擦り抜けていく、その存在
別離3
ライルはパネルを操作して、小型艇の発進準備にかかっていた。トレミークルーが一番目を離している
この時間を無駄にする事は出来なかった。スメラギが渡してくれた、ブリッジに異常を感知させない為
のパスワードは本当に助かる。本当に行ってしまうの?とは直接訊かれはしなかったが、彼女の瞳がい
つも訴えていた。
(兄さんがいるんだ、満足してくれよ)
聡いスメラギには分かっている。自分の行動も、その心理も。だからこそ、彼女はライルに何も言えな
いのだ。自分がいなくなってもクルーが不自然に感じないように、気をつけて姿を隠してきた。だから
ライルが消えても、気にする人はいないだろう。
(しかし本当に、我が兄ながら勘の良い)
思わず苦笑する。実は何回か、ニアミスをしていたのだ。寸前に気がついて回避できたから良いものの
多分見つかったら、部屋に監禁ぐらいされていただろう。兄のニールはすんなりとケルディムに乗る事
を了承したようだ。それはそうだろう、とライルは思う。きっと自分など比べ物にならないくらい、頼
りになるはずだ。ハロだって喜んでいる。
ピー
ぼんやりしていると、発進準備が整った事を知らせるアラームが鳴る。よし、と呟いてコントロール室
から出ようとしたライルの左手首を、誰かが掴んだ。
「!!」
驚いて振り向くと、そこには・・・・・
「刹那・・・・」
自分をCBにスカウトしてきた、刹那がライルの左手首を右手で掴んでいた。
「どこへ行く」
「刹那、手を離してくれ」
「どこへ行くのか、と訊いている」
刹那の右手を離そうとすると、ぎゅっと力が入る。
「痛ぇって!離せよ!」
腕を振り回しても、刹那の手は離れない。
「どこへ行くのか言えば、離してやらない事はない」
「なんだよ、それ?」
刹那の赤茶けた瞳が、ライルを睨んでいる。その瞳の中の自分は、笑ってしまうぐらいに動揺した顔を
していた。当然だ、左手首を掴まれるまでまったく気配を感じなかった。
(兄さんなら、分かっただろうか?)
思わず卑屈な感想を心の中で漏らして、ライルは苦笑した。
「ライル!」
「そう、俺はライルだ」
刹那の目が丸くなる。その彼に皮肉めいた、笑顔を見せた。
「ロックオン・ストラトスじゃないんだよな、お前にとっても。俺はあくまでライルという存在であっ
て、お前達の求める者じゃなかったって事さ」
戸惑う表情を見せた刹那に、やはりなと納得する。
「本物のロックオン・ストラトスが来たんだ。俺に遠慮する事なんかねぇよ。代理の俺がこれから何し
ようが、お前には関係ない」
だから、手ぇ離せと続ける。だが刹那は手を離そうとしない。段々ライルは焦ってきた。ここで無駄に
時間を潰すわけにはいかない。あの聡い兄が気配を感じてやって来るかもしれないからだ。常々自分を
探して、トレミー内を兄が徘徊していた事を知っている。
「いい加減、離せ!!」
業を煮やしてとうとうライルは声を荒げた。
「此処にいろ」
「なに・・・・・?」
「此処に、俺の傍にいろ」
なに兄さんと同じ事言ってるんだ、こいつは。
「此処に、俺の傍に居てくれライル」
淡々と話す刹那に怒りが湧く。同情ならゴメンだ、なに気を使っているんだよ餓鬼のくせに!
「嫌だ」
きっぱりと拒否すると、刹那の身体が一瞬硬直した。その後に、項垂れる。
「俺がお前を此処へ連れてきたのは、迷惑だったのか?」
今度はライルが目を丸くする番だった。溜息をつく。
「いいや」
弾かれたように顔を上げる刹那。その表情は何故か驚きに満ちていた。
「感謝してるさ、お前には。ガンダムなんて凄いMSを操れるなんて、滅多にないしな」
そう、ケルディムは自分なんかにはもったいないぐらいの素晴らしいMSだった。だった・・・もう過
去形なのが、少し寂しいが。ふと、自分の手首を戒める刹那の手が緩んだのに気がつく。そうと感ずい
たら、思いっきり刹那の手を振り解いていた。
「ライル!」
慌てて再び拘束しようとした刹那の胸に手を当てて、思いっきり押した。
「!」
刹那が後ろに流れていく。
「刹那、元気でな。死ぬなよ?兄さんや他のクルー達も」
そう言って、ライルは今度こそコントロール室を出て行く。もう此処まで準備が整ってしまえば、たと
え刹那がコントロール室やブリッジに連絡して発進を止めようとしても、無駄な事だ。操縦席からコン
トロール室の窓に張り付いて、何か叫んでいる刹那に苦笑する。
(求めていた兄さんが、お前の所に帰ってきたじゃないか。なにしてんだろうな)
ライルは小型艇を発進させた。
飛び去ってもう反応を追う事すら出来なくなった小型艇が向った先を、刹那は見つめていた。さっきの
自分の問いに対してのライルの答が、重く心に圧し掛かる。彼はガンダムの事しか言わなかった。そう
クルー達や自分達マイスターへの言葉は無かった。最後に言った「死ぬなよ?」というのは本心ではあ
るのだろう。ロックオンが戻った後、姿が見えないライルを気にしていたクルー達だったが、次第にそ
れを気にする事もなくなってしまった。ロックオンがガンダムマイスターに復帰すると決まってから、
慌しい準備に追われた事もある。
(結局、俺達・・・いや俺はお前を苦しめていただけだったのか)
ロックオン・ストラトスと共にもう一度戦いたい。たったそれだけの理由で、刹那はカタロンに捜索が
入るという情報を餌に彼に容姿がそっくりなライル・ディランディをCBに引きずり込んだ。確かに双
方合意ではあるが、ライルがCBの情報網に期待していたのも確かだ。此処に来てからというもの、ラ
イルは彼なりに打ち解けようと努力していたようだが、ティエリアを始めとした前メンバーは彼を素直
に受け入れようとはしなかった。ライルと自分達の間にはロックオン・ストラトスという名の、どうし
ようもない壁が立ちはだかっていた。刹那は思う。何をやっても喋っても、常に比較されているという
状況でライルはカタロンの為とはいえ、良く耐えていたと。何回か拒否をされた後、ライルはメンバー
の中には積極的には入ってこなくなった。ブリーフィングでも食堂でも常に他のメンバーと距離を置き
自由時間でも部屋に篭もるか、黙々とケルディムの中でシュミレーションをこなしているかしていた。
刹那が話しかけようとして、かわされた事も度々あった。上がらない、ロックオンに届かない命中率を
ライルが気に病んでいた事も知っている。だが戦場に出れば、立派にケルディムを操って戦闘をこなし
てみせた。だからロックオンが復帰しても、ライルはケルディムに乗り続けると思っていたし、当のロ
ックオンもそのつもりでいたようだ。
「そうだ、俺はライルだ」
焦って名前を呼べば、そんな答が返って来た。刹那の中ではロックオンとライルは違うものになってい
た。ロックオンの代わりとしてではなく、ライルという一人の人間を欲したからだ。たとえロックオン
が戻ってきても、刹那にはライルが大切だった。大切に思ったからこそ、彼をライルと名前で呼んでい
たのだ。だがライルには刹那が他クルー達と同様に、ロックオンとして役不足であるから呼ばないと感
じたようだ。情けない事だが、ライルの心情を悟ったのはついさっきだった。
刹那の視界に突然、オレンジ色が飛び込んできた。呆然としたまま振り向けば、そこにはロックオンの
相棒であるハロが耳をはためかせて飛んでいる。
「ハロ・・・・」
「セツナ、ロックオンハ?ロックオンハ?」
ハロはシステム上の動きから、何かを察知していたのだろうか?
「どっちの・・・・だ・・・?」
「イマノロックオン、イマノロックオン」
多分、ライルの事を言っているのだろう。刹那は両手をハロに差し出すと、まるで小鳥が止まるかのよ
うにハロが刹那の手の上に降りる。
「行ってしまったよ」
「ドコニ?ドコニ?」
「分からない、多分カタロンだと思うが」
「ハロ、オイテイカレタ?オイテイカレタ?」
「そうだな、俺もハロも置いていかれた・・・・・な・・・・」
ハロが刹那の手の上で、くるくるとでんぐり返しをして止まる。
「セツナ、カナシイノ?カナシイノ?」
「何でだ・・・?」
「ナイテル、ナイテル」
そう指摘されて刹那は初めて、自分が泣いている事に気がついた。意識したわけでもないのに、ただた
だ涙が溢れて落ちていく。そうだ、自分は悲しいんだ。ライルに誤解を与えたままだった事に。自分が
大切に思うその心を、もっと早くにライルにぶつければあるいはまだ此処にいたかもしれない。ライル
自身に壁を作らせてしまったのは、自分のミスだ。ライルにとってカタロンこそが仲間であり、帰る場
所だった。彼らはライルを比較しない。ライル・ディランディそのものを見てくれる。そんな彼らと、
仕方がない事とはいえ拒絶反応から始まった自分達では、ライルがカタロンを選ぶのは無理ない事だ。
ライルとて兄と比べられる事を覚悟して来たのだろうが、その予想以上にこちらの拒絶反応が強かった
のだろう。彼の年齢も考えて余り口出しはしなかったのだが、それが裏目に出てしまった。
そして気がつく。大切に思う心、それは純粋な好意だったのだと。刹那はライルに恋愛感情を抱いてい
たのだと。だがもう遅い。ライル・ディランディという存在は、自分の手をすり抜け消えてしまった。
手を伸ばしても、届かない。
ただただハロを見つめて、声も出せずに泣いている刹那。その刹那をニールが見つめていた事を、彼は
知らない。
ニールは思う。
(俺以外にも、こんなにもお前を思っている奴がいるって・・・知っていたのかよ・・・ライル・・・)
★刹那にとっては、ロックオンはリーダー。ライルは同志。憧れと恋愛。似ているようで、違う感情を
もっています。だから刹那は混同する事はありません。ライルにロックオンを重ねていたのも、僅か
な時間だけ。ですがライルは、始めに重ねられていた時しか覚えてません。だから刹那がちゃんと区
別している事にも気がつきません。その頃にはメンバーの輪から意識的に外れていたから。
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