絶望の、幕開け

       別離5


          あれから三年が経っていた。刹那は元カタロンの支部に身を寄せていた。それには訳がある。自分に挨
          拶していくスタッフに挨拶を返しながら、奥に進んで行く。やがて誰もがドアとは思えない場所の前で
          立ち止まった。
          パアア
          網膜チェックが入り、何もないはずの壁に手の平を押し付ける。そして
          「刹那」
          音声チェック。そこまでしてやっとそのドアは開かれた。中は燦々と陽が当たり、暖かい空気が満ちて
          いる。そしてその部屋の中央の椅子に座っている人物に近づく。屈んでその人物の額に自分の額をつけ
          る。刹那の目が黄金色に輝いた。
          「ライル」
          呼びかける。だが反応を返さない。
          「ライル」
          もう一度呼びかける。ゆっくりと瞬きがされ、焦点の合っていなかった瞳がクリアになっていく。
          「ソ・・・・・ラン・・・」
          それは変わり果てた、ライル・ディランディの姿だった。


          戦いが終わった後、刹那もニールもそしてCBも必死でライルを探した。だが消息がわからないまま、
          時間だけが過ぎ去った。個々で探していた時に、偶然刹那は見つけた。反政府組織の構成員を収監した
          ある場所。ロックが掛けられ、いくつものパスワードを消化してやっと見られた収監データの中に、ラ
          イルの名前があった。アロウズは組織力を失ってはいたが、まだそういう権利は有していたようだ。だ
          が刹那は首を傾げた。ライルだけまったく別の、地下収監所に入れられていたからだ。嫌な予感がする。
          刹那はある男と連絡を取った。元カタロン中東部のリーダーである、クラウス・グラード。一度しか会
          った事のない男だが、信用に値する人物だと知っていた。いや、ライルが教えてくれていた。だから迷
          いなくクラウスに連絡を取ったのだ。秘密裏に協力をして欲しいと。この時ニールに連絡しなかったの
          は、ライルの状態が良く分からなかったからだ。今に思えば、それは正解だったと思う。クラウスは刹
          那の思ったとおり、信用でき且つ頭の良い男だった。カタロンの元構成員の収容者の救出と幹部を説得
          して、ライルの救出には口が堅く信用できる者達を集めてくれた。
          「頼む、俺の大事な旧友を救ってくれ」
          真摯な目でそう頼まれ、刹那は頷いた。結果、クラウス達がわざと大きな騒ぎを起こして警備の目がそ
          ちらにむかっている間に、地下施設を襲撃。ライルの救出に成功した。
          そう、救出自体は成功した。
          しかしライルは精神崩壊を起こしており、何の反応も示さなくなっていた。刹那はライルを抱きしめて
          人目を憚らずに泣いた。生きている、だがただそれだけだ。想いを伝えたかったのに、それすら出来な
          い。地下施設のデータを読んで、刹那は絶句した。ライルは元ガンダムマイスターだと判明しており、
          しかも現マイスターの肉親という事までバレていたのだ。それ故にガンダムにぶつける存在として作り
          変えられようとしていたのだ。その時に裏切らないよう、そして脳量子波に近い能力を持たせる為に行
          われた処置・・・・それは彼の負の感情を増大させプレッシャーを与え続ける事だったのだ。ライルが
          激しく抵抗した為に、執拗にその処置は繰り返し行われていたようだ。そしてとうとうその肥大する己
          のプレッシャーに精神が耐え切れず崩壊。そのまま放置されていたらしい。ますますニールに伝える事
          が出来なくなった。ライルの持つ最も大きい負の感情は、兄であるニールへのコンプレックスだ。それ
          を肥大させられたライルがニールに会った時、どういう反応を返すか分からない。そしてそんな弟の姿
          にニールも己を責めるはずだ。自分がライルを此処まで追い詰めた、と。どちらに対しても良い結果が
          でるとは刹那には思えなかった。それに此処は言うなればニールの影響がない、ライルにとっての最後
          の砦なのだ。そこにニールを呼び込む事は躊躇われた。


          クラウスはライルの状態を知ってから、刹那に言った。
          「彼は私の大事な旧友であり、同志だ。彼の面倒は全て我々でみる。その責任が私たちにはある。だが
           君はまだ若い。ライルの事は心配いらないから、君は君の人生を歩むと良い」
          本当に良い奴だと刹那は思う。彼の言葉に嘘はなかった。本当にライルの状態を悲しみ、そして一生涯
          面倒をみる覚悟が感じられた。だが刹那も引けない。あの時、掴んでいた手を離してしまったが故にラ
          イルはこんな結果を迎えてしまった。後悔してもし足りない。せめてこれからライルの傍にいてやりた
          いと、刹那は必死でクラウスに頼み込んだ。最初は渋っていたクラウスだがシーリン、そしてマリナが
          刹那の側について説得してくれ、刹那はカタロンの客分としての位置を得た。


          刹那はクラウスと、そして精神科医と相談した結果、ニールにライルが死亡したと伝える。最初は疑っ
          ていたニールだが、クラウスが刹那の後押しをしてくれた為に、疑いきれなかったようだ。画面で泣き
          崩れるニール。彼の人生の根本的なものが無くなったのだ、人としては当たり前の反応だろう。刹那は
          心の中で謝った。ニールに、多分ライルをこの世で一番愛している彼に。それでも今のライルを守る為
          には必要だったのだ。いつか、本当の事をニールに話せる日が来ればいい。そう願わずにはいられなか
          った。


          そしてライルとの生活が始まった。


          最初は散々だった。ライルは朝、目を開けても自分で起きようとはしない。誰かが起こしてやるまで、
          ずっとベットで寝転んでいるだけ。自分から食事もしないし(口の中に入れると咀嚼して飲み込む)粗
          相も多い。刹那もずっとライルの傍にいるわけにいかなかった。カタロンの要請を受けて仕事をしてい
          たからだ。ライルが最初に反応を示したのは、刹那ではなかった。旧友でもあるクラウスに反応をみせ
          たのだ。
          「ク・・・・・ラ・・ウ・・・・・・・ス・・・・」
          その時のクラウスの喜びようはない。
          「私がわかるのか、ライル?」
          とライルを抱きしめて彼は喜んだ。クラウスとライルの間には、刹那でも知りえない共にあった時間が
          ある。それに比べて刹那との時間は無いに等しい。悔しかったが、刹那は納得した。
          次に反応を示したのは、マリナだった。マリナは暇ができると此処に来て、ライルの手を両手で包み込
          んで歌っていた。暖かく優しい声から紡ぎだされる歌は、ライルの心に響いたのだろう。口を動かして
          一緒に歌っているような仕草すら見せた。マリナの歌は人を安堵させる。そして彼女の持って生まれた
          母親のような性格が、ライルに母親を思い出させたのかもしれない。マリナが部屋に入ってくればそれ
          が分かるのか、ライルは嬉しそうな表情を見せた。
          しかし刹那には全く反応を見せない。一番傍に居て一番ライルと過ごしているというのに、ライルはま
          るで刹那という存在を消してしまったかのようだ。それが刹那には悲しく、寂しい。だがある日、刹那
          は思いついて試してみたのだ。自分に備わった「イノベイター」としての力。人の心に滑り込むその力
          を。ただ力任せにライルの心を開こうとは思わなかった。そっとライルの心の扉をノックする、その程
          度。扉を開けてくれるかは、ライル次第。するとライルに届いたようだ。
          「だ・・・・・・れ・・・・・・・・・だ?」
          訊ねられ一瞬『刹那』と答えようとして、考えた。ライルはライルだ。ロックオンではない。だったら
          自分もコードネームではなく、自分の本当の・・・捨ててしまった名前を覚えてもらおうと。卑怯な考
          えだが「刹那」という名の存在は、ライルの中ではニールに連なる者なのだ。ライルに悪影響を及ぼし
          且つ、拒絶される可能性の大きいその名を口には出来なかった。
          「ソランだ。ソラン・イブラヒム」
          「ソ・・・ラン・・・?」
          「そう、ソランだ。ライル・ディランディ」
          「ソラ・・・・・ン・・・・・」
          なにか噛みしめるように呟くライルが、刹那には嬉しかった。驚かせないようにそっと抱きしめると、
          暫くして恐る恐る背にライルの腕が回される。やっとライルに自分が認識された。長かった、この状態
          になるまで二年という月日を要したのだ。


          それからはライルと会話らしきものが交わされるようになった。ライル自身、話すという事に随分積極
          的になっていた。
          「どこ・・・に・・・・・・行ってたの?」
          「仕事で日本にな。そこで友人達とも会って来た」
          「友達・・・・」
          「そう、お前とクラウスみたいな関係だ」
          「そっか・・・・・良かったな・・」
          たどたどしく、ゆっくりと紡ぎだされるライルの言葉。刹那に・・・いやソランに対して使われる言葉。
          「飯はどうした?」
          「まだ・・・・食べてない。マリナがシチュー・・・を」
          「そうか、なら一緒に食べるか?」
          「うん」
          「分かった、じゃあ此処で待っていろ」
          「手・・・伝う」
          やはりゆっくりと席を立つライルを、刹那は好きにさせた。あまりに過保護にさせても、今のライルに
          は悪影響だ。自分から動く、という意識を尊重したい。刹那の後ろをまるで雛のように、ついてくるラ
          イル。食器は割れたら危ない、という理由で全てプラスチックだ。それは正解だった。今もシチューに
          火を入れる間に、ライルが皿を落として派手な音をたてている。これが陶器だったら、怪我をする。流
          石にシチューを入れた皿は刹那が持つ。ライルにはスプーンを持たせて、テーブルにむかう。ライルは
          にこにこしてシチューを食べだした。基本的に一人で食事をする事を嫌うライル。マリナやクラウスは
          勿論シーリンまで来て、食事をする事も多い。そして一緒に食べる人数が増えれば増えるほど、ライル
          は機嫌が良かった。だが刹那がその場所にいないと、機嫌が宜しくない時もあるという。自惚れても良
          いのだろうか?刹那はそう思う。ライルの心に、自分はイノベイターの力ではなく存在できていると。


          しかしそんな日々は崩れていく。
          誰が悪いわけではない。
          ならなにが悪かったのだろう・・・・?

     

          ★ライルの状態の元ネタはZのロザミア・バダムです。彼女は幼い頃見たコロニー落としがトラウマに            なり、そのトラウマを強調されてニュータイプらしき能力を追加されていました。原理はよくわかり            ませんが・・・。最後は精神崩壊起こしてたしね。刹那のイノベイター能力は本編と違って、NTっ            ぽい事にしています。        戻る