようになってきた。午前中の内に1回入っといて良かった。何とかなりそうだ。
モデルイベントの丘の上から。
 
Ben Shemen の入口。
 

8月10日(月) ロング予選。全ての運は予選通過のために

バスの中に自転車を突っ込む。
帰りも置いてけぼり・・・。
でも玉木くんの劇的な予選通過のお陰で、何をされても許せる状態。

 
 今日から大会競技開始。今日はロング予選。地形図で地形イメージはしっかり押さえているので、怖いものは・・・・パンクだな。

 朝、いきなりトラブルに見舞われた。
 会場までのバスが2本出ていて、その2本目に乗ろうとしたのだが、自転車が乗らないので出発できなかった。自分と玉木くんを含め、15人くらいが足止めを食ったのでした。
 待機所で待つこと約40分、1本目のバスが会場に戻ってきたので、ようやく出発。しかし自転車を運ぶ車が無いので、自転車を無理矢理バスの中に突っ込んだのでした。かなりシュールな光景・・・。

 到着したのはスタート1時間前。すぐにウォーミングアップ開始。
 で、スタート。予選は3ヒート制で、各ヒートが同時スタートとなる。自分はフィンランド、オーストラリアと同組。こいつらと同時と言うことは、こいつらと同じ組ではない、ということ。ラッキー(有力選手と同じでない分、通過の確率が上がる)。

 スタート直後でいきなり置いて行かれた。でも2ポを取ったところで先行。
 2ポでパンチをしようとしたら、後輪から「シューっ」という音が。タイヤをくるっと回してシーラントで穴を塞ぐのでした。

 その後の乗り心地だが、なんかパンクしているんじゃないか、という印象を受ける。シーラントが入っている分、乗り心地に違和感があるのだろう、きっと。

 2→3で東の走りやすい道をチョイス。常時30キロくらいで走れたので、この時点で別ルートの選手達に数分リードしたはず。「多分通ったな」と思った。
 3→4で足立さんを抜き、その後も順調に走る。
 8の脱出でミスし、2分ほどのロス。しまった、油断した。
 その後気を引き締め直し、ゴール。余裕と思ったら、結構微妙な順位。や、やばい。

 最終的に18位に収まり(通過ラインからは5分近く余裕があったが)、無事予選を通過したのでした。よっしゃ。

 他のメンバーはみんな70分台。さすがにこのタイムでは無理か・・・・。終盤になってリザルトボードを見たら、玉木君がまだ18位にいた。しかも地元イスラエルの選手に4秒差で。Aヒートだけ通過ラインが低い。
  一人前に入った。残りは2人。
  また一人前に入った。玉木君20位に。残りはひとり。食い入るようにボードを見つめる。
  最後の一人がゴールした。DISQ(失格・棄権)。

 ということで、玉木くんが地元イスラエルの選手を4秒差で蹴落として決勝に残ったのだった。おめでとー!(日本人男子2人目)

 ちなみに女子の方は、宮内さんが余裕で通過(女子は完走すればokなのだが、中盤で通過していた)。
 終わってみたら、オリエン年齢(年度末時点の年齢)35歳の3人が予選通過となったのでした。

 帰りは再びトラブル。
   玉木くん、名児耶くん、自分・・・・バイクを乗せられず。
   羽鳥さん、モグさん、宮内さん・・・バイクは乗ったが、バスが出ず。
   芝田さん ・・・ バイクは乗ったが、バスに置いて行かれる
 結局予定通り帰れたのは足立さんだけでした。
  昼食抜きで現地で待つこと40分。ようやくバスが来た。腹減った。

 宿に戻り、15:00と遅い昼ごはん。
 そして夕食は17:00。 何か間違っているような気がするが・・・。

 昼飯と夜飯の間、羽鳥さんがモデルイベントのコースに遊びに行った。
 が、割とすぐに戻ってきた。ずいぶん早く切り上げたんだなぁ・・・と思ったら

    「サボテンの針が刺さった」

とのこと。筋肉まで到達しているらしく、右の指が動かせないらしい。ドクターに診てもらうが抜けなかった。

     ドクター 「いつになるかは分からないけど、そのうち抜けるよ」
     とりさん 「それはいつ頃になりそう?」
     ドクター 「知らん。針に聞け

 何ともいい加減な(雑だが適切でもある)診療である。まさかこの数日後、同じような診療を受けるとは思っていなかったが。

 夜8時から、狭いホールで開会式。リハーサル途中に入場してしまったり、そもそも座席数が足りなかったりと、かなり段取りがイマイチでした。というか拷問に近かった・・・。解放されたのは夜10時過ぎでした。
 それから遅いチームミーティング。明日はミドルの日です。
急斜面で、自転車を担いで走っている最中
 
イメージに合う分岐を見てます。
 
バスから見た光景。一応、観光?
 
開会式のイベント。早く終わってくれ・・・
 
入場行進。狭いので旗持ちだけの行進でした。
 
こちらは地元・イスラエルの行進
 
会場はこんなホール。狭い。 開会式を見る日本チームの面々。


8月11日(火)ミドル。唯一の観光(?)

 今日はミドルの日。7:00起き。少し疲れが残っている。

 朝ごはんの後、ウォームアップ開始。汗をかくと楽になった。
 ミドルのスタート位置は、モデルイベントに行く途中の道。スタートに行くと、ちょうどモグさんがスタートするところだった。

 で、自分の番になってスタート。地図を見た。予想通り、シングルトラックに置きまくっている。昨日よりもコントロール位置がだいぶ細かくなっている。オリエンティアに有利・・・かも?
 と思うのは幻想でした。流れに乗れず、スピードが出せない。立ち止まって地図を確認することも結構多かった。さらに道のトレースを失敗することも。4ポで約30〜40秒のミス。4の脱出当たりから流れに乗り出すが、8ポと9ポで連続ミス。8ポは1分、9ポは2分。痛恨。その後持ち直したが、結局72分台。最低でも70分は切っておかないと競走にも混ぜてもらえない・・・。

 順位も冴えず、52位に沈んだのでした。これでも日本人男子では最速。死屍累々、です。
 女子の方はと言うと、宮内さんが相当ミスしたらしく、こちらも(宮内さんにしては)下位に沈んでました。

 明日はレスト(休み)。なのでイヤなことは(反省はしつつも)すっぱり忘れ、lodの街にくり出したのでした。行き先はショッピングセンター。目的はお土産購入。
 片道2〜3キロ、と聞いていたのだが、それは町外れまでの距離。中心部まで行くと5〜6キロはある。結構疲れた。
 買ったのは、プラムとお土産とコーラだけ。
ミドルのレース中
 
ミドルの表彰式。
 
lodの街のショッピングセンター。唯一の観光(?)
 
とある日の夕食。見た目はイマイチだが、かなりおいしい
 


8月12日(水) 休み。ヘブライ語のPCはすごい

 今日は休み。でも午後からはロング決勝のモデルイベントがある。ということで各自バラバラの行動を取ることになった。

  足立さん、モグさん、芝田さん   エルサレムツアー(足立トラベル、モグトラル共催) 
  羽鳥さん、名児耶くん、宮内さん  テルアビブ・ヤッファツアー(羽鳥タクシー主催)      
  玉木くん、自分             留守番

 午前中は自室で寝てました。疲労回復のため。
 窓とドアを開け、風を通すと・・・・日本の田舎の夏休みと全く同じ感じでした。セミがいない分より快適かも。お陰で気持ちよく眠れた。これで風鈴があれば完璧だったんだが・・・。

 さすがにヒマなので、イベントセンターのPCを使ってなんかしよう、と思ったのだが・・・・
   ・全部ヘブライ語表記 ・・・・設定の替え方も分かりません
   ・日本語フォントが入っていない・・・・日本語を出そうとすると、CDを用意するよう求められる。そんなの持ってません。
ということであきらめました。

 でも気付いたこともある。
   ヘブライ語は右 → 左への表記。(昔の日本語と同様)
   マウスの左右以外は、日本と表記が全部左右逆。(右上の「×」ボタンが左上にあったり、「→」が戻る、「←」が進む、etc・・・)

 午後はロング決勝のモデルイベント。
    14:30  来ない。時間間違えたわけでもないし・・・
    14:50  車がやっときた。
    15:30  出発。
 結構時間にいい加減である。
 ロングのモデルイベントに行くのは、玉木くん、自分、羽鳥さんの3人 (宮内さんは休養のため不参加)。
 他の国もそんなに参加人数は多くない。レストだから休んでるんだろうな、きっと。
 で、メンツを見渡すと、結構コーチ・監督クラスが多かったような。去年のチーフオーガナイザーのヤン(ポーランド)もいた。

 日本だと3番の道で取りそうな道をバスで入り、モデルのスタート/ゴール地点に到着。で、さくっとスタート。

   道のランクが2段階。difficult to ride が無いぞ・・・
   植生が無いぞ
   分岐が変だぞ

 GPS担いでトレースしただけだな、こりゃ。モデルのためにニューマップを作る心意気は素晴らしいですが。

 事前に話していた「この斜度の道を登れるかどうか確認しとこう」という道に着いた。オープンなので上まで見渡せる。
 道、というよりはガケ、である(沢底から斜度45度のガケだらけの斜面を見上げるイメージ)。登りは絶対無理。というか下りも無理。ダウンヒル専用バイクでも持ってこないと無理じゃないか?
 その後もmidium ridingのシングルトラックに入ったが、洗濯板みたいな岩盤地形にやられ、全然乗れず。本番ではシングルトラックは極力避けよう、と思うのだった。
 練習中、玉木くんが前転1回、自分も1回。ケガは無かった。
 コースは8ポまであるが、5ポで時間切れになったのでさっと帰った。

 明日のリレーオーダーが決定。
   Aチーム: 多田−玉木−新
   Bチーム: 芝田−足立−名児耶
   オープン: 羽鳥−フィンランド男子−宮内

 羽鳥さんがリレーを走る、と言う話もあったが、羽鳥さん自身がケガ人(サボテンの針)なので無かったことに。で、オープン参加でフィンランド男子をゲットし、走ることに。速そう・・・。

8月13日(木) リレー。アクシデント発生

1走スタート直前
9番コントロール。ツボった直後でした。
 
 リレーの1走スタートは16:00。会場までは自走可能(モデルイベント地図のすぐ隣)。なので午前中はかなりまったり過ごした。

 モデルイベントの地図でウォーミングアップ中、認識していない轍に車輪を持って良かれ、転倒。左膝周辺が擦過傷に。先が思いやられる。
 リレースタート。1走は初めて。いきなりの集団走行。地面がグラベル(石混じりの土)+行き先が一定ではないのでメチャクチャ怖い。
 右カーブをインベタで抜け、次の右カーブもインベタ。そして直後の下りの左カーブをアウト→アウト→アウトで抜けようとしたら、バランスを崩しコースオフしそうになる。そんな自分をアウトから抜こうとしていたリトアニアに「shit!」と言われた。
 2人揃って体勢を立て直し、ペダルを踏もうとしたら、左からスゴイ勢いでイタリアが突っ込んできて、曲がりきれずに自分たちの目の前で転がっていった。辛うじて回避成功。危ない・・・。
 その後下り基調の直線。みんな飛ばす飛ばす。その直後にルートが別れ、自分はシングルトラックを登っていった。後ろから「please」と言われ道を譲る。イスラエルが抜いていった。ここは腕の差が如実に出る。我慢我慢。
 1ポを通過すると、徐々に人が減っていった(多分、置いて行かれた)。
 2の脱出、3ポ付近で日本ウェアっぽいウェアを見た。羽鳥さん(今日は埼玉ウェアで出場)かなぁ。下克上されている・・・ピンチ。と思ったら、3を脱出して4に向かう途中、羽鳥さんとすれ違った。ということは・・・前を走っているのは芝田さん?速い。
 4の脱出でようやく芝田さんを捉え、先行。

 9ポで2〜3分ミスをしてしまい、その後10ポに行く下り。
 石段ダウンヒル。階段状(個々の段差が50cmくらい)の斜面を降りていく。怖いっす。リズム良く降りていたら、突如1m近い落差の段差が出てきた。前輪はもう段差の向こう側。目一杯加重を後ろに下げたが、無理。そのまま前方へ放り出された。自転車の真下には落ちたくないので、ちょっと体をひねった。右肩から落ちました。落ちたところは平地なので大出血みたいな事態は避けられた。しばし悶絶。
 体の状況をチェック。痛いのは肩だけ。他もところどころ傷めているとは思うが、テンションが高い状態→痛覚が鈍っているのでレース中は大丈夫だろう。それでも傷むと言うことは肩は結構ヤバいかも。
 次に自転車の状況をチェック。大丈夫そう。立ち上がって、自転車にまたがって走る。大丈夫だ。でも、肩が痛いのでペースが上げられない(右ブレーキを思うように引けない)。

 10を抜けて、11に向かうところで前後を確認。前にイスラエル、後ろにグレートブリテン(イギリス)。あまり速くないな・・・まあ仕方がない。そのままの順位でスペクテーターズエリア(会場付近)に突入。日本チームが見ている左カーブを抜けようとすると、フロントタイヤがスライドした。後輪も滑らせて辛うじて立て直したが。でもなぜこんな所で?とフロントタイヤを見ると、ペチャンコになっていた。パンクしてる・・・・。シーラントを入れたときの感覚とは違い、本当にパンクしている模様。
 そのままpaved(舗装)の左カーブに入ったところで、完全にフロントが流れ、転びました(予期していたので対処できた)。残り距離を考えると、交換すべきか、このまま走るか微妙な所。右肩の痛みもあるので担ぎは無理。チューブ交換することにしたのでした。

   4分経過−

 交換終了。だいぶ遅くなったけど仕方がない。記録が出ないよりはマシだ。右肩が痛いのもあり、無茶は出来ない。岩石地帯の下りをおそるおそるクリアし、何とかラスポ方向へ。なんかフロントの挙動がまた怪しくなっている。スローパンクかなぁ。
 なのでラスポ後もあまり飛ばせず、ゴールへ。そして玉木くんへタッチ。ゴメンナサイ。

 ということでかなりイケてない結果になったのでした。みなさんゴメンナサイ。
 そしてオンラインのリザルトボードも内容がメチャクチャになっており、どこがリードしているのか、自分たちがどこにいるか全く分からない状態。下位にいるのは間違いないけど。

 そしてドクターに診てもらいました。モグさんに通訳に入ってもらいつつ。

     ドクター  (さわりも何もせず)「骨は大丈夫だ。単なる打撲だ。」
     モグさん 「痛みの方は?」
     ドクター  「ああ、痛むぞ。明日もだ
     モグさん 「痛みを抑えることは出来ないか?」
     ドクター  「痛むんだよ!

 まあ、じっとしていれば痛まないので、本当に骨は大丈夫そうだ。キネシオテープで筋肉をサポートしたら、何とかなりそうな気がする。とりあえず今晩一晩、様子を見よう。

 その後、モグさんがフランスをかわして先にゴールしたが、フランスはBチームが先にゴールしていたので、日本は完走チーム中ビリになってしまったのでした・・・。(ちなみに地元イスラエルはペナ。何てもったいないことを・・・)

 全体ラストゴールは名児耶くん。ゴール後そのまま医者に搬送されました。(転倒して両手両足を負傷していた模様・・・)。

 予想はしていたが厳しい結果になった。しかも貯金を作るべき自分がこんなに遅かったら・・・・情けない。
1走ゴールレーンへ向かう自分。フロントの挙動が怪しい(パンク) Aチーム2走、玉木くん。自転車は「カエル号」と命名されたのでした
Bチーム2走、足立さん 混成チームで走った宮内さん。速い。
Aチーム3走、モグさん。フランスBチームと競っている最中 Aチーム集合写真


8月14日(金)スプリント。引継ぎはきちんとやりましょう

スプリントのみ、ショートカットは乗っちゃだめ。
なので担いでます。

 朝起きて、肩の状態をチェック。痛むが、何とか動く。自転車の操作もできそうなので、このまま出場することにした(肩を揺らすと痛いので、これがフットOだったら出場断念だっただろうな・・・)。グラベルに入ると厳しいが、今日は舗装道が多いみたいなので何とかなるだろう。

 今日はスプリント。モデルイベントのすぐ向こう側のテレイン。公園になっているようだ。

 会場までは肩の様子を見ながら自走した。途中、下りのシングルトラックを走ったが、微妙なコントロールが出来ずメチャクチャ怖かった。今日は苦戦しそうだなぁ・・・。

 前置きは無しで、レーススタート。かなり道が細かい。
 2ポまでは何とか行けたが、2→3でルートミス。そして、5の脱出→6への道で、草が刈り取られた道が。ここを担いでショートカットすればタイムが稼げる、と思いショートカットを敢行。しかし、その先で激しいヤブに進路を阻まれた。左に道が続いているので担いで移動。今度は袋小路に。下に道は見えているが、まだ50mはある。草の高さは首くらい。これはカットすると時間がかかる。一瞬迷ったが、引き返すことにした。ここだけで1〜2分ロス。終わった。

 その後、スペインと競り合いに。10の脱出で先行したが、そこから下りのグラベル。ペースが上げられない。左から抜かれたときに、バランスを崩し、右のトゲのヤブに思いっきり突っ込んだ。サボテンじゃないだけまだマシだったが・・・。

 その後は淡々と周り、ラスポで再びスペインを捉え、抜き返してゴール。こんなレベルで争っている自分が情けない・・・。
 結果も散々の32分。27〜28分では走りたかったなぁ。

 スプリントに出られるのは4名。なので今日出番の無い足立さん、名児耶くん、羽鳥さんは午後のオープンレースに出場。ちょうど自分たちが会場を後にしようとしたときに到着したのでした。そして自分たちは宿に戻った。
 部屋に戻って、カギが無いことに気づいた。名児耶くんが持っている・・・・。結局、モグさん達の部屋で2〜3時間休憩させてもらったのでした。着替えとシャワーが欲しかったが・・・・まあ仕方がない。

 午後3時頃になって名児耶君が戻ってきたので、部屋が開いた。よし、作業開始。
 前輪が大会期間中持たなかった → もしかしたら後輪もヤバいかも、と思い、シーラントを補充することにした。チューブを取り出して確認したら、ほとんど残っていなかった。シーラントをほとんど使ってしまっていた様だ。あと、表からは見えないトゲが2本タイヤ内部にめり込んでいた。削り取るのが精一杯。
 ちなみに足立さんは、4日間でトゲが25本刺さっていたらしい・・・・イスラエル恐るべし。

 メンテのついでにタイヤの向きを後輪だけ逆向きにした。明日はほとんどがグラベル。登りでのトラクションを重視したセッティングと言うことで。

 本当は炭酸飲料とかが飲みたかったのだが、金曜午後からは安息日。店は閉まっていた。無念。
 夕食の時。食堂に行くと、各々の机に丸いパンが置かれていた(しっとしりていておいしかった)。安息日の習わしなんだろうか?日本のお餅みたいなものか?

 明日はいよいよ最終日。長い一日になる。(そしてその翌日は短い一日)
がんばって漕いでます ラス前を取ってラスポへ


8月15日(土)ロング決勝。最終日

ロング決勝進出の玉木くんと。麦わら帽子の出番はここだけでした(汗)
 
 あっという間の1週間も今日で最終日。6:00起床。
 7:30のバスで会場へ向かおうとした。しかし・・・7:30には何も来ない。バスとトラックが来て、宿を出発したのは朝8:00。もう慣れました(汗)。

 会場でまったり待機。トップスタートの玉木くんを見送ったあと、自分も準備開始。でも長丁場になるのでアップは軽めに(体力温存)。

 そしてスタート。いきなりルートに悩んだ。途中でルートを替えたため1分のロス。勿体ないことをしたかも。1ポの脱出でも1分のロス。
 勝負レッグの6ポへの登りで、3分後のフィンランド(いつ抜かれた?)に追いつき、抜いた。直後の下りで自分はeasy to rideをそのままぐるっと周り、FINは激斜面シングルトラックをショートカット。10秒ほど先行された。そして6ポへのアタックは激登り。2人揃って担いで登ったのでした。ほぼ同時に6ポに着いたが、出戻りの脱出は譲った。案の定あっさり置いて行かれた。
 8ポがマップチェンジ。9ポはオープンのだらだら登り。この気温、この日射しでこれは拷問に近い。ここでさっきちぎられたFINに再び追いついた。相当へばっているようだ。で、9ポへのアタックの担ぎ合いを制し、先行(この担ぎのタイミングでゼリーと飲み物を補給)。
 9ポの脱出で先行し、やや遠回りの舗装道を利用しようとしたが・・・・沢底の一番スピードが欲しいところで一般車に邪魔され、ほぼ停止させられた。・・・・。その後9→10の別のルートと合流する地点で、FIN再び。本当に目の前にさくっと入りやがった。しかしその後また登り基調なので、今度こそ抜き去り、千切った。で、直後のアタックで、脱出していく玉木君とすれ違った。ゴールまでには追いつけるかも。
 11ポの途中で30秒ほどミスし、12ポは後で見るとルートミス。12ポへの道上で、13へ向かう玉木くんとすれ違い、その後FINとすれ違った。・・・・・。オレ、下手なのかな。
 12ポを通って13ポへはグラベルのだらだら登り。ここでFINをまた抜いた(4度目)。抜くときにちら見したが、かなりヘロヘロになっていた。これと互角なのか・・・・どんだけ体力無駄遣いしているんだろう、自分・・・と思ったのでした。
 時計を見た。1時間56分。これならぎりぎり2時間を切れるかも知れない。ラストスパート。
 その後玉木くんも抜き去り、14,15を通過してゴール。タイムは1時間59分30秒くらい。辛うじて2時間を切りました。やった。

 でも完走した選手で2時間を超えたのは10人ほどだけ。あと45人は1時間59分台。
 ようするに今のレベル・レース内容では話にならない、ということです。

 去年までの日本の実績を考えると、ある程度評価してもらって良い結果ではあるのだが、自分にとっては全くダメダメでした。経験値/スキル/脚力いずれもトップには遠く及びません。

4ポの脱出でシャレにならない斜面を登る
 
何とか乗れたので漕ぎ始める。
 


 会場に戻って、さっさと帰る準備を始め、14:00のバスに乗ろうとしたら、・・・・・

    「14:00は無いよ。14:30になったよ」

とのこと。オイオイ。もう慣れたけど。

 そして宿に戻って梱包開始。作業をしていたら、隣で梱包していたリトアニアにぷちぷちの余りをせがまれた。お前ら準備が足りねぇよ。
 ふっ( ̄ー ̄)

 梱包を終え、ヘルメットを片付けようとしたとき、ヘルメット右側が汚れているのに気付いた。頭を打った自覚が全くないので、どこでやったか分からなかった。で内側を見ると・・・・完全にひび割れていた。これだけの強い衝撃が加わるところといったら・・・・リレーの転倒の時しか無い。どうやらリレーで転倒/打撲していたとき、頭も痛打していたようだ。全く自覚が無かった。ありがとうヘルメット。
 ということで天命を全うしたヘルメットを捨てて、片付け終了。かさばる荷物が減った。

 バンケットはまたバスで移動してロング決勝会場で行われる。なんか今回の大会はあちこちで段取りが悪かったなぁ。ちなみにバンケットに出るのは、羽鳥さん、芝田さん、宮内さんの3人だけ。他の5人は今夜0:30の韓国行きの飛行機で帰るのでした。(だって、それを逃したら次の飛行機が3日後だから・・・)

 空港には出発の3時間半前に着いた(イスラエル出国の際は、3時間前の到着が求められている)。
 最初に並ぶところはまだガラガラ。3時間前じゃなくもう少し早く来るのが正解か。と思ったらいきなり質問攻めにあった。旅の目的は?行ったところは?それを証明できる人はいるか?その連絡先は?などなど。さらに「なにかもらったものは無いか?あったら見せろ」ということで参加賞のTシャツと帽子を見せました。基本的にモグさんが全部対応してくれたので、我々5人は無難にランク2(危険度低)のラベルを貼ってもらえたのでした(ランク6だと準テロリストのVIP待遇を受けるらしい・・・)。

 お次はX線検査。自転車がでかすぎるので検査対象外。その代わりその先で開封させられたけど。ランク2なので2〜3質問を受けて回答するだけでお許しが出ました。

 これらが終わってようやくチェックイン(普通の空港と同じ)。最後の関門、重量検査。測ったら、合計で31キロになった。さすがにこれはヤバい・・・・と思ったら超過料金もなんもなし。メチャクチャラッキー。4万円浮きました。

 その他の手続きも一気に終え、やっとこさ出国ゲートを通過。順調に終わったのだが、それでも1時間半かかった。普通にやると2時間かかるかも。
 軽く食事をし、免税ショップでシュケル(イスラエル通貨)を使い切り(残1.3シュケル=約40円)、0:05、機上の人となったのでした。

 さようならイスラエル。もう来ることは無いでしょう。今度来るときはシーラント持ってきます。
1週間ありがとう。
 
天命を全うしたヘルメット・・・
 

8月16日(日)

 日本時間で12時頃目が覚めた。チト眠い。
 16:00頃、韓国・仁川に到着。トランジットで韓国料理をいただき、18時過ぎ、それぞれの空港へ。ここで解散となったのでした。

 成田に着いた後、モグさんを家まで送り届け、帰宅。ケガをしているものの、。無事帰って来れました。

<総括>
 自分自身は確実に去年より速くなっているのだが(5%以上)、世界の方がそれよりさらに成長していると感じた。しかもまだ荒削りなので伸びしろが多そう。このままの状態では日本が置いて行かれるのは目に見えている。対抗するには環境面での充実が欠かせない。とりあえずは・・・地図だな。(国内で渉外を楽にできるところが1〜2箇所しか無い現状を何とかしなければ・・・)