中央線の乗り方 日野駅



 JR中央線日野駅から、ぼくは通勤している。神田駅まで乗換なしの約57分の旅であ る。
夕方の日野駅東側  日野駅でもつい1年くらいまえから自動改札になった。自動改札になったばかりの頃は 、意外と戸惑う人が多かったように見えた。
 既に数年前から都心部を走る路線では自動改札を導入する駅が増えてきており、自動改 札には十分馴れた人も少なくなかったに違いないと思うのだが、何故か改札前にはいつも 何人かの人が固まっていて、渋滞の様相を呈していた。
 一方、有人改札の方は、自動改札ができたにもかかわらず、依然として従来と変わらな い数の人が通過してゆき、改札駅員は目を休める暇もないようであった。
 自動改札が渋滞するのは、必ずしも多くの人が戸惑っているためではなさそうだった。 車でもそうだが、1台遅い車がいるとそれに続く車は全て渋滞する。それと同じ理屈らし い。
 遅い車はどうもお年寄りのようだ、と思ったが、実際はそうではなかった。お年寄りが そう朝早く電車に乗って外出するようなことは滅多にあることではない。最もお年寄りは 朝早いが。
 渋滞の原因は決まって旅行にでも行くらしい妙齢の奥様方であった。普段は家庭に閉じ こもっているから、世の中の環境の変化に直ぐに順応できないのは仕方のないことだと思 う。
 しかし、朝のラッシュの忙しい時にそれをやられると何というか大変に困る訳だ。今は 改札は全部で6つある。そのうち1つが有人であとの5つが自動である。
休日午後の日野駅改札口  当時は確か自動改札の数はもっと少なかったように思う。工事中のため使えなかった通 路が幅を占めており、有人改札が1つの他に使える自動改札は入口用と出口用併せて3つ くらいしかなかった時もあったように思う。そんな時の渋滞の様子には名状し難いものが あった。
 日中は殆ど利用客とていない狭い駅の構内もこの時ばかりは通勤客でごった返し、ただ 前へ前へと後ろの客に押されるが、肝心の前は支えていて押し潰されるしかない有り様だ った。
 そうして苦労して改札を通り、広告板や掲示板、伝言板の前を通り続いてボランティア や一般市民による文芸作品の展示ケースの前を通って4〜5段の短い階段を上り、再び旅 行等の広告板が並ぶ前を通り過ぎ突き当たりを右に曲がって3台の公衆電話を左に見て進 み、両側を広告で挟まれた線路下の通路を通って突き当たりの左右に昇る35段ほどの2 つの階段のうち、左側の階段を上ってホームに出る。
 左側が下りの1番線、右側が僕の利用する上り2番線、進行方向東京方面前から4輌目 、うしろから2番目の扉のほぼ真ん前である。
 日野駅のホームは幅が狭いため、待ち客が少し多いと順に前の待ち客の後方に規則正し く整列して並んだ場合、ホームを横断して塞ぐ形となる。朝の混雑時にこれはなかなかで きない。もし無理にでも2列縦隊で並んだとすると、ホームの反対側から線路に落っこち てしまう。というのは冗談で、それはどこの駅でも同じだが、それより前に、下り電車を 待って1番線側に並んでいる客を線路に追い落としてしまう。というのも冗談で、まあ要 は通行の邪魔になるということである。

 自ずと、一面マナーに反するが扉の前に相当する付近に雑然と固まって電車を待つこと になる。
 しかし、そこで一つ困ったことが起こる。雑然と固まっているため、厳密に誰が最初に 待っていた人か、誰があとから来た人か、当然当人同志の間では了解し合っている筈なの だが、例えば3番目に来た人は自分より前に来ていた2人のうちどちらが1番目の人でど ちらが2番目の人か区別がつかない。
 自分は確かに3番目なのだが、1番目と2番目が誰だか判然としない。同様に、自分よ り後の4番目の人は何とか憶えているが、5番目以降の人については関心が沸かないから 憶えていない。自分の関係しない順番での前後関係は全く関知しない。
 これと同じことをどこか他の所でも経験したように思う。そうだ、床屋だ。しかし床屋 の場合は自分の前に待っていた人の全てがいなくなれば次は自分であるから、自分の前に 待っていた人を取り敢えず憶えておきさえすれば、順番は確実に守られる。しかしここで 言っているケースはそれで済むというものではない。本当に困るのはこの後である。
 ようやく待っていた電車が来る。ほぼ目の前で扉が開く。まず乗客が降車する。そのた めに扉の前で待っていた客は扉の左右脇に分かれて退く。すると順番はさっきよりももっ と入り乱れてもう収拾がつかないくらいに雑然となる。この頃には、待っていた時の順番 などには殆ど誰も注意を払っていない。唯一、先頭だった人だけがひとりよがりに自分が 第1番目に乗車できる当然の権利者であることを心密かに主張しているのである。あたか も過去の栄光栄華に浸って悦に入っている元有名人のように。しかその期待は次にくるた だ一瞬の、想像するだに恐ろしい現実離れした展開の後に脆くも崩壊し、虹の彼方に葬り 去られることによってものの見事に裏切られるのである。
 もと先頭だった人は、自分の当然の権利であるかのように、悠々と第1番目に乗り込も うとする。ところがそうは問屋が卸さないところが現実のそう甘くないところである。
 毎日この頃の電車に乗りつけている人はこの辺の機微を熟知していて、よも甘い考えは 持っていないが、それでもその辺の裁量はその都度周囲の人の顔を見て判断した上で行わ れる。従って、周囲の人の人柄を読み違えた時は悲惨である。
 同じ扉の回りに固まって待っている人の人柄を甘く読み違え、「このような人達ならば まさか先頭で待っていた自分をさしおいて、割り込み乗車を企てるようなことはしまい」 などと勝手に思い込んで、悠々と乗り込もうとする時、その期待を裏切って左右或いは後 ろにいた人までもが先を争ってあらんことかこの自分までをも押し退けて、自分より先に 乗り込んでしまう、という事態を招くことになる。その時になって読みの甘さ、ひいては 人を見る目の甘さを後悔してみても時既に遅しである。
 これが、先に乗っても後に乗ってもどうせ座れる訳がないほどに車内が既に混雑してい るのならば幾らかは救われる。しかし、ああ、先頭で乗れば座れたのに、と思わせる状況 、即ち、空席が1つ2つある状況においては、悔やんでも悔やみ切れない。
 その時の割り込み者への憎しみはまたひとしおである。座ることができたその割り込み 者の膝の上に、知らん顔して座ってやりたいほどである。膝の上に黙って座られたら驚く だろうなぁ。
 そういえば、電車の中で人が立っている部分の空間は、床から天井近く人の頭の高さま でぎっしり詰まっていて無駄な空間がない。ところが座席の部分では座っている人の膝か ら上は天井までガラガラである。
 まあ、網棚というものがあるにはあるが、網棚などというものはなくても実際にはそれ ほど困るようなことはなく、あってもなくてもいいものである。荷物は殆どの人が手に持 っている。座っている人は膝の上に、立っている人も窓側の、吊り革に掴まれる人だけが ようやく荷物を網棚に載せることができるだけで、それ以外の人は利用できないからであ る。
 とまあ、要するに座席の上方の空間が全く無駄になっているということである。がしか し、この空間はただ無駄であるというだけでなく、時には非常に厄介なものでもある。
 どのように厄介かというと、電車は時に左右に傾いたり、左右に大きく遠心力が働くよ うな動き方をすることがある。左右に傾くのは急なカーブのため線路の道床がカーブ方向 に傾いて作られている部分を通過する時である。
 しかし高速で通過するならまだしも低速で通過すると遠心力が働かず乗客は傾いた方へ 倒れそうになってしまう。
 また、左右に遠心力が働くような場合とは、高速でカーブ区間を通過する時とかポイン ト通過前後などである。ポイント通過前後もカーブ区間を通過することのうちに含まれる かもしれない。カーブ区間を通過する時は、乗客はカーブの外側に向かって倒れそうにな る。この時、窓側で吊り革に掴まって立っていると、大変な目に会わされるのである。
 立っている乗客全員が電車の片側側方に向かって雪崩るようにして倒れてくる。崩落し てくるといっても過言ではないくらいにそれこそドドッとばかりに押し寄せ、反対側側方 から自分の真後ろに至るまでの全体重が一挙に自分の背面を襲ってくるのである。
 だいたい一人にかかる荷重はどのくらいになるだろうか。ざっと計算してみて、反対側 の窓側側方から自分の真後ろまでに約3人、一人の体重が50kgとして合計で150kg。 これが、体重としてかかってくるのではなく、足は床面についていて横方向にかかる荷重 であることを考慮して実際は約半分程度と見て75kg。しかしこれが加速度をつけて押し 寄せてくるから、その加速度分を考慮して約2倍、この数字は根拠がないが、として約1 50kgとなる。
 加速度分としての数字は根拠のないものだが、実際に150kgくらいの重さが背中にか かっているように感じるから、この数字はあながち見当外れのものでもないと思う。
 そして、そんな重さがかかったのでは到底支えきれないから、吊り革に掴まりつつも、 座っている人の膝上並びに頭上の空間へと上体が前に傾倒させられてしまい、背中は撓っ てしまい、上体を座っている人の頭上へと倒さないために腕と肩、背筋で上方へつり上げ 支えるために尋常ならない力を要するのである。この状態はほんの1秒ほどで打開される が、それまでの僅かな間に、背中にぐっしょりと汗をかくくらいに爆発的な瞬発力が発揮 されなければならないのである。
 このように、窓側付近吊り革に掴まれるあたりの位置は、この種の問題があるが、その 一方で、目の前の座席に座っていた人が降車した時は直ぐにも座れるという特典もある。 この辺が、吊り革に掴まるべきか否かの判断に迷うところであるが、これには一つの特技 の有無の条件を加味しなければならない。その条件とは、今自分の目の前に座っている人 がどの辺で降車するかを読む能力の有無またはその確率の高さである。ひいては、車内の 座席に座っている、目の届く限りの人の一人一人が、果たしてどの駅あたりで降りるだろ うかということを、確率50%以上、欲を言えば80%以上の確率で正確に読む能力を持 つか否かである。
 ぼくの経験を言えば、サラリーマン風の男性は概ね少なくとも新宿までは降りない。こ れは98%くらいの確率で言える。また学生風の男性は、概ね吉祥寺までは降りない。こ れは65%くらいの確率で言える。
 確率が低いのは、学生という性質からか、西国分寺、国分寺、三鷹などの乗換駅で降り る人が比較的多いからである。
 女性の場合はもっと細分化され、三鷹、吉祥寺あたりで降りる人が多いから、座席の前 に立つなら女性客の前に立つのが一般的に有利である。OL風の女性でも三鷹で降りる人 と吉祥寺で降りる人と新宿で降りる人と四ツ谷で降りる人とお茶の水で降りる人と終点ま で降りない人との分布は、だいたいOL全体に対してそれぞれ約15%、25%、40% 、10%、1%くらいである。残りの約9%がその他の駅で降りる。学生風の女性客は、 殆どが吉祥寺と新宿で降りる。
 おばさん風の女性客は概ね終点まで降りない。

 従って、比較的若い女性客の前に立つのが有利であり、三鷹や吉祥寺で降りそうな人を 、その顔つきや服装、身につけているファッション等で見極めるというのが究極の必殺技 と言える。だいたい三鷹には三鷹に合ったなりの人が、新宿にはそれなりの人が降りるも のである。あまり具体的には人権問題になるといけないから言うのを控えておくが。
 要はそういうことである。
 このように、近い未来にやってくる事態をことごとく想定しつつ、極めて瞬間の時間の 中で、最も適切な位置を車内で確保すべく、乗車の際は四周にあくまでさりげなくも隈な く視線を配りつつ、しかし最も優先されるべきはまず誰よりも先に、時には人をかき分け て割り込みをしてでも車内への強行突入を敢行することを辞さない覚悟で、しかしスマー トさを失わずあたかも滑り込むようにして、迷わず一気に目的の場所へと到達することの できる技量、視野の広さ(言葉通り)、分析力、判断力、決断力、瞬発力、押しの強さ、 ある程度の厚顔無恥、そして体力、が要求されるのである。
 ぼくたちはそのために、日夜研究に研究を重ねなければならないのである。

1996.05 著作 [-10%(10% Buff)]
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